真夏の花火は―リサの話
待ち合わせは、うちの最寄り駅の西八王子駅だった。打ち上げ会場は、うちとは駅をはさんで反対側にある公園。
午後六時に待ち合わせをしたけれど、もう駅の周辺は人がたくさんいた。
「栄一! おーい!」
駅の前できょろきょろと辺りを見回している栄一の姿を見つけて、声をかけた。
「待った?」
栄一がこっちに向かって小走りでやってくる。
こういうのって、なんだかいいな。
「今六時だよ。全然待ってないよー!」
ころんころんと下駄の音をさせて、栄一の前に立った。これがシンペイやアラタだったら、絶対時間通り来ない。時間ぴったりなんて、栄一らしい。
「お。似合うじゃん」
栄一がおでこをぴんと指ではじいた。前に言った通り、浴衣を着てみた。紺地にピンクと紫の朝顔の柄の入った浴衣一式をお母さんに頼み込んで買ってもらった。は特に免許とか持ってないけど、私が小さいころから浴衣を着させてくれている。これぐらいならね――と着付けてくれる姿に、さすが母! とちょっぴり見直したりもした。
「痛いー! なんでデコピン?」
むうっと口をとがらすと、あははっと笑った。
「でも、似合う? 似合う?」
くるっとその場で回って、ポーズを作る。「お前は何もんだよ」と笑われて、なにようとむくれてみせた。
「馬子にも衣装?」
「お約束!」
栄一の言葉に、むっとして言い返す。リサをそれぐらい知らないとでも思ってるでしょー。
「孫じゃねえよ?」
「だから、知ってるって」
頬を膨らませると、栄一がまた笑う。そんなやりとりをしている間にも、南口のロータリーの前では待ち合わせをしているカップルが合流して歩き出している組がいくつかあった。まだ誰かを待っているような不安げな顔をして立っている女の子や、携帯を見ながら舌打ちしている人、グループで「あと誰が来てないー?」なんて声も聞こえてきてなかなか賑やかだった。
「やっぱり、混んでるね」
栄一の隣で言うと、栄一が「そうだな」と返事をした。声が聞きづらくて何とか声を聴こうと背伸びして耳を近づけると、栄一の方から少し腰をかがめて、耳元に顔を近づける。
「早く行かないと、見る場所ねえかな」
腕時計を見ながら、少し大きめの声を出しながら言う。その声が思いのほか耳の近くだったから、息が耳にかかりそうで、ドキッとした。
「行くか?」
そう言って、歩き出す栄一はこっちの気持ちなんてお構いなしだから憎たらしい。
会場までは15分程度で着いた。途中のコンビニの店頭で飲み物やスナックを販売していて、並んでいたけれど、中に入ってしまうともっと混雑しているかもしれないので、今のうちに買っておくことにした。二人で並んで買うつもりが、栄一が二本買ってくれて「ん」と一本手渡してくれた。
「ありがと」
素直に受け取ると、栄一が頷く。ゆっくりしか歩けない私の歩調に合わせて栄一が歩いてくれる。
行ったり来たりする人の波に途中、何度かぶつかりそうになった。すれ違った人と肩がぶつかってよろける。
ヤバ、こける。
そう思った時に、栄一がさっと腕を掴んでくれた。
「っと。危ねえな」
ぱっと腕を離しながら栄一が言う。掴まれた腕が急に熱を帯びてきたような気がして、全身熱くなる。あ、ごめん。と一言言うのが精いっぱいだった。
「なんか今日は、大人しいのな?」
一言言って黙り込む私に、栄一が私の顔をちらっと見てから笑った。そりゃ、緊張してますから。
私にとって今日の花火大会は、一種賭けのようなものでもありまして。
だって、何とか振り向いてほしいから。女の子っぽいところを見せたら、もしかして栄一がぐらっとよろめいてくれないかなーとか、淡い期待を抱いてる。
肩がぶつかるほど近くて、時々栄一の横顔を盗み見た。そろそろ日が暮れて、暗くなってくる。六時でもまだ明るいのに、六時半を過ぎたころに日が落ちて暗くなってきた。水色と夕焼けが交じり合うような水平線間際の空の色。その上には一つだけ星が輝いていた。
会場の中に入ると入場規制はかかっていなかったけど、もう下の広場には人が入る隙間はほとんど残っていないくらいだった。あたりをきょろきょろ見回しながら、空いているところがないか探しながらうろうろする。スタンド席の段にかろうじて2人座れる場所があって、そこに並んで座ることにした。
「シンペイとマキも見に来るって言ってたけど、会わないもんだね」
話題を変えるように、明るい声を出した。こんだけ人がいて、そんなに広くない会場だから会えると思ったんだけど。
「まあな。こんだけ人がいればなあ」
と栄一は両手を背中の後ろについて空を仰いだ。確かに、家族に、カップルに、学生同士のグループっぽい人たちがたくさんいる。
「今日、リサと花火来て大丈夫だったの?」
さりげなく尋ねてみた。ほんとはだめだったとか言われても困るんだけどさ。
「んー、あー、まあ大丈夫」
何とも歯切れの悪い返答に、横顔を伺い見る。ちょっぴり拗ねたような表情をして、口元だけ笑っている。
「リサが気にすることじゃねえよ」
そう言うと、私の頭にぽんと手を置いた。栄一のそういうところ、優しさなのか突き放してるのかいまいち分かりづらい。リサの場合、突き放されているのかなって思うけど。だって、栄一のこと好きとか言っちゃってるし。他に好きな人がいたら、そんな気持ちも重いだけだろうし。
「……」
そう言われちゃうと何も言い返せなくて、座った浴衣の膝を抱える。裾がめくれないように気を付けながら。
「瑞希さんだっけ。栄一と花火、来たがったんじゃないの?」
この間、報告してって約束したから話しを向けてみる。
「今日はバイトだって」
「バイト? そんなのしてるんだ?」
「ん。勤労の人だからね。あの人」
うわ。あの人だって。なんか……親しげでいやだな。
「グウちゃん天狗の子、お子さんでしょ? 可愛かったね」
「ああ、智?」
あの子の話を始めたら、栄一の目が少し優しくなった。
「あいつ、可愛いんだよ。やっぱ男の子はいいな。俺も弟ほしかったぜー」
思い出したように、目を細める。栄一、確か妹ちゃんがいたはずだけどな。やっぱり同性の兄弟というのは、あこがれ分野なのか?
栄一は「プールに行ったときなんてさー」なんて、話しを続けている。一緒にプールに行った時に、栄一が水の中に落としてあげると大興奮をしていたらしい。滑り台の上から「えいいちー」って名前を呼びながら、超笑顔で必ず手を振ったりだとか、そういう可愛いエピソードを教えてくれた。
「でさ……」
と、栄一が話しを続けようとした時に、会場アナウンスが流れ、花火大会の初めを告げると、一発目の花火が上がった。
周りの音が一瞬静かになって、ドーンという音とともに打ちあがった花火が開いた瞬間に、みんながどおっと歓喜の声を上げた。
「うわー、綺麗」
花火を見上げながら、多分口が開いていたと思うんだけど、リサがそう言うと、栄一も頷いた。
「きれいだな」
って栄一も見上げたから、二人で打ちあがるたびに「おおー」とか言い合ったり、時折外したところで「おー」って言ってる人の声にウケたりしてた。
「あれ、雨だ」
花火が始まって30分くらいしたら、鼻の頭に雨がぽつんと当たった。
「え? 降ってないでしょ?」
栄一が空を見上げる。その時またドーンと音がして、緑と青のスターマインが単色で二発上がった。
「私ー、人より雨感じるの早いんだよー」
花火の音にかき消されないように、栄一の耳に手を当てて口を近づけて話す。
「マジで? すげー、特技、特技」
と栄一が顔をこちらに向けた。その一瞬、お互いの顔がものすごく近くなって、びっくりした。鼻が触れちゃいそうなくらい、近い。
うわっと思って、慌てて目を逸らした。
じっと見つめたら、やばい雰囲気になりそう……私だけ。
「――ごめん」
栄一に謝られて、しまった、と思う。あのまま見つめ合ってればいい雰囲気になれたかもしれないのに。不意打ちだったから驚きすぎて顔を逸らしちゃった。
「なんか栄一、いい香りがする」
さっき、顔が近づいた瞬間ふわっと青リンゴの香りがした。
「あ? ああ、これワックスの匂いじゃねえ?」
ふるふると頭を振った栄一からふんわりといい香りが漂ってきた。
うわー……これ、ダメだ。
こんな近くで、いい香りさせてる男ってどうよ。――はっきり言って、萌える……。
「えーいちー、それ、反則……」
萌え死ぬ――。
頬が、熱い。栄一のその髪に触れたくなった。軽く触れあっている肩に熱が集中してきて、体中が熱くなる。ドキドキしてた。
ダメだ。やっぱり。
一回だけ二人だけでいられれば満足できると思ってた。でも、こうやって一緒にいたら、もっと一緒にいたくなる。一つ優しくしてもらったら、もっと優しくしてもらいたくなる。ずっと一緒にいたくなる。
――好きになってもらいたくなる……。
思わず顔を伏せた。両手で顔を覆う。
「どうした? 気分悪くなった?」
気遣うような声が頭のすぐそばでする。さっきの栄一の顔を思い出して、また熱くなった。でも、気がつかれるわけにはいかないから黙って首を横に振った。
俯いている首筋に、雨粒が当たった。それで、急に体中の熱がしぼんだような気がして、泣きたくなった。
私、自分で思ってるよりもずっと、期待してたんだ。
辺りも雨にざわつき始めた。折り畳みの傘を持っている人が開き始め、もってない人はタオルを頭に乗せたり、敷いていたビニルシートを頭にかぶろうとしていた。
「リサ、雨強くなってきたな」
栄一が真っ暗な空を見上げる。
ドンと足元が揺れるような音がして、「え? 花火?」と声が聞こえたけど、花火は上がっていなかった。
「やだ! 雷!」
と、声を上げる女性がいて、花火じゃなくて雷なんだってわかった。それから雨はどんどんひどくなって、雷もなり始めて、辺りはひどい状況だった。
雨が強くなってきたせいで、一時中止のアナウンスが流れた。そのアナウンスを合図にするようにみんな屋根のあるところへ駆けこんでいった。




