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改札口の向こう側  作者: maruisu
第一章
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15/42

全部夏のせい

 夕方、智はすっかり疲れてしまったらしい。 

 飲み物が飲みたいとぐずるので、栄一君が買いに行ってくれた。しばらくして、智がおしっこ! と言い出したので、慌ててトイレに向かった。トイレまで少し距離があったので自然と早足になる。こんなことなら、もう少し入り口近くにシートを引けばよかったか、と後悔する。競泳用プールとちびっこプールと、波の出るプールと書かれた案内板通り過ぎて急いでトイレに駆け込むと、女子トイレはものすごく長い列になっていた。こういう時、男の子って便利。女子トイレの男の子用はいつも空いているから。ちょっとすみませーんと分け入って奥に進むと、やっぱり空いていた。

 無事にトイレを済ませると、智は機嫌がよくなって鼻歌を歌っていた。機嫌がよくなると、すきなアニメの主題歌を一人で歌うことがある。今も、大好きな特撮の「仮面ガメレオン」の主題歌を歌っていた。


「あ、えいいちだ!」

 智が、前を見て指をさした。そこにはお茶を抱えた栄一君が立っていた。


 おーいと手を上げようとしたけれど、栄一君の横におんなじ高校生ぐらいの女の子が二人、立っていて、一人の子はにこにこと笑顔で栄一君に話しかけている。

 知り合い? と思って様子をうかがっていると、友達同士で来てるなら、一緒にどう? だとか、これからどっか遊びに行かない? なんて会話が聞こえた。


 ぎゃ、逆ナンというやつではないですか!?


 お姉さんたち、よくそんなことする度胸があるね。私には無理だよ。あー私、年とったかな~。なんて、遠い目になる。いやいや、そんなことしている場合ではなく。


「や、俺、連れがいるんで」

「ツレー? お友達なら一緒にどう?」

 女の子たちは楽しそうにきゃっきゃしている。夏だね。いいね、青春だね。彼女たちは一人が、茶色い髪の毛を頭のてっぺんで大き目のお団子にして、ピアスを片耳にたくさんつけているような目立つタイプの美人で、もう一人の子は黒髪のボブでピアスもしてなければ、爪も短い、地味系女子という、アンバランスな二人組だった。

 そして、積極的に逆ナンしてきてるのは、美人女子だ。あんなの子に迫られたら、普通の男なら悪い気はしないよね。


 いやいや、その人の連れは、年上女と3才児なんですが? 一緒に行きますか? 3才児はエネルギー切れを起こしたら、機嫌悪くてうるさいですけど?


「友達じゃないから」

 むすっとした顔で片手で遮るようにして歩き出そうとする栄一君を、女の子が甲高い声で「えー」と言って止めていた。ふっと、栄一君の腕を派手系女子が掴もうとする。

「えー、君だけでも行こうよー」

 なんて言われている。

「悪いけど」

 表情を変えず、相手にするつもりはないと言った様子でそのまま歩いて行こうとする栄一君の腕を、「あ、あの!」と焦った声を出して掴んだのは、地味系女子の方だった。

 突然腕を掴まれるとは思っていなかった栄一君は、一瞬その地味系女子の顔を見て驚いている。栄一君も、まさかそっちが掴んでくるとは思っていなかったんじゃないかな。面食らった顔をしている栄一君はその場で足を止めて、その子を見た。

 

「ご、ごめんなさい」

 その子は、ぱっと腕を離した。栄一君に触れた手を片手で包むようにして、顎のところに持ってきている。すごく白い肌を、水着の色が際立たせている。顔は目立たないけどスタイルはむちゃくちゃ良かった。

「や」

 大丈夫だから、とでも言いたげに栄一君が片手をひらっと振る。栄一君と目が合って地味系女子の子が、真っ赤になって栄一君の顔を見ながら口をパクパクさせている。

 

 ……あの子、きっと栄一君に一目ぼれしてる。

 傍から見ていてもすぐに分かるくらい、彼女は緊張して真っ赤になっていた。


 派手系女子なら、勝手にあしらって帰ってこい……と思ってたけど、あれは反則だ。あんな真面目そうな子が真剣にナンパしたら、栄一君絶対悪い気はしないと思う。


「ね、この子本気なんだよ? だから、もうちょっといい?」

 助け舟を出すように、派手系女子が拝むように言っている。隣にいる地味子ちゃんが真っ赤になって泣き出しそうになっていた。泣いたら、絶対栄一君、その子のこと気にする。

 

 きっと、あの子はナンパ自体初めてなんだろう。プールサイドで栄一君を見かけて、一目ぼれして、この機を逃したら絶対もう会えないと思って声をかけてきているんだろうね。その気持ち、すっごい分かる。


 なぜなら、私はそうやって元カレを逆ナンして付き合ったから。元カレの回りには同じようなチャラい女の子たちがいっぱいいて、元カレがどうして私と付き合ったのかというと、私が地味女だったからだ。その地味女な私が好きですーって目をキラキラさせて一生懸命ついてくる様子が、面白かったそうだ。改めて思い返すと、そこに愛はなさそうなのがバカでもわかるんだけど。

 

 今、目の前にいる彼女の気持ちが分かるから、いやだった。


 栄一君に、触らないで。

 はっきり、そう思った。他の人が、栄一君と話すのが嫌だ。他の人が、栄一君に触れるのが嫌だ……。


 栄一君が他の人のこと気にするのが、たまらなく嫌だったんだ。

 

 

 いやだと思って栄一君の方へ足を進めようと踏み出したら、智が「えいいち、おともだちといっしょなの?」と私の顔を見上げた。


 ……。

 智の顔を見下ろして、私は動けなくなった。

 

「うん、分かんない。行こう、智」

 慌てて智の手を引いて、ぱっと身をひるがえした。不思議そうな智は黙って私に腕を引かれて歩いている。時折、振り返り栄一君の姿を確かめていた。


「えいいち、いいの?」

 智が栄一君と私を見る。私が無理やり引っ張って歩いて行ったので、足の短い智は付いてくるのに精いっぱいだった。途中でどんと誰かにぶつかった衝撃で、肩が後ろに引っ張れそうになる。それでも、足を止められなかった。「いて」という声が聞こえたけど、そのまま歩き続けた。止まったら涙がこぼれそうで、聞こえないふりをしていた。プールサイドを振り切るようにずんずん進んでいくと、途中で智に「ママー、はやくておいつけないー」と泣き出しそうな声で言われて、我に返った。


 あの場にいたら私、栄一君の腕を引いて引き離そうとしていた。あの子たちから。


 私の栄一君に触らないで――のどまでそんな言葉が出かかった自分に、ぶんぶんと頭を振ってそんな考えを追い出したかった。


 私の立場からじゃ、そんなこと口が裂けても言えない。


 こうやって一緒に遊んだり、帰ったりしていて、栄一君が私に寄せてくれる好意は感じている。私はその気持ちに甘えている。でも、私がそれを縛るわけには、いかない……。彼はまだ高校生で、ああやっていろんな出会いがこれからまだまだたくさんあって、その中から好きな人を見つけていくのに。

 私のことが重荷になった時に、自由にさよならって、すぐに距離が取れるように。今ならまだ、私たちは付き合ってるわけではない。お互い縛られているわけじゃない。どちらかがもう会わないと決めれば、消えてなくなる関係だ。そうじゃないといけない。


「……ママ、ないてる?」

 智が、キョトンとして私の顔を見ている。

「泣いてないよ」

 笑って答えたけど、目頭に涙が込みあがっていた。智の前じゃ泣かないって決めてるのに、こんなことで涙が出てくるなんて。

 慌てて涙を拭うと、笑顔を作って智の目線に自分の目線を合わせる。


「ママは泣いてないよ、大丈夫」

 自分に言い聞かせるように言うと、智はうん、と頷いた。

 二人でシートに戻る。シートに戻ったら、智は持っていた水中メガネを反対向きにつけたりして遊び始めた。それを笑いながら見て、もう使わない浮き輪の空気を抜いたりした。自分でもから笑いしてるってわかってる。

栄一君、今あの子たちと何話してるの? 連絡先を交換でもしてるの? どこの学校? なんて三人で明るく話してるのかもしれない。


「ごめん、遅くなった」

 変な妄想を膨らませていると、栄一君が急ぎ足で戻ってきた。私の顔を見た栄一君は一瞬ほっとしたような顔をしてから、智の隣に座る。

「ほら智、飲み物」

 智にペットボトルのお茶を差し出すと、智がそれを両手で受け取った。ママ、あけてー。とペットボトルを差し出してくる。それを受け取って智に渡すと、智はそれをごくごくと飲んでいた。

 口を開いたら、さっきのことを言いそうになってしまうので、無言のまま片づけを続けた。いきなり口数が少なくなった私を見て、智に「かあちゃんどうした?」なんて小声で聞いていた。智は訳が分かっていなかったので、「トイレいったー!」なんて報告していた。


 シーとも片づけて、帰り支度をした私たちは更衣室に向かう。

 着替え終わって、プールの出口でまた待ち合わせをして、公園から歩いて駅に向かって歩いた。その間、智と栄一君は公園の中のサイクリング乗り場を見て自転車がどうだとか、池を見たらボートがどうだとか、話していた。会話に私が乗ってこないので、時折栄一君がこちらを見て、何か言いたげな顔をしてからわざと明るく笑って見せるようだった。

 

 駅に着くころには、智がすっかり眠くなってしまって、目を擦りながら歩き、機嫌が悪くリュックが重いだの、足が痛いだの、お腹が痛いだの言いだした。

「智、しっかり歩きな」

 少しきつい口調だと自分でも思った。智は私の顔を見上げると、目を一瞬見開いてからぽろぽろと涙をこぼしてその場に座り込んだ。

「智」

 静かに言うと、栄一君が「智も疲れたんじゃね?」と助け舟を出す。


「そんなの、分かってるよ」

 つい、栄一君にもきつい口調になっていた。自分でもわかってる。さっきからイライラしている。ぶつけたらいけないと思っていたのに、つい、口調がきつくなった。


「どうしたの?」

 いつもより低い声で栄一君が言う。私を見つめる少し茶色い瞳に、責められている気がした。何やってるの!? って。子どもに八つ当たりしてるの? 自分がいらいらしているのを、人のせいにしているの? って。誰もそんなこと言ってないのに、今まで言われた責める言葉を思い出して、勝手に頭の中でリピートしている。

 そんなこと考えたくないのに。


「――どうもしてない」

 自分でも嫌な、どろりとした黒い感情が流れてくるのが分かった。私の言葉を聞いて、栄一君が疲れてその場から動かなくなった智のことを抱き上げようとした。

「やめて!」

 咄嗟に叫んで、智の体をひったくるようにした。


 嫉妬してる。


 栄一君とさっき話していた女の子たちに。

 私はあの子たちみたいに素直に好きって言えない。

 他のどの女の子たちが栄一君に好きって言っても、私は言えない。


 栄一君の言葉に一喜一憂している自分がいるのに。初めは見ているだけでよかった。高校生の男の子の何気ないしぐさを見るだけで、電車の中で顔を見るだけで、よかった。話すようになったら、声が聞けるだけでよかった。メールをやり取りするようになって、少しでも繋がっているだけでよかった。一緒に帰るようになって、毎日会いたくなった。会えない日が寂しかった。毎日会えるようになったら、会えるまでの時間が苦しかった。会えるのが待ち遠しくなった。


 近づけば近づくほど、自分の恋心を自覚するたびに、遠くなっていく。好きになっちゃいけないって分かっている。

 それなのに、止めようと思っても止まらない。


「智は――私と智は、ずっと二人だったの! 智が泣いて疲れて歩けないって言っても、私がずっと負ぶってやるわけにはいかない! だから、智には自分の足で歩くようにずっと言ってるの! もっと小さいころから、智にはずっとそう言い聞かせてるの!」

 心の中の、何かの堰が切れたように声を荒げていた。そんなこと言おうと思ってたわけじゃないのに、なぜか止まらなかった。もやもやした気持ちを吐き出してしまったら、すっきりするのだろうか。最後には、涙声になってた。完全な八つ当たりだよ、これじゃ。


「栄一君がずっと智のこと抱っこできるわけじゃないんだから、余計なことしないで!」

 声を押さえて叫んだら、涙がこぼれた。はっきりと言われた栄一君は、ぱっと腕を止めて私を見ていた。


「――悪い」

 さっきよりもさらに低い声だった。怒りを抑えるような、低い声。そりゃそうだ。あんなこと言われて、怒らない方がおかしい。


「……ごめん」

 自分でも八つ当たりをしたってわかってるから、謝った。智は訳が分からなくて、その場でぐずぐずと泣き出していた。おろおろと私と栄一君の顔を覗き込んでから、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。


「ママー、おこらないで! さとるちゃんとあるくから!」

 しゃがみこんで、わーんと大きな泣き声を上げた。

「さとるのせいで、えいいちのことおこらないで!」

 と、私の足にしがみついた。智の言葉にドキッとして、智を見下ろした。気がついたら自分のイライラを智のことにすり替えて、八つ当たりしていた。智も栄一君も、何も悪くないのに。勝手にイライラして、勝手に怒って八つ当たりして……私、最低だ。


「ごめん、智のせいじゃない。ママ怒ってない。怒ってないよ」

 座り込んで、智の顔を見る。作り笑いをして智を見たけれど、智は私と目も合わせないで、泣きつづけていた。


「――智」

 泣きたくなった。智のせいじゃないのに、智が自分を責めている。それが、辛い。


「――瑞希さん」

 栄一君が私の体を少し押しどけるように手を伸ばした。そして、智を抱き上げる。それから、黙って立ち上がると私の手を引いた。


「帰ろう」

 一言、栄一君が呟く。私の前を歩いていて、顔は見えなかった。だから彼がどんな顔をしているのかわからなかったけど、口調がとても優しくて、余計泣けてきた。なのにつないだ手が温かくて、ほっとしてなおさら泣けてしまった。


 電車に乗った時には、智はすっかり泣きつかれて眠っていた。栄一君に抱っこされて、安心しているようだった。開いたドアの反対側に立つ私の前に栄一君が立って、腕を掴んで転ばないように時折私の腕を掴む。

 何も言わないで、私の顔をずっと見つめていた。時折、顔を上げるとまともに視線がぶつかって、私の方が耐えられなくなって目を逸らした。


 

 智をベッドに寝かせた栄一君がリビングに戻ってきた。

 結局栄一君は駅からうちまでの20分をずっと智を抱いていてくれた。

 駅に着いて、お互いの家が改札駅を挟んで反対方向にあるから、改札で別れようと智を受け取ろうと手を伸ばした。なのに、栄一君は当たり前のようにマルベリーブリッジの方へ進み、桑並木通りを歩いた。休日の大通りはやっぱり人がたくさんいて、デートをしているカップルや家族連れとすれ違った。私たちも、こうして歩いていると家族連れみたいに見えるのかな、と考えた。私たちは智が寝てしまってから無言のまま20分歩き続けた。気まずいままなのに、なぜか別れようとしないで黙って歩いていた。


「じゃあ、俺帰るから」

 智を寝かせた栄一君はそう言って、リビングを素通りして玄関へ向かう。

「あ、あの! 待って!」

 思わず、服の裾を掴んでいた。引き留めて、なにを言えばいいの分からないのに、とっさに掴んでいた。


「何?」

 冷たい声だった。低い怒っているような声。当たり前だった。ため息を吐く音がして、怒っているんだと思った。帰りたいのに、なんだよ。そう言われている気がする。


「さっきはごめんなさい……」

 素直に頭を下げた。

「あの、八つ当たりなの。私、勝手にイライラしてた。勝手にイライラして、二人に八つ当たりして、ごめん。気を悪くしたよね……」

 前髪を片手で掴みながら、頭の中の言葉を整理するように口に出す。言葉にして話せば話すほど、胸の奥が痛くて、鼻がツンとした。


「今日はもう、休みな」

 ぽんと私の頭の上に掌がぽんと乗せられた。頭のてっぺんから栄一君の手のぬくもりが伝わってくる。顔を上げると、栄一君は困ったように笑っていた。その笑顔にどんな気持ちも読めなかった。

 怒っているのか、呆れているのか、許してくれるのか、もう面倒だと思っているのか、全然わからなくていたたまれなくなる。


「疲れたんでしょ、瑞希さんも」

 そう言うと、じゃ、と片手を挙げて扉に手をかけていた。栄一君は振り返りもしないでそのまま外へ出ていった。

 さよならも、またね、も言えないまま、残された私は玄関に立ち尽くしていた。怒ってないの? それとも、嫌な気持ちになったからさっさと帰ったの? 栄一君がどんな気持ちなのか全然分からなくて、彼が帰った後も胸のつかえは全然取れなかった。

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