第1話 聖女の任命
「女神ファルセリアは、レスティア・ローラン侯爵令嬢を次の聖女に任命します」
「私が……次の聖女?」
アーデイン王国では、十年に一度、女神ファルセリア様によって聖女が選ばれる。
天から降り立った彼女が選んだ聖女が上に立つことで、王国には平和が約束されるのだ。
そのしきたりにおいて、私の妹レスティアが選ばれた。それは大変、名誉なことである。
ただ私としては、穏やかではなかった。あの妹が、聖女になるなんて、そんなことは思ってもいなかったことだ。端的に言って、最悪である。
「レスティア、よくやった。お前が次の聖女とは、私としても誇らしい限りだ」
「ふふっ、これでローラン侯爵家も安泰ですね? レスティア、流石は私の娘です。私の血は、やはり大成するようですね」
父と継母は、レスティアの聖女就任を喜んでいた。
私と彼女は、腹違いの姉妹である。それが理由かは定かではないが、私達の仲は良いものではない。
レスティアはいつも、私を疎ましく思っているようだった。そんな彼女が聖女に就任すれば、ただでさえ居心地の悪いローラン侯爵家がどうなるか。
「……まあ、当然のことといった所でしょうか」
「レスティア嬢、それはどういう意味でしょうか?」
「女神様、私には才能があります。魔法も勉学も、優秀ですからね」
「聖女の資質というものは、それらと関係するものとは限りません。しかし、優秀であるというならば、それは良かったですね」
レスティアは、女神様に対して得意気にしていた。
それはともすれば、無礼なものである。笑っていただけているが、一歩間違えれば大問題だ。
レスティアには、そういう所がある。彼女は自尊心が強く、時に場違いな程に他者に強く出るのだ。
「さて、私はそろそろ天界に帰らせていただきます。レスティア嬢、あなたにはこれから呼びかけることもあるかとは思いますが……」
「え? ああ、お任せください。女神様の声を聞くのも、聖女の使命でしたね」
「ええ、耳を澄ませれば、私の声が聞こえることでしょう。いえ、それに関しては説明するよりも体験していただいた方が早いですね。それでは、またの機会に……」
女神様は、ゆっくりとその身を薄れさせていった。
彼女がこうして姿を現す機会は少ない。その姿を見られたことは、大変に幸運なことだったといえる。
しかし、任命したのがレスティアというのはいただけない。数ある選択肢の中で、どうして彼女などを選んだのだろうか。
いや、これに関しては仕方ないことか。聖女の資質、それはすなわち女神様の声に耳を傾けられる素質だ。それを持っている者を、女神様は選ぶしかなかったのだから。
◇◇◇
「婚約破棄、ですか?」
「ああ、君との婚約を破棄させてもらいたい。当然だろう? レスティア嬢が女神に選ばれたことで、情勢は大きく変わったのだからな」
レスティアが女神に選ばれた後、私は婚約者であるゼルファンに呼び出されていた。
聖女が選ばれるということもあって、今日は王城に多くの貴族が集まっている。ゼルファンの家であるサルバン侯爵家にも子女がいるので、彼もここに来ていたようだ。
そんな彼から私は、婚約破棄を告げられることになった。
それは驚くべきことではあるが、彼が言わんとしていることはわかる。確かにレスティアが聖女となるならば、ローラン侯爵家の情勢というものは大きく変わるだろう。
「つまり、ゼルファン様は妹との婚約を考えているということですか?」
「当然だ。彼女はまだ、婚約者がいなかったろう?」
「そうですね。しかし、ローラン侯爵家を継ぐ立場は、私の夫に与えられるものです。ローラン侯爵家の血を継いでいるのは、私だけなのですから」
ローラン侯爵家は、元々お母様の家であった。お父様は、婿入りしてきたのだ。
つまり、妹であるレスティアはローラン侯爵家の血を引いてはいない。だからこそ、ゼルファン様は私の婿となるはずだったのだが。
「ふっ、それはどうかな? どうなるかはわからないぞ? 聖女というものは、特権的な階級なのだからな。そういったことも、覆る可能性はある」
「それは……」
「大体、君は家族からも支持されていないじゃないか。まったく持って、哀れ極まりないものだが、君の価値はとても低いといえる」
ゼルファン様は、私を貶めてきた。
確かに彼が言っていることは事実である。しかし、ここまで言われる謂れはない。
そもそも、婚約破棄などと軽々しく口にする彼の価値は、いかほどのものなのか。
「この際だから、はっきりと言っておこうか。君には女性としての魅力も欠如している。僕としては、レスティア嬢の方が麗しいと思っていた」
「……」
「百人に聞けば、百人がそう言うことだろう。君自身もそれは、理解しておいた方がいいんじゃないか?」
レスティアが聖女に選ばれたからだろうか。ゼルファン様は、私を侮辱することに余念がないようだった。
そんな彼と婚約を維持したいとは、欠片も思わない。婚約破棄してくれるというならば、それで良いと言えるだろうか。
「……その言葉は聞き捨てなりませんね、ゼルファン侯爵令息」
「うん?」
私がため息をついていると、意外な言葉が聞こえてきた。
私はそっと、声がした方向を向く。するとそこには、一人の男性が立っていた。それはこの国の第二王子、ウェルード殿下であった。
「凡そ、紳士的な発言ではありませんね、ゼルファン侯爵令息。サルバン侯爵家の子息がそのような言葉を口にするというのは、この国をまとめる一族の一人として見過ごせません」
「ウェ、ウェルード殿下……」
ウェルード殿下が現れて、ゼルファン様はばつが悪そうな顔をした。
周囲に誰もいないと思っていたからこそ、彼は先程のようなことを言えたのだろう。人前、増してや第二王子の前で、同じように振る舞うことはできないようだ。
彼のそういう調子に乗りやすい所は、出会った時から変わっていない。ゼルファン様とは、小心者なのである。
「この国の貴族であるならば、あなたには高貴な心を持っていてもらいたい」
「……お言葉ですが、こちらの状況も考慮していただきたいものです」
「ほう? それは、どういうことでしょうか?」
「この女は……僕を誑かしていたのです。本来であるならば、このような女と婚約するなんてことはあり得なかった。それがどうしてか、こうなってしまった」
ゼルファン様は、根も葉もないことを言い始めていた。
彼に対する評価は、訂正しなければならない。小心者でほら吹きだ。
ただウェルード殿下は、その言葉を信じてはいないようだった。彼は訝しそうに、ゼルファン様に視線を向けている。
「あなたが何を言っているのか、僕にはわかりかねませんね。これ以上、見苦しい所を見せないでいただきたい。そうやって、虚偽の事実を吹聴するようなら、僕としても然るべき対処をしなければならなくなります」
「っ! いや、それは……」
「あなたが何を思っているかは勝手ですが、もう少し弁えた方が良いと思いますよ?」
「……くそっ」
ウェルード殿下の言葉を受けて、ゼルファン様は私に背を向けた。
彼はそのまま、立ち去っていく。ウェルード殿下とこれ以上言い合うのは、不利だとわかったのだろう。ゼルファン様は、敗走した。
「……ウェルード殿下、ありがとうございます。助けていただいてしまって、申し訳ありません」
「いえ、お気になさらないでください。僕はただ、あまりにも分別がない貴族を注意しただけのことですから」
「それがありがたかったのです。これ以上、ゼルファン様の言い分を聞きたくはありませんでしたからね」
「あなたがそれで助かったというならば、良かったです。しかし……」
ウェルード殿下は、ゼルファン様が去った方向を見つめていた。
それから彼は、私の方を向く。その表情はなんというか、少し心配そうだった。
「大丈夫ですか? レスティア嬢が聖女に選ばれた時、あなたの表情は暗かった」
「ああ……いえ、それは個人的なことですから」
「何かあったら、僕に相談してください。力になりますよ」
「それはありがたいです。でも……」
「いえ、相談していただきたいのです。それは王家の役目だ。聖女が選ばれたことによる家での混乱、それは今までも起こっていたようですからね」
ウェルード殿下の言葉に、私は悟ることになった。私のような状況に置かれた者が、今までもいたのだということを。
考えてみれば、それは当然のことだ。聖女という特別な役目に選ばれた者が権力を握る。それで立場が変わることなんて、きっとありふれたことだろう。
「……わかりました。何かあったら、相談させていただきます」
「はい、是非そうしてください。それでは、僕はこれで……」
最後に少し笑みを浮かべて、ウェルード殿下はその場から去っていた。
その背中を見ながら、私は考える。できることなら、彼を頼りたくはないと。
しかし、頼らざるを得なくなることは想像できる。これから私を待っているのは、決して幸福なことではないだろうから。
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