第7話 分析と全力分離
まずは、すり鉢で丸薬を潰して細かくしていく。丸薬なので、柔らかいからすぐに粉末状に変わった。
先生のビーカーやガラス皿をいくつか借りて少量ずつ分けると、さっそくビーカーに溶剤を注ぎ込む。
「粉が全然、溶けないですね。植物系なら溶けるのに」
「ですねぇ。フィーナの予想通りですね、これは」
生薬は大きく分けて二つの素材から出来ている。薬草がメインの植物系と魔石ベースの鉱物系だ。鉱物は、元の世界でいうマグネシウムや鉄と同じようなもので、身体に入れても問題ないものもある。でも、大半は薬草を使ったものだ。だから、強い溶剤に入れた場合、粉は消えてしまうと思っていた。ところが、混ぜても溶ける気配が全くない。
こうなってくると、植物系の要素よりも鉱物系が主成分だとわかる。念のため、本で少量でも精神を操る薬草があるか調べておいたけれど、育成した場合は即逮捕だった。
続いて、行ったのが炎色反応。ガラス皿の薬に火をつけて燃やした時の反応を見る、学校でも習った鉱物分析の基礎として習う検査法だ。魔石はすごく単純で、炎系なら赤、水系なら青と色の変化がわかりやすい。
ところが、惚れ薬の炎の色は複雑な色をしていた。赤がメインではあるけれど、黄色や薄紫がかったようにも見えて、複数の魔石が混ざっているようだ。これには、私も先生も微妙な顔を浮かべた。これでは魔石が特定しにくいため、解決策が導き出しにくい。
残る分析方法は、この混ざりものの薬を分解することだけだ。
「……先生、やってみたいことがあるんです」
そう言って、私は先生からもらった円計算尺を取り出した。
詩織の頃に学んだ知識の応用だ。
希少な鉱物を取り出すために、調合した特殊溶剤に入れて、欲しい成分だけ取り出す技術。魔術でも理論上は可能だった。
けれど、調合する際の濃度や配合比率を計算する必要があって、かなり煩雑で面倒だからこそ、やりたがる人なんていなかった。
(でも、この円計算尺があれば、あの超精密な多段抽出――万物の洗礼ができる……!)
脳内パソコンの限界で諦めていた、掛け算・割り算・比率の計算が、内側の円と外側の円の目盛りを合わせるだけでできるのだ。
まさに文明の利器。叡智の結晶。
それを暖炉に放り投げていた天才がいるというから、世の中は地層のように表だけではわからない。
さっそく先生に説明すると、先生は目を大きく見開いた。
「えっ、それって出来るんですか?」
「できる……と思います。溶液の比率さえ間違えなければ、術式で分離することは可能です」
そして、その緻密さゆえに、かなりの魔力も消費する。
それなりに魔力はあるけれど、多段抽出は初めて行うし、分離しきれるかまでは自信がない。それだったら、溶液だけ作って、先生に任せたほうがいいのもわかる。
じっと自分の手を見て、握りしめる。先生みたいに天才でもなければ、優秀でもない。でも、胸の奥からこみ上げる鼓動を止めることなんてできなかった。
——やってみたい。
この事件を解決するために。
なにより“錬金術師”として、やり抜き通してみたい。
すると、先生がふわりと横で笑った。
そうして「それなら、用意しましょう」と棚に向かって、使用する液体を選び出す。
私も術式の紙に書き始めた。円を描いて、重ねて、文字を散らしていく。ぎこちない部分は、先生に教わりながら修正していく。
カチャカチャと円計算尺を鳴らして、カチリと数字を合わせる。
「比率は二対四・二五。中和剤は〇・三七ミリリットルです」
「わかりました」
先生が計量器で計り、フラスコで溶液を混ぜ合わせる。
術式の上に、惚れ薬が入ったビーカーをおいて、調合した分離液のフラスコを傾ければ、薬は液体のなかでふわりと舞ったあと沈殿する。
私は、息を吸って気持ちを整え、両手をかざす。
「淀みに沈みし太古の残滓 清廉なる雫にその身を委ねよ 解かれし絆 分かたれし光 秘めたる真実を今こそ語れ――万物の洗礼!」
ぐるん、と液体が高速で回りだした。
メリーゴーランドみたいに発光しながら、炎色反応のときにみせた赤や紫の色が帯状になっていく。その煌めく層が出来上がるまで、魔力を注ぎ続ける。次第に明確になっていけばいくほど、私は奥歯を噛みしめる。
手がしびれるように痛い。術式が、私の魔力を喰らいつくしていく。
身体の中の魔力回路もバチバチと悲鳴をあげるけれど、そんなの知ったことではない。
「分かれろ……分かれてっ、分離してぇっ!」
カッと強烈な発光が、部屋を瞬く間に真昼に変えた。
そして、ゆっくりと収束する。まるでパティシエが作ったような三層のジュレが、ビーカーの中でキラキラと輝いていた。
「でき……た」
視界がぐらりと揺れた。
倒れる、と思った体は、床に落ちる前にすっと力強い腕に抱きとめられる。鼻腔をくすぐる、薬品の匂い。
「よく……頑張りましたね、フィーナ」
覗き込んできた先生の瞳は、いつもの締まりのないものじゃなくて、磨きあげられた『最高位』の輝きを宿していた。
そのまま椅子に座らせられて、頭をひと撫でされると「あとは先生が引き継ぎます」と白いローブをひるがえす。
それは虹の背。
先生の手から、私の比じゃない濃密な魔力が溢れ出し、ビーカーの中の液体が鮮やかに飛翔した。流れ星が宙から落ちるように、それぞれの層がガラス皿に並ぶ。あっという間に、三色のパレットが作業台に広がった。
(すごいな。さすが、先生だ)
腕が鈍い痛みを訴えて、虚脱感から瞼が落ちる。
魔力は自然に回復していくけれど、ちょっと寮に帰れるか不安になってきた。
ふいに、肩を小さく叩かれて、目を開ければ、温かな湯気が頬をかすめる。差し出されたのは、ビーカーに入った琥珀色の液体。ほんの少しだけ、甘い香りもする。
「どうぞ。回復薬です」
思わず笑いながら受け取って、一口飲む。
蜂蜜のような優しい味が広がって、身体がポカポカと温かくなっていく。
「先生」
「なんでしょうか」
「ビーカーだけど、美味しいです」
「それは良かった」
満足そうに先生は微笑む。
意図は伝わらなくても、手に持ったぬくもりがご褒美のように感じて、それはそれでいい気がした。
帰りは先生が送ってくれた。
詳細な分析は明日以降になったけれど、寮までの道のりは分析の予想ばかりだった。
炎系が主成分だったからインカローズじゃないかとか、そもそも炎色反応で三色混じるのはおかしいとか。
先生の顔を見上げながら話していると、その向こうに夜空が広がっていた。
ちょうど月がない空だったから、頭上はちりばめられた宝石に見える。
キラキラと瞬いて、ちょっとだけ遠回りして帰りたくなったくらい、楽しかった。
私を見送ったら、きっと工房に飛んで帰るに違いない。
それはちょっと羨ましいような、妬ましいような。
でも、きちんとベッドで眠ってほしいと、作業場の明かりが消えることを願った。




