第3話 明日からの仕事
さっそく、先生のところへ持っていく。
作業台においたのは、トルマリンだった魔石だ。この効果は、ほんのちょっと魔力を加えるだけで、魔石に刻まれた術式を起動させてくれる点火装置みたいなもの。例えば、火の魔石と組み合わせたら、すぐにパッと火をつけることができる。
このオーブンにも組み込まれているけれど、トルマリンを単純にスイッチとして利用するのはもったいない。
「先生、これってトルマリンですよね? この黒い部分って抜き取ることはできますか?」
「……よくわかりましたね。一応、抜き取ることは出来ますけど、理由を聞いても?」
「トルマリンのこの部分、紅水晶と組み合わせると熱効率が高まると思うんです。それに、たぶん……なんですけど、熱がムラなく広まるからパンが更に美味しく焼けると思います」
「ふむ……確かにトルマリンは熱伝導率も高いですからね。単純に紅水晶だけの力よりも組み合わせた方が効率は上がる……。面白いですね、やってみましょうか」
「はいっ!」
そうして、先ほどと同じように先生はトルマリンから黒煙を抜き取る。
紅水晶と違い、抽出された瞬間、雨雲のような重く垂れこめるような鈍い色が舞い上がり、魔術的な雰囲気があった。それでも、試験管の中に入ってしまえば、黒ずんだ液体へと変わる。
二種類のエッセンスができあがったことで、次は組み合わせる作業に移る。
論文の段階では仮説だったけれど、すでに先生の頭の中では術式は構築済みらしい。流れるように書いていく様は、まさに天才の筆致。魔術用のインクがつけられた羽ペンは、まるで優雅に泳ぐ白鳥を思わせる。水面を静かに波立たせることなく、くるり、くるりと、円を描く。息が止まるほどに、魅入ってしまい目が離せない。
「……っと、こんな感じですかね。さて、フィーナ。論文では、まだ仮説段階だったのには理由があるんですけれど、なぜかわかりますか?」
目を細めて先生は訊ねてきた。ちゃんと論文を読み込んでいればわかる結論だ。
正解は、組み合わせによっては“失敗”する恐れがあるということ。
通常の魔石と同じで、相反する属性同士を組み合わせようとしたらおそらく弾かれる。それどころか、爆発したり、予期せぬ魔術的な別の何かを生み出す可能性すらある。
けれど、今回の紅水晶とトルマリンは、そもそも同じオーブンの中に組み込まれている同士だ。同じ熱を帯びた属性で、相性もいい。問題を起こすような危険性も考えにくい。
それをそのまま先生に伝えると「合格です」と満点の笑顔をくれた。
ホッと胸をなでおろすと、先生に認めてもらえた嬉しさがじわりとこみ上げてくる。
「いやぁ……いい弟子に恵まれたなぁ、僕は」
“弟子”という言葉が、少しだけくすぐったい。
先生のお手伝いとして紹介されたはずなのに、一緒に研究しているみたいだ。
「でも、先生。やってみないことには私もまだ確証は得られないですけど」
「大丈夫ですよ。先生に任せてください」
先ほど描いた術式の上に基盤を置くと、その上に二つの試験管を傾ける。とろり、とこぼれていく薄紅と黒の液体。
水たまりみたいに広がるけれど、二色とも交わらないままだ。
けれど、先生が手をかざせば、生き物のように震えだす。
「――双極の理よ、同一の座にて交わりを見出さん」
立ち上っていく紅水晶の粒子。
トルマリンがその影のようで、最初から一緒のものだったと言わんばかりに空中で旋回して混じり合っていく。
「解かれし絆を紡ぎ直し、器たる理へと回帰せよ―― 双星の還元」
滝のように一直線に基盤へ戻っていく。
白く濁っていた基盤は、一段と濃いピンク色に染まり、静かに鎮座した。
先生はそのままじっと見つめて、何か大きな変化が生まれないか観察する。一秒、二秒、と時間が経っても基盤は無言のまま。割れたり、爆発する様子もなさそうだ。組み合わせは無事に成功したとわかる。
ホッとお互いに肩の力を抜くと、理論を実証できたことに思わず微笑みあう。
先生は私の方を見ると「ね、大丈夫だったでしょう?」と殊更、嬉しそうな表情を浮かべた。その笑みが、私の心を優しくなでる。
柔らかな空気が、不思議と心地よかった。
「……先生」
「なんですか?」
「あの、どうして、私の仮説をすんなり信じてくれたんですか?」
先生と出会ってまだ、数時間も経っていない。
いくら先生が術式を構築済みだったとはいえ、学生の意見を聞いてすぐに反映してくれるなんて、にわかに信じがたい。
けれど、先生は納得して行動してくれた。もしかしたら、予想外の出来事だって起きるかもしれないのに。
「そうですね。理由は二つ。一つは理論的に破綻がなかったからですね。魔石の性質に基づいて説明できていましたし、事前に僕の論文をきちんと読み込んでいました。そして二つ目。僕としてはこちらの方が大きいです」
そういって、先生は先ほど私がトルマリンを持ってきた、抜け殻の魔石の山を指さす。
「あの山からトルマリンを見つけ出したこと、です。エッセンスを抜いてあったのにも関わらず、間違えずに持ってきました。ほぼ無色透明に近いのに、魔石の魔力反応と硬度から探し当てた……違いますか?」
さすが、“リヒャルト・ブルーム”だ。魔石の目利きで右に出るものは世界中探してもどこにもいない、と言われる慧眼に降伏するしかない。
先生の言う通り、トルマリンには大きな特徴がある。それが、軽く魔力を流すだけで熱を持つ反応だ。加えて、とても硬いため、別の石を軽くぶつけても、ぶつけた側の方が欠けるくらいだ。
私は小さく頷くと、先生は更にニコニコと言葉を続けた。
「それに、フィーナの目。あれは……ちょっと普通を飛び越えていたかな、と」
「えっ?」
「魔石を見て、あそこまで嬉しそうな人は、そうそういませんから」
「っ!」
すぐに顔を引き締めたのに、あの、ほんの一瞬の緩んだ顔を見られた、ということなんだろうか。
つま先からみるみるうちに熱が上がって、二の句が継げず、声にならない悲鳴が口から出ていく。
先生は「僕も一緒なんで」と嬉しそうに顔をほころばせるけれど、あのときの緩んだ顔は、仕事先で見せていい表情ではないはず。女子としてあるまじき行為だったと、心の中で大反省会するしかなかった。
けれど、そんなことは意にも介せず、先生はのほほんと基盤のテストを開始する。
それは問題なく起動して、あとは実際にパンを焼くだけ、となった。
*
基盤をオーブンに戻して、先生はオーブンの様子を見るために店で待機。
その間、私は工房に戻って掃除をすることにした。せめて店先だけでも、人が入れるようにはしたい。
「フィーナ! ただいま戻りました!」
「おかえりなさい、先生」
まるで子供みたいにうっきうきなのは手に持った籠の中身のせいだろう。
こんがりと照り輝く食パンは、焼き立ての小麦のいい香りが漂って、見るからに美味しそうだ。
「オソーノさんのパンはいつも美味しいんですけどね。見てください、この色! いやぁ、食べるのが楽しみです」
問題なくオーブンが使えるようになったのは、私としても嬉しい限りだ。
あとで寮に帰るときにも寄って、明日の学校で食べる昼食のパンを買っておこう。
でも、今は先生を優先させるべきなのかもしれない。
「それはいいんですけど、先生。食器は綺麗ですか?」
「………………あ」
やっぱり。
薄々感づいてはいたけれど、おそらく、キッチンもひどい有様になっていそうだ。
大きなため息をこぼすと、先生は小さく縮こまる。
こうして、明日からの仕事は錬金術のお手伝いではなく、家の掃除からになりそうだと決定付けられた。
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