第2話 オーブン修理
パン屋に備え付けられた特大のオーブンは、段ごとに温度を調整できる優れもの。
三つ明け口があって、上から高温、中温、低温と火力調整して、温度に合わせたパンを焼く仕組みだ。
もともとあった大きな窯を改造して、オーブンを据え付けたらしく周りはレンガ造りだった。
「どうにも、火力がまばらなんだよ。焼けるには焼けるんだけど、偏りがひどくてねぇ」
おじさんも困った顔で腕を組む。
天板にのったパンは、半分は綺麗なきつね色、もう半分は白いまま。焦げる寸前の箇所もあれば、まだ生焼けに見える部分もある。
手間をかけて位置を変えて焼いていたけれど、それも限界がある。なので、再度、依頼をしに来たわけだ。
「先生、どうだい?」
オーブンを引っ張り出して、先生は後ろの魔術回路の流れを確認する。
(わっ、このオーブン、すごく回路が複雑)
錬金術も魔術がベースだ。魔力を動力源に、術式が刻まれた基盤と素材を組み合わせて、稼働させる。
一般的な魔術が『紙に書く契約』なら、錬金術は『素材に刻む設計図』。素材に刻むことで、半永久的に使い続けることができる仕組みなのだ。
先生がチェックしている回路には、大小さまざまな魔石が組み込まれ、一つひとつに文字が刻まれているのが見えた。
指先が、刻まれた術式を静かになぞり、回路の流れを一つひとつ追っていく。
その滑らかな動きに自然と引き込まれて、私の視線も回路を伝って滑る。
点と点を結ぶ先生の指先につられ、私も思わず空中をなぞっていた。
オーブンは熱と食材から出る水蒸気と密接な関係にある。
だから、この魔石同士の組み合わせが非常に重要だ。単純に火と水では相性が悪い。けれど、術式で制御したり、回路の繋げ方を工夫したりすれば話は別だ。魔石の組み合わせ次第で、熱の伝わり方は大きく変わってくる。
こうして先生の手元を見ているだけでもわかる。術式と素材、その両方に精通していなければ、錬金術師は名乗れない。
その無限に広がる宇宙のような回路は、いつまでも眺めていたくなる。気が付けば、私は先生の後ろで一緒に回路を追っていた。
「んー……回路の流れは悪くないですけどねぇ。やっぱり、魔石の方か」
「先生、基盤を見せてもらってもいいですか?」
「いいですよ。……はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
オーブンにつけられた基盤を見せてもらう。
淡いピンク色の基盤は、耐久性も兼ねて、小冊子程度の厚さだった。
(――これが、最高位魔術士の術式)
精緻に書かれた美しい円と文字のワルツ。
澱みなく流麗な筆致で描かれて、発動する条件や魔力の流れ、効果までもが音符のように踊る。
効率的な熱伝導方法や温度調節に必要な魔力量まで、計算し尽くされた上に、無駄なく円環している。
とてもマネできない芸術作品のようだ。
「基盤の素材は紅水晶ですか?」
「熱効率と蒸気を組み合わせたときは最良になるはず、なんですけどね。持ち帰って調べますか」
パン屋の営業時間を考えると、あまり長丁場は借りられない。基盤とその周囲を外して、運搬用の荷台を借りて乗せる。
すぐに調査して返却することを約束して、工房へ戻ることにした。
*
さっそく、基盤を中央の作業台において、先生は術式から確認することにした。
私は、オーブンのフレームに使われている魔鉄や真鍮の金具をチェック。見た限り、亀裂や腐食している様子もない。
特に魔鉄は、鉄を溶かす際に魔力を加えているから、こういった魔石を使った魔術具の効率化が良くなる分、基盤のほうで制御しなきゃいけない。
その基盤を見ている先生は、何かが引っかかっていたようだった。
「この魔石……やっぱり濁ってたか」
窓辺に立って太陽に透かしてみる。紅水晶は、薄紅色が特徴的な魔石で、多少の濁りが出ても問題なく使える。けれど、先生の術式が精密すぎるゆえに、その濁りが仇となって熱にムラが発生していたということだ。
自然のものだからこそ、こういった齟齬が発生しやすく、微細なズレを調整しながら魔術具として使えるようにしなければならない。
この場合、素材を研磨して術式をもう一度刻み直すか、術式を付け加えて使えるようにする。
けれど、先生の場合はそのどちらでもなかった。
「うーん、抜いちゃいますか」
「えっ!? それって」
「フィーナも見てみたいんでしょう? 僕の魔術」
「っ、はい!」
まさか、早々に虹の魔術が拝めるとは思ってもみなかった。
さっそく先生は、紙にサラサラと術式を書いていく。
彼が最高位に至った理由。それが、今まさに目の前で始まろうとしていた。
魔石から魔力という純粋な『核』だけを抜き取るという妙技。
この手元にある紅水晶であれば、熱と水の融和性に優れた核――すなわちエッセンスを抜き取ることができる。
さらに液体化することで、様々な用途にも変容可能。例えば、この紅水晶のエッセンスをポットに付与する。すると、保温性に優れた魔術ポットの出来上がりだ。しかも、中身の水さえこぼれなければ、ポットの素材は木でも、下手をすれば紙だっていい。
つまり、魔石に術式を書き込まなくても、事実上半永久的に魔石の効果を利用し続けることができるのだ。
この魔術こそ、彼が最高位と呼ばれる理由。
先生の筆は迷いなく走る。精緻な術式が、瞬く間に紙を埋めていく。
そして、書き上がった紙の上に基盤を置いた。
一呼吸して、スッと手を広げて意識を集中する。その姿を見て、私の胸は高鳴ってワクワクが止まらなかった。
「――熱を秘めし万古の語り手 我の前に真なる姿を見せたまえ」
呪文と共に紅水晶の基盤が、淡い桃色の輝きを放つ。
その光は粒子状になり、緩やかに渦を巻いて、空中を舞う。
綿菓子のようなメルヘンな空気に、思わず口を覆って、うっとりと見つめてしまった。
「其の薄紅の花弁 我の手により新たな型となれ ――虚空の聖別」
ふわふわと漂っていた粒が、まるで生き物のようにギュンっと集まって、先生が持っていた試験管に流れ込んでいく。
その刹那の奔流。
煌めくような空気が、あっという間に、トロリとした薄紅色の液体に生まれ変わった。
「……うん、よし」
一方、基盤は白く濁ったガラス盤のようになっていた。
(これが……リヒャルト・ブルームの魔術)
ゾクリ、と背筋が震える。
荒業をやってのけたのに、抜き取られた魔石は割れることもなく存在している。
こんな大胆かつ繊細な魔術なんて、常人ができるわけがない。
「すごい」
まさに神の御手。
それを直接、この目で見ることができたのは、とんでもなく果報者なのかもしれない。
「あはは、光栄です」
それをヘラヘラとした顔で答えるから、なんていうか、思い描いていたリヒャルト・ブルーム像を見事に打ち壊してくれる。
この前読んだ論文は、この画期的な発明をどういったものに今後生かせるか。さらに異なる魔石同士を組み合わせればどうなるか、といったさらなる研究結果を発表していた。そして、その内容の鋭さには、舌を巻いてしまうほどだったのに。
(なんで、こう……脱力系なんだろう)
文章から読み取ったイメージは、理路整然としてて、厳しく冷たい人だとばかり思っていた。
なのに、蓋を開ければ、お腹が空いて生き倒れてたし、すごい魔術を披露しても鼻にかけない。
それがいいんだか、悪いんだか、って感じだ。
「けれど、困りましたね」
「なにがですか?」
「この紅水晶。抜き取ってわかりましたが、思っていた以上に濁りがすごいですね」
まじまじと見れば、確かに基盤は水に溶かした白い絵の具のようにマダラ模様だった。
こうなってくると、例えエッセンスをそのまま戻しても、おそらく術式を書き直す他ない。
研磨して、熱効率を妨げている部分を考慮した術式を考えてからとなると、それなりに時間がかかりそうだ。
ふいに、先生の論文で思い出したことがあった。
通常、この紅水晶みたいに粗悪な魔石を使った結果、時間と労力を奪われながら修理することが多々ある。
けれど、エッセンスは魔石の純粋な魔力を抜き取り液体化することで、応用が利きやすい。つまり、液体同士を混ぜ合わせれば、二種類の効果を持った魔術具が作れるということだ。けれど、まだ仮説の域を出ていなかったので、これからまた研究していくと締めていた。
「先生。ちょっと待っててください」
さっき片づけたばかりの汚部屋。
けれどここは『大天才錬金術師の魔術工房』なのだ。床に転がっていた魔石も、投げ散らかっていた薬草も、全部この“神の御業”の欠片たち。つまり、論文に使われた材料はまだ生きている。
その中に、エッセンスを抜き取った魔石もいくつかあって、私の研究にも使えそうなものまであった。魔石は、魔素が折り重なってできたもので、効果も一つだけじゃない。
掃除した際にまとめた魔石の山へ、私は一直線に向かった。
赤、蒼、銀、黒。
色とりどりの硬度も純度も違う宝の山。
(はぁ……たまんないっ!)
手を突っ込んで頬ずりしたくなるのをこらえて、紅水晶と相性のいい石を探す。
私のカンが正しければ、オーブンは綺麗な色のパンを焼いてくれるはずだ。
「あっ、あった!」
すでにエッセンスを抜き取られたガラスのような魔石。
その内包物として残された、黒煙色の残滓こそ、私の研究分野だ。
宝石や魔石も、一種類の成分だけでできているわけじゃない。
長い年月をかけて折り重なった成分の中には、主成分より価値のあるものが眠っていることもある。
その“主成分ではないもの”。
それこそが、私にとって最奥に眠る秘宝だった。




