第1話 錬金術師と残念な工房
立ち上る蒸気の中に、キラキラと光の粒子が混じり、街に広がる。
無秩序なパイプが西洋風の建物をぐねぐねと這い回り、異様な光景に見えるのに、それが不思議と馴染む。
蒸気機関と最先端の魔術研究が入り混じった学術研究都市――アルフヘイムの街並みを私、フィーナ・シルヴェリは歩いていた。
手に持っているのは、学校の先生からもらった地図。
これから私は、この世界で指折りの最高位:虹の魔術士の家に尋ねるのだ。
しかも専門は、魔術から派生した錬金術。その中でも、魔石研究の第一人者。
(私の研究分野のトップオブトップがこんなに近くにいたなんて!)
思わず、地図を抱きしめて、意気揚々と私は手土産を揺らす。
私は、このアルフヘイムにある魔術学校の二年生だ。十七歳になったので、そろそろ進路を決めなくてはならない。
実家の錬金術工房を立て直すためにも、学校以外でも専門的に錬金術を学びたかった。
仕送りが厳しい家なので、学校の先生のお手伝いと称した雑務全般を取り仕切るアルバイトをしていたところ、仕事を紹介されたというわけだ。
(リヒャルト・ブルーム先生かぁ……どんな人だろう)
紹介してくれた先生は「君の能力なら大丈夫!」って太鼓判を押されたけど、なんでだろう。
少し疑問に思いながら、曲がり角をすぎたところで、工房が見えてきた。
石造りの壁に木製の柱が組み合わさり、堅牢な雰囲気でありながら親しみやすそうな作りだ。
壁には蔦が絡み合って、ちょっと鬱蒼としているところもあるけれど、錬金術工房らしさもある。
素敵な工房、と思いながら、『ブルーム工房』と札が下げられた、玄関にたどり着いた。
が、扉を開ける手前で、少し考え込んでしまった。
その入り口の地面は、砂埃が積もり、謎のシミが点々とあるのだ。加えて、左右を見れば雑草が人の背丈くらいあって、手入れのない荒地っぷりに、人が住んでいるのかも疑わしい。
地図を読み違えたのかと思って、何度か道を確認しても、ここに行き着く。
眉をひそめながら、ドアノブに手をかける。
ぐるりと回って、静かに扉が開いた。
「こ、こんにちはー」
お客さんを迎えるカウンターは、ひどく荒れていた。
棚には薬瓶が乱雑に置かれ、薬草は枯れ果て、日常的に使う魔石が机に点在しているのに値札一つない。まるで荒らされたあとのようにも見えるけれど、どちらかといえば適当に商いをしている感じだ。
そして、奥のほうからツンと鼻につくような刺激臭が漂ってきた。
思わず、一歩引いて、顔を手で覆いながら、もう一度様子を見てみる。
すると、小さな呻きと「だ、誰か……」と助けを呼ぶような声が聞こえてきた。
「っ!?」
私は慌てて、カウンターを回って工房のほうへ入る。
物があふれかえった廊下を駆け抜けると、明かりのついた部屋があった。
「大丈夫ですか!?」
そこに倒れていたのは、長い紺髪を三つ編みで結わえた長身の男性。
白いローブが床に広がって、殺人事件に遭遇してしまったんじゃないかと焦ったけれど、彼は身体を震わせて生きていることを伝えてくれた。近寄って、彼の容体を確かめる。外傷はなさそうだ。
「どこか具合が悪いんですか!? 回復魔術かけたほうがいいかな、えーっと……」
と、手を広げたところで、その手首を掴まれる。
びっくりして彼を見れば「食べ……ものを」と盛大な腹の虫とともに教えてくれた。
手土産の焼き菓子を差し出すと、彼は起き上がってものすごい勢いで食べ始めた。
一つだけじゃ足りずに、二つ三つと平らげると、水分を奪われたせいで喉の渇きを訴える。
仕方がなく自分用に持ってきた瓶詰めの柑橘水を渡すと、それも一気に飲み干して、ようやく一息つくことができた。
「っ、はー……生き返りました。ありがとうございます、貴女は命の恩人です」
にこり、と瀕死状態だった青年が微笑みかけてきたので、思わず息を呑む。
ざんばらな前髪、やや垂れた緑色の瞳は優しげで、整った鼻梁と薄い唇は柔らかな表情がよく似合う。
磨けば圧倒的な美を誇る、そんな原石のような人だ。
「あっ……いえ、えぇと、良かったです。えっと、リヒャルト先生……でしょうか?」
「はい。僕がリヒャルト・ブルームです。君は?」
「申し遅れました。私は、フィーナ・シルヴェリと申します。学校から紹介されてやってきたんですけど……その、先生は、どうしてお倒れになっていたんでしょう、か?」
なんとなく、この嵐のあとのような部屋を見て、嫌な予感がざわざわと胸に沸き起こる。
魔術世界において、虹は世界に片手しかいない超絶技巧の持ち主だ。世界に革命を起こした、といっても過言ではないくらい、歴史に名を残す人。
本当に“あの”リヒャルト・ブルームが、こんなところで生き倒れているなんて、誰が想像するだろうか。
(こんなゴミ屋敷に住んでる、なんて思いたくないのに……)
現実は無情にもそうじゃないようだ。
「いやぁ、つい研究に夢中になってたら、食べるのを忘れてましてね。えーっと、今、何日ですか?」
「二十日です。ちなみに先生、お風呂に入られたのはいつですか?」
「えっ、えーっと、いつだったかな。この前、パン屋のオソーノさんのオーブンを修理した日が四日前だったので、たぶん、それくらい前かと」
入ったときに感じたあの匂いの正体がわかった。
「っ、即刻、お風呂に! 入ってください! めっちゃくちゃ臭いです、先生!」
「ええっ!?」
ガーン、という効果音が見えたけれど、そんなことはどうでもいい。
話をしたくても、この悪臭をどうにかしないと、鼻が曲がってそれどころじゃない。
それに部屋の状態も、紙や薬品が散らかって、落ち着いて話もできなさそうだ。
苛立つ私に、さすがの先生もすごすごと部屋を出てお風呂場を目指す。
学校の先生が、どうして私の能力を買ったのかようやくわかった。
リヒャルト・ブルームは、どうしようもないくらい生活破綻者なのだ。
そして私は、そんな彼のお目付け役に任命されたらしい。
溜息交じりに私は立ち上がると、せめて、話ができそうなスペースを確保するため部屋を片付けることにした。
*
壁一面にある棚は、本や薬品、各種鉱物がひしめき合い、床にまで溢れて出ている。
窓際の大きな机と中央の作業台も、色々なものが散らばって、鉱石の破片はまるで星空のように見えた。
大鍋を釣り下げるフックがついた台座付きの暖炉は、薬草と焦げあとがこびりつき、お皿やティーポットまで煤まみれだ。
私は手早く本をまとめて、散らばったゴミとまだ使えそうな材料と分けていく。
(……こんなことに魔術を使わせないでほしい)
床もかなり汚いので風魔術を使って、ホコリを回収。
ポットとコップも水魔術を使って洗浄して、暖炉に火をつければ、お茶の準備も整う。
何とか話ができる部屋に回復できたので、少し休憩しようと椅子に腰かけたときだった。
「先生、リヒャルト先生! ちょっといいかい」
入口のほうから女性の声が聞こえてきた。
ちょっと焦った様子もあったので、代わりに顔を出すことにした。
「すみません、先生はちょっと別件で……」
「おや、あんた、お手伝いさんかい? ちょうどいい、ちょっと来て見てほしいんだ」
恰幅のいいエプロンをつけたおばさんだった。
ちょいちょい、と手招きされても、まだ先生はバスタイムだ。さすがに断りもなく出るのは不味い、と思っていたら、後ろから声が響いた。
「オソーノさん。どうしたんです?」
「あぁ、先生。この前、直してもらったオーブン。やっぱりちょっと上手くいかないんだよ」
「あー……」
やっぱりかぁ、と小声で呟くのはいいんだけど、なぜか水しぶきが飛んだ。
その異変に振り返ってみれば、先生は濡れた髪をタオルでゴシゴシと雑にふき、ボタンを一つ、二つ止めただけのワイシャツ姿で登場した。
つまり、風呂上がりそのままの恰好。
「っ、先生! ちゃんと、服を着て下さーいっ!」
まだ出会って一時間も経っていないというのに、なんで怒鳴らなきゃいけないのか。
おばさんはゲラゲラと笑い、先生は濡れた髪で「すみません」とぺしょんと謝る。
どうやら、最初の仕事は先生と一緒にオーブンを直すところから始まった。




