第27話 幕間:歩く風景の中に
(リヒャルト視点)
白いシーツが風に舞い上がる。
工房の庭で、洗濯物が干されている光景をみて、ふいに口元が緩んだ。
行ってきます! と元気に飛び出して行った彼女の姿を幻視する。こんな日々が訪れるとは、夢にも思わなかった。
夏の日差しが眩しい。
腰に下げた出来たばかりの魔術具が少し重く、付けるべきじゃなかったかと後悔したけれど、試運転するために持ち出したのだ。出来たら見せて欲しい、と言った彼女の反応が今から楽しみで仕方がない。
そうすると、外がいいだろう。
そんな判断から、オソーノさんのパン屋の扉を開けていた。
「おや、いらっしゃい先生」
「こんにちは」
トレイとトングを持って、店内をぶらりと歩く。
フィーナが好きだったものはなんだったか、と彼女が美味しそうに食べていたパンを思い出しながら、次から次へと取っていく。あまり多く買いすぎると、今度は怒るだろうか。そんな声も響いて、程よい数にとどめて精算する。
オソーノさんは、手際良くパンを紙袋に入れていく。ふいに「フィーナちゃんと外で食べるのかい?」と聞いてきた。
素直に頷けば「サービスだよ」とレモンクッキーを添えてくれた。
驚く僕に「フィーナちゃんが、学校で広めてくれたおかげで、学生さんが来てくれるんだよ」と茶目っ気たっぷりにおばさんが笑う。
彼女らしいエピソードにつられて笑ってしまった。
メインストリートを歩けば、彼女と買い物に来た場所が次々と目に入る。
金物屋で、揃いのマグカップを買って良かったな、と今朝の光景を思い出した。普段、何気なく使っているけれど、紅茶や水ですら、なぜか美味しく感じてしまう。揃っているからだろうか、と同一の物に惹かれてしまう現象に、名前があるとしたらなんだろうか。少し考えても思い浮かばず、首をひねる。
ついで、先日のカレーも脳裏によみがえった。
カレーもそうだが、フィーナが作る料理はどれも絶品だ。本人は「簡単なものばかりですよ」と謙遜するけれど、学業と家事をこなしながら作っているのだから、尊敬に値する。
マルタエル号の料理も素晴らしかったが、フィーナの料理の方が温かく感じた。
(そういえば、言い忘れてたなぁ……)
ディナーの時のドレスも、とてもよく似合っていた。
杏色の柔らかな色が彼女の印象を更に優しく彩るようで、首元につけていた青い魔石が映えて、彼女らしかった。
見た目は年相応のあどけない姿なのに、芯はあの魔石のように揺るぎない。
不思議な子だと思う。家事は万能で、工房の運営も彼女に任せておけば、滞りなく進む。まるで、社会に出て働いてきたかのような動きに、学生なのかと疑ってしまう。
けれど、どこかまだ危なっかしいような、目を離せない姿に、自然と心が揺り動かされる。
(……フィーナは、どう思うだろうか)
研究をしていて、そんな風に考えるときがあった。
そもそも、弟子を取るということすら想像したことがなかった。自分一人で勝手に生きて、研究して、その成果を発表するだけの人生。それが、自分の生き方だと思っていた。
どうせ、誰もわからない。
なぜかあの時は自暴自棄になって、ひたすら研究に没頭していた。風呂に入ることも億劫で、水を飲むことすら面倒で、このまま頭と手だけ動けばいいのに、と願っていた。
けれど、彼女はそれを許さなかった。
風呂に入れと怒って、食事はちゃんとしてくれ、と念押ししてくる。
最初は、僕の頭脳の方を買っているのかと思っていた。まがりなりにも才能だけはある。だから、その頭脳を生かすために手伝っているのではないかと、思った。
けれど、すぐにその考えは、彼女に対して礼を欠いていたと、心の中で詫びることになった。
フィーナが何よりも大切にしているのは、僕と同じ“魔石”だった。単純な錬金術の材料としてじゃない。魔石そのものに価値があり、それを錬金術でどう生かすか、という視点を持っていたことが、何より嬉しかった。だから、師として教えたいと思ったんだ。
『先生』
澄んだ鈴のような声に、自然と振り返る。
僕が悩んでいれば一緒に悩み始め、解決策を導き出せば喜び上がる。苦楽を共にしていくうちに、自然と通じ合っていくような楽しさが生まれ始めた。
そして、いつしか、フィーナ・シルヴェリという魔石を愛する錬金術師の未来を見てみたいと、そんな想像が膨らんでいった。
騎士団の詰所が見えてくれば、魔剣作りのことが昨日の出来事のように感じる。
あのとき、いくつか持ってきた中で、僕が選んでほしいと願ったものを迷いなく彼女は手に取った。きちんと魔石を属性や効果を踏まえた上で選び取ったことに、安堵と敬意が生まれた。
一緒にマルタエル号を乗ったからこそ、あの魔剣は完成したのだ。きっと、自分一人ではできなかった。フィーナとじゃなきゃ、あの発想に至れなかっただろう。
ふいに、空を見上げた。
——あぁ、そうか。
どこまでも果てしなく続く青い空が眩しくて、仕方がない。
今まで、こんなことはなかった。
単純に空は空でしかなく、季節変化を知らせる風も風でしかない。
けれど、この青空の下でフィーナとパンを食べて、夏の風を受けながら歩く景色は、全然違う。
空も風も、この歩いてきた道も、フィーナが隣にいるだけで、世界が変わる。
(こんな気持ち……初めてだ)
研究をして新しい発見をしたときよりも、ずっと、ずっと、温かくて胸が熱くなる。
今までずっと遠ざけてきた誰かが、フィーナであってほしいと願ってしまう。
もう一人じゃない、とテーブルの向かい側にフィーナがいたから思えたんだ。
「リヒャルト殿。お待ちしておりました」
「フェリクス、今日はどんな用事ですか?」
詰所に入って、フェリクスの話を聞く。セヴェリン氏については、少しずつ情報が集まってきているらしい。ただ、相手はギルドの副長だ。監視をつけてもすぐに煙に巻かれてしまうため、周囲から少しずつ攻めるしかないようだった。
それから、魔剣についても陛下からお褒めの言葉をいただけるそうだ。後日、城から連絡があるようなので、フィーナにも伝えておこう。あの空色のワンピースを着てもらって、一緒に城下町を歩くのも楽しそうだ。
「フィーナ嬢とはここで待ち合わせですか?」
「えぇ。倉庫にお使いをお願いしていまして、そろそろ来るとは思うんですけど……」
僕と違ってフィーナならきちんと切り上げて合流してくれると思っていた。
ところが、詰所の入り口付近で待っていても、一向に彼女の姿が見えない。
(変ですね……)
迎えに行くべきだろうか。けれど、すれ違いが起きても困ると思い、踏みとどまる。
けれど、彼女が行った先は“倉庫”という場所ゆえに、不安がこみ上げる。倉庫番は、魔術士ギルドの倉庫は無いと言い切っていなかった。すなわち、ある可能性も捨てきれない。それにセヴェリン氏の警戒心の強さは並大抵じゃない。おそらく——騎士団の動きも気づいているはずだ。
ざわりと嫌な感覚が肌を刺す。
僕はすぐさま、詰所の門番にフェリクスへ伝言を頼んだ。小隊を率いて倉庫へ向かってほしい、できれば魔術に対抗できる兵を願う、と。
「さて……行きますか。大地を蹴る歩みよ、天を駆ける疾風と重なりて途を拓け——神速」
ほんの少しの浮遊感と足に力が入る。
グッと地面を蹴って飛び出せば、景色が瞬く間に変わっていく。
突風と変わらぬ勢いで、メインストリートを駆け抜けて、さらに跳躍して港を目指す。
焦る必要はない。
頭ではわかっていても、なぜか、倉庫にまだいるような気がして加速する足を止めることができなかった。
――ドォォン!
突然の爆発音が聞こえて、煙が立ち上る。
「っ、フィーナ!」
彼女を一人にさせるべきではなかったと。
一人じゃなくなった自分が、彼女の元へ向かう。




