第21話 カレーと過去と今
「ただいま、帰りました」
「おかえりなさい、フィー……」
ドン!っと作業台に荷物を置いて、先生を見据える。
鬼気迫る私の気配に、さすがの先生も大きく目を見開いた。
一呼吸おいて宣言する。
「先生、カレーを作りたいと思います」
きょとん、として首を傾げるのもわかる。
なぜなら、まだこの世界ではメジャーな料理じゃないからだ。
トントンと乾燥させた実を軽く潰す音で生まれる香り。
ふわりと鼻孔をくすぐるそれは、コリアンダーの爽やかな柑橘の匂い。それから、ブラックペッパーの燻したような癖が重なって、キッチンは途端に異国情緒漂う場所に変わった。
私が小麦粉を炒めている間に、先生には各種薬草を混ぜてもらうことにした。
「薬草を料理に使うなんて、初めて知りました」
「薬学専攻の子が薬草茶を入れてくれたときに話題になったんです。お茶に使えるなら、料理もできるって」
薬膳料理、という言葉を詩織のころに聞いたこともある。
単純に薬として使うのではなく、料理に混ぜることで、日常的に触れてもらう。そうすれば、もっと薬草に親しむことができるのではないか。そんな友人の思いに私も別の友人も共感して、時々、研究を手伝っていたのだ。私自身も、誰かの日常のなかに錬金術を役立てたいと思うところがある。
そうして生まれたのが、カレー。クリーム煮から得た発想で、私が食べたいからという願望も相まって出来上がったのだ。
元の世界でもスパイスのルーツをたどれば、薬草みたいなものだ。
このアルフヘイムは港町。様々な国から多種多様なものが行き交う場所だ。そのなかには、薬草として仕入れたものが溢れかえっている。だから、容易にスパイスと似た香りや効能が同じものを探すことができた。
小麦粉がきつね色になったら、一瞬火を止める。
熱すぎると先生が潰してくれた薬草の香りが焦げて飛んでしまうからだ。
サッと混ぜ合わせて冷ましておく。すでにこの段階で、カレーの匂いがキッチンいっぱいに広がっていた。
「フィーナ」
「なんです?」
「この粉……」
「食べちゃダメですよ。先生は休憩するか、私が野菜を切ってるところを見ててください」
スープ作りの予定がカレー作りとちょっとステップアップしすぎたかもしれないけれど、基本は同じだ。
野菜を切って煮込む。そして、野菜が柔らかくなったころに、さっき炒めた粉に煮汁を入れて、ペースト状のカレールーにする。
そのカレールーを溶かし込みながら混ぜて、少し煮込めば完成だ。
「できました」
ふわりと立ち上る湯気とスパイシーな匂いに、思わず唾を飲み込んでしまう。
念のため味見をしてみると、各種薬草の香りが鼻を抜けて、複雑なのに気持ちがいい快感が舌を痺れさせる。
先生にも試しに一口食べてもらうと、目を真ん丸にして「なんです、これは!」と感嘆の声をあげた。
「おいしいですか?」
「美味しい……というか、もう一口、食べたいです。あの、フィーナ、もうちょっとだけ」
「なら、大丈夫ですね。先生、オソーノさん家のパンをお皿に出してください」
パッと皿を出して、さらにカトラリーも並べていく素早さに、よっぽど気に入ったんだと苦笑してしまう。
出来たカレーを深鉢に入れて、ついでに漬けておいたピクルスを添えれば、テーブルが華やかになった。
「いただきます」
さっそく、オソーノさん家の白パンを手でちぎって、カレーをすくい取ると口の中へ。
噛んだ瞬間にじゅわっとカレーの風味が口の中を駆け抜けた。
ブレンドされた薬草たちが、それぞれ主張するけれど、不思議となぜか一つにまとまっている。そのザラリとした食感を白パンが柔らかく包み、純粋な辛みとコクを味わうことで、また手が動いてしまうのだ。
先生を見れば、スプーンで食べるべきか、私と同じようにしたほうがいいのか戸惑っていた。
「先生、こうやってパンで、カレーをすくって食べるんですよ」
見本を見せれば、先生も真似して大きな手で不器用そうにパンをちぎって、恐る恐るカレーをすくって食べる。
そして噛み締めた瞬間、目が輝きだした。
「……! 辛い、ですけど、すごく美味しいです……!」
そのまま軽快に食べていく姿を見ると、荒んでいた心が自然と解けていく。
嫌なことがあったら、美味しいものを食べるのが一番だ。ましてや、こんなに勢いよくバクバクと食べていく人がいれば、なおさら、カレーと一緒に溶けて消えてしまう。温かい気持ちだけが残って、さらにつられて笑顔になれる。
(多めに作っておいて正解だった)
おかわりの一声に、たっぷりと深鉢に入れれば、先生は子どものように夢中になって食べ始めた。
そして、ようやく一息ついたころ、先生は「どうして、カレーを?」と聞いてきた。
私は試験のことを話して、最後の一口を食べる。
「――だから、ムカついて、美味しいものを食べようって思ったんです。今、思い返しても腹が立ちますけど……でも、カレーが美味しかったんで、消えちゃいました。それに、先生、薬草を潰してくれてありがとうございました。おかげで助かりました」
私は席を立って、おそろいのマグカップに氷を入れた薬草茶を注ぐ。
魔術冷凍庫を発掘したおかげで、カレーの熱さがクールダウンできた。
「セヴェリン氏のことは知ってますよ」
「えっ、そうなんですか?」
「僕も一時期、魔術士ギルドの研究部門にいた時があって、そのときの研究仲間でした。そのときから、魔術を突き詰めることにおいては、並みならぬ執念があるように感じましたね。目に見えぬものを解明する。僕らもそうですけど、彼の場合は、信仰といった感じでした」
「信仰……」
振り返れば、そんなようにも感じられた。
錬金術を分家、と言ったのも、突き詰めるよりも還元の方に重きを置いているからなんだろう。
それを考えると、確かに私とセヴェリン副長は真反対の立場にある。
先生は、どう思ったんだろうと見ると、困った顔を浮かべた。
「僕は、彼と仲が悪かったんで。そもそも、あまり向いてなかったんです。誰かと何かをするということに」
「あ~……」
先にも国の魔術士団のところから追い出されたことを思い出した。
きっと、研究部門も同じ理由だろう。先生は悟ったように苦笑して、ポツリポツリと語りだす。
「学生のころから、研究に夢中になると周りが見えなくなって。それで知らずうちに、誰かを傷つけてきたんじゃないか、迷惑をかけてきたんじゃないかって思うときがあるんです」
先生は冷たいカップを手で覆って、じっと薬草茶を見つめる。
「自分でもどうしようもなくって、友達もエミールくらいしかいなかったんです」
「エミールって、エミール先生ですか?」
「えぇ。ほんと、彼くらいだったんです。でも、彼も結婚して、子どもも出来たら『お前の面倒まで見切れない』って言われちゃって……」
カランと溶けた氷の音が鳴り響く。
先生の少し伏せた顔からは何も読み取れなかった。
静かに氷とお茶が混じって薄緑に透き通っていく。
「本当は書類整理だけの予定だったんですよ。でも、お前には世話を焼く才能がある子を付けるって、強く押されて」
ゆっくりと先生は顔を上げた。
その緑の瞳は、まるで深い森を閉じ込めたエメラルドに似ている。
吸い込まれそうなくらいなのに、どこか鮮やかだ。
「フィーナが来てくれて、本当に良かった」
その柔らかな眼差しと声が心に響く。
単純な感謝の言葉なのに、その真っ直ぐな想いが胸に届いて広がって熱くなる。
こうして、先生の前にいることが、実は特別なんじゃないかと、そんな風に思えてきた。
けれど、先生は指折り数えながら「工房も綺麗になりましたし、研究も進むようになりましたし、ご飯も食べるようになりました!」と無邪気に笑う。
(……うん)
弟子というよりも、やってることは全部お母さんみたいだ。
でも、しょうがない、と笑ってしまうから困る。
それは、先生から受け取れるものが多いからだ。授業よりも先生の方が実践的だし、より深く追求できるから学び甲斐がある。今日の試験だって、一人前の魔術士である赤に匹敵すると言われた。
弟子として生活面を支えてほしいという契約をした面もあるけれど、それでも補いあまるくらい、自分の力になっている。
だから家事くらいどうということはなかった。口を開けて「そうですね」と笑い飛ばそうかと思ったときだった。
「それに」
先生は、自分のマグカップを指さしてから、私のマグカップに軽く触れる。
「もう、一人じゃなくなりました」
穏やかに私を見つめて微笑む先生に、心臓が少しずつ脈打つ速度を上げていく。
じわり、じわりと、その眼差しに耐え切れなくて、思わず顔を伏せてしまうくらいに指が、手が、身体が熱い。
弟子として、一緒にいるのだから“当たり前”のこと。
そう、頭で言い聞かせても、なぜか心は別の意味のようにとらえてしまう。
特別な意味はない。先生は、事実を伝えているだけ。だったら、このままでいいはず。
慌てて冷たい薬草茶を飲むけれど、氷が解け切ってしまっていて、薬草茶の甘味がやたら強く感じた。
「先生。その……氷、解けちゃってるんで、飲んでください」
「はい」
先生のどこか弾むような返事を飲み込むように、私はマグカップの中身を飲み干した。
そうしないと、いつまでも身体が火照ったままのような気がしたから。




