第12話 新生活も波乱の予感
サクッとトーストをかじって、紅茶を一口。
木漏れ日が差し込み、朝のキッチンは清々しい空気で満ちていた。
アルフヘイムは港町ゆえに暑くなってくると、磯の匂いが強くなる。
けれど、工房は港から少し離れた場所にあるため、そういったものとは無縁だった。
さらに一口食べて、ほんの少しだけテーブルの寂しさに気づく。
寮にいた頃は、寮母さんの手製のキッシュなどもあったけれど、さすがに朝から作るのは難しい。
作り置きも検討してみようか、と考えたけれど、先生は絶賛、爆睡中だ。一人で食べることを考えると、作る気力は湧かなかった。
「これからは夕飯も考えなきゃな~」
もはや、完全に主婦の独り言だ。
掃除に洗濯に、食事と帳簿管理まで、フレキシブルに働かなくてはならない。
今更ながら住み込みで働くということを痛感してしまったけれど、錬金術の勉強ははかどるし、何より参考となる蔵書数が尋常じゃなかった。二階の廊下は、ほぼ本で埋まっていたし、私の部屋になった場所も元は道具で溢れかえっていた。
片づけることにかなり労力を使ったけれど、断捨離したおかげで比較的、人が生活できるようにはなってきた。
「キッチン道具も全然ないし」
ようやく何もなくなった調理台を見て、一体、今までどうやって生きてきたのか不思議で仕方がない。
ご飯に対しては、身体を動かすために必要だから仕方がなくとっている、という風だし、服に至ってはシャルロッテ様のお茶会用にわざわざ上から下まで一式購入だ。国に呼ばれるということもあるのに、社交場用の服がほぼ無いというのは少し不味い気がする。
今後のためにも、先生のクローゼットを点検しておこう。
紅茶を一気に飲み干すと、私は学校へ向かうことにした。
*
数日後、休日に先生と買い物にやってきた。
必要なものをリストアップしたらかなりの量になってしまったので、今日は最低限のものだけにして、少しずつ揃えていくことにした。
メインは調理器具と先生の服だ。恐ろしいことに、先生は着の身着のままな生活を送っていた。洗濯という概念がほぼ存在しておらず、汚れてきたら捨てる。そして、新しいものを買うという、ブルジョワスタイルだったのだ。
なんでこんな貴族みたいな生活がまかり通るのかというと、全ては『特許』のおかげだという。
「学生の頃に発明したものが、割とよく出来た道具だったんで、先生に『特許申請しろ!』って怒られたんですよ」
なぜ怒られたのかわからない――そんな理不尽な目にあったと言わんばかりに先生は肩をすくめる。
学生のころからすでにその才覚を現していたのかと思うと、どんな学生時代を送っていたのか気になってくる。そして当時の担任の胃痛を考えると『ご愁傷様です』としか浮かばない。
「ちなみに先生、何の特許を申請したんですか?」
「魔術冷凍庫ですけど?」
「…………えっ」
「正確には、魔石冷凍術式の応用による小型食料貯蔵庫ですね。昔、母が城下町の一番格式高い食堂では、食料貯蔵庫全体が冷えているということを聞いて羨ましがってまして。家でも欲しいけれど、そんな場所はありませんからね。なので、子どものころから小型化できないかなーって思ってたんです」
先生は、しみじみと振り返る。
「作ったときは母がとても喜んでくれて、ようやく親孝行できたなって思ったんですよ」
お母さんが悩んでいたことを、子どもが解決した。とても素晴らしいことだ。
けれど、内容がおかしい。
部屋ごと冷やすという術式はある。要するに氷魔術の術式を魔石に刻み展開するので、出来なくはない。けれど、部屋の広さによって魔石の大きさや種類も限られる。だから、城や超高級店じゃないと作ることができなかった。
ところが、ここ数年、貴族の館にも広まりつつあるものがあった。それが、魔術冷凍庫だ。
ごく一部の食糧だけでも死守できる優れもので、上級貴族のステータス扱いされている。
それを学生が作った。
しかも、小型化しただけじゃない。様々な魔石にも対応できる柔軟性まで備えている。
術式との組み合わせだけでも無限にあるのに、その難題すら十代の頃に踏破した。
乾いた笑みがこぼれる。
(ロイヤリティ……いくらだろう)
カジノのスロットから大当たりを引いた音が鳴り響く。
先生が大天才なのは、よく知ってる。論文を読んだだけでも、その発想力は普通の人の比じゃない。
けれど、それを応用した技術が広まっていることを言われると、殿上人のような気がしてきた。
「あ、フィーナ。試作品ならウチにもあるんで、使っていいですよ。たぶん、二階かキッチンか……どこかにはあります」
「……あとで発掘しておきます」
この勢いだと、上級貴族が使うような超高級アイテムが他にも転がっていそうだ。
冷凍庫は早めに発掘しておけば、作り置きも容易になるだろう。そうすれば、キッシュ風のオムレツなら先生にも食べてもらえる。
金物屋で、ボールに泡だて器、包丁と次々と購入していく。ちなみに財布は全部、先生だ。特許の話を聞いたら、これくらいの額は微々たるものだろう。
ふと、モザイク柄のペアマグカップが視界に入る。それぞれ赤と青を基調として、白地に散りばめられたものだ。
「可愛いですね」
先生が横からそっと顔を出して、大きな手で青色のカップを大切そうに包み込む。
私も赤のほうを手に取ると、なぜかしっくり手になじんで、甘い蜂蜜の匂いがよみがえった。
「せっかくだから買いましょうか。弟子とお揃いって、なんかいいな、って思うんです」
少し照れくさそうに笑う先生に、私は素直に頷いた。
研究の合間に飲むお茶が、ほんの少しだけ美味しくなりそうで、穏やかな作業場の光景が目に浮かんだ。
マグカップを丁寧に紙で包んでもらい、買い物袋をそれぞれ手に提げて街を歩く。
荷物は重いはずなのに、足取りはどこか軽い。胸がほんの少し弾んでいた。
そうして、最後の目的地である魔術ギルドへ向かった。
魔術ギルドは、三階建ての大きな役所のような建物で、他国にも分館はあるものの、魔術士関連業務の取りまとめはここで行っている。
中に入れば、申請をするために訪れている人や相談窓口で話し込んでいる人がいた。
ここに来た理由は、先生に魔石の鑑定をしてほしいという依頼があったからだ。先方の都合で、夕方からの約束だったため、買い物帰りに寄ることにした。
「リヒャルト。わざわざ、悪いね」
やってきたのは研究部門の部門長だった。
茶色の短く切り揃えられた髪に眼鏡をかけた柔和そうな人で、白いローブはインクや薬品で薄汚れていた。
先生とは旧知の仲といった様子で、すぐに部屋へ案内してくれた。
二階の奥にたどり着いて中に入ると、ふいに気配が変わった。
廊下よりも冷たくて、空気が重い。そして、部門長は私たちを席に促すと、机の上に魔石を一つ置いた。
卵ぐらいの大きさの毒々しい真っ赤な色合いのいびつなもの。
「これは……」
先生は息をのむ。
私もその魔石から目を離すことができなかった。
(……どうして?)
血のような赤色を見た瞬間、背筋がぞくりと震える。
惚れ薬を分析したとき、何度も見た色に似ていたからだ。




