第10話 令嬢と印章指輪
初めて貴族の館に訪れるのが、まさか貴族のトップクラスだとは思わなかったな、と改めて自分の服装を見直す。
紺色のワンピースだけど、袖にはフリルがついているし、足が見えないロング丈にして品があるようにした。靴とカバンも磨いたし、化粧も軽く施した。詩織だった頃もこうして、上客相手のときは身だしなみを最後まで入念にチェックしたものだ。
本当は、先生と一緒だったら心強いけれど、ちょうど今朝、人工石関連の件で急に国へ呼び出されてしまった。数日中には戻るらしいけれど、ここは弟子である私が引き受けるしかない。そうして、息を整える。
ハフェンブルク家の門をくぐれば、見事な庭園と噴水が出迎えてくれて、まるで別世界のようだった。
「手紙を拝見いたしました。惚れ薬の噂は聞いておりましたわ。ですが、まさか……ユリアンがその毒牙にかかっていたなんて」
ため息をついて、シャルロッテ様は椅子にもたれかかる。
シックながらも重厚な応接室は、まさに貿易を束ねるハフェンブルクらしく、紅茶からも品のいい香りが立っていた。
「シャルロッテ様、まだ仮説の段階でございます。ただ、その可能性が高いという見解です」
「そう……でも、そんなものを使っていないと、あんな風にはならないってことよね」
彼女は軽く唇を嚙みしめる。もしも、惚れ薬なんてものを盛られていなければ、順風満帆だったかもしれない。
けれど、シャルロッテ様の目は、さらにどこか深刻そうで濁っていた。
「ご報告させていただいた通りなのですが、我々はその惚れ薬の解毒薬を作成に成功いたしました」
スッと机の上に私は小瓶を差し出す。加えて、惚れ薬についても改めて説明した。
「繰り返し、飲まなくてはいけない、のよね」
「はい。そして、ユリアン様に盛った人物はおそらく……」
声を落として、シャルロッテ様の顔を伺う。
彼女もユリアン様の周辺を調べていたことから、同じ答えにたどり着いたのだろう。つまり、元からユリアン様は、シャルロッテ様という婚約者がいたのにも関わらず、別の女のところに足繁く通っていたことになる。そして、その度に惚れ薬を飲まされて、じわりじわりと洗脳されていった。
私がシャルロッテ様のところを訪ねた理由は、そのユリアン様を紹介してもらうためだ。
まずは、解毒薬を飲んでもらうこと。次に惚れ薬を飲んでも、解毒できるフィルターを印章指輪に付与することを伝える。ただし、ハフェンブルク家経由だと、示談交渉のために派遣されてきたと思われるだろう。そこを上手く迂回してほしいことも合わせてお願いした。
「なるほど……よくわかりましたわ。ユリアンへはこちらで手配いたしましょう」
「ありがとうございます」
もしも、惚れ薬とは別の原因だった場合は、すぐに連絡することも伝えておく。解毒薬の効果は、実験では即効性は見受けられなかった。二度、三度と分けて飲まないと、身体から排出されなさそうだ。時間がかかることを踏まえた上で、ユリアン様が何か動くようなことがあれば、逆に私の方にも連絡してほしいと願い出る。
シャルロッテ様は頷いて、ティーカップを口につける。
ゆっくりと飲み込んで、小さく一息つけば「わかっていたのよ」とポツリと言葉にした。
「ユリアンの周辺を調べたときに、あの女——エルザの店が怪しいと下から報告にあがっていたの。ですが、私は——信じたくなかった。だって、ユリアンの気持ちは本物だと思いたかったの」
震える彼女の手。けれど、それは次第にギリリと力強くなっていく。
伏せた姿からは次第に炎が立ち上る。それは、裏切り者への絶対的な怒りだった。
「フィーナ。もし、ユリアンに動きがありましたら、私が処断してもよろしいかしら?」
その瞳は、恋する乙女の輝きではなく、伯爵令嬢としての矜持の光だった。
「もちろんです。ぎゃふん、と言わせるのは、どうもブルーム工房では難しいようなので」
にこり、と私は微笑んだ。
*
後日、ユリアン様の家から招待状が届いた。
その内容は『虹位の魔術による絶対守護を是非とも受けたい』という是が非でもお越しくださいという、半ば嘆願状だ。そもそも、ハフェンブルク家のご令嬢と婚約破棄をした、というだけで他の貴族から総スカンを食らってもおかしくはない。けれど、ハフェンブルク家は示談や報復をしていないところから、他の貴族は静観、ユリアン様の家ではいつ何が起きるかわからないと戦々恐々状態だ。当のユリアン様は、惚れ薬のせいで「僕は悪くない。真実の愛に目覚めただけだ!」と一点張りらしい。
先生と私はそんなザント家を訪れた。
子爵家とはいえ、アルフヘイムの郊外にある立派なお屋敷には変わりなかった。
ちなみに先日行ったハフェンブルク家は、あくまでアルフヘイムにある別邸だ。シャルロッテ様が見習い女主人として取り仕切っていて、本家は王都リュミエラにある。あの屋敷よりも倍の広さがあると聞くから、伯爵家というのがいかにすごいか身に染みて感じた。
「さて、フィーナ。印章指輪に付与するのはいいですけど、ユリアン様へはどう説明するんですか?」
「そこはお任せください。貴族というのは、自分だけが“特別”というのが大好きなんです。それに、ユリアン様はちょっと正常な判断も鈍っていますので、余裕です」
それこそ、前世の詩織は宝石の交渉にまで関わっていた。動く額のことを考えれば、指輪のカット数を一段階あげるセールストークくらい造作もないことだ。
執事に部屋を案内されて、ユリアン様と対面する。
「ユリアン様、本日はお招きいただき感謝申し上げます。こちらが、魔術士のなかでも最上位、虹位に座します、リヒャルト・ブルームになります。私はその弟子の、フィーナ・シルヴェリと申します。以後、どうぞお見知りおきくださいませ」
私は深々と頭を下げて、彼を見る。
身長は高くてスラリとした体格に、金髪碧眼で爽やかな印象だ。こんな人に「君への想いなら誰にも負けないよ」なんて言われたら、シャルロッテ様も絆されて、心を寄せてしまったのも頷ける。
「話は聞いてるよ。なんでも印章指輪に魔術付与をするって聞いたけれど……」
「はい。ユリアン様は、子爵家のなかでも貿易に特に造詣が深いとお聞きしました。であるならば、子爵で納まる器ではございません。今後を見据えて、御身を守るために上から極秘で依頼を受けました」
極秘、という言葉にユリアン様の目が輝く。
すぐさま、席に座るように誘導されて、詳しく話をすることにした。付与する魔術は、呪いや毒といったものを浄化する能力があること、それに付随して頭までスッキリと目が覚めるような効果まであることを伝えた。先生はそれを誇示するように大きく頷く。
加えて、その魔術を最大限に発揮するには薬も必要だと、水色の小瓶を三本取り出して渡す。
「こちらの薬は、魔術を御身に馴染ませ、定着を促すための『魔術活性薬』でございます。非常に飲みやすいようになっておりますので、ご安心ください。ユリアン様、いかがでしょう。この度の魔術付与、決して悪いお話ではございませんが——」
「是非とも、お願いしたい。僕の価値を上はわかってくれていたんだね、うん、頼むよ」
「かしこまりました。では、先生、よろしくお願いいたします」
先生は、ノートサイズの水晶盤を取り出した。
すでに刻まれていた魔術式は、氷の上で踊った軌跡のように美しく流麗で、一般の人から見ても口を覆うくらい繊細なタッチだ。
その盤面の中央に印章指輪を置く。その上からトロリと青い液体を振りかけ、そのシロップが水晶盤いっぱいに広がる。
手をかざすと、先生の身体が魔力を帯びていく。
「流転する輝きよ 新たなる器にその身を捧げよ」
カタカタと指輪が揺れ動き、ふわりと空中にあがる。
そして、水晶盤の文字が青白く光り始め、液体がさざなみを起こしながら沸き立つ。
「境界を融かし 不変の力として刻まれよ」
浮かび上がった水しぶきが、螺旋を描き糸に変わっていく。
雨に濡れた蜘蛛の巣のように、透明なレースとなって指輪を中心に絡み合い広がる。
無数の糸で複雑な模様を描いたのち、スカートのように下に垂れ下がった。
すると、ふわふわとダンスするように揺れ動きながら、指輪にゆっくりと収縮されていく。
持ち主を守護するために、雨水が逆流しているようだ。
「――虚空の定着」
先生の言葉と同時に、指輪が高速で回転して水晶盤に落下した。
これでもう、解毒薬の術式が付与された印章指輪の完成だ。
先生は得意げに、私は営業スマイルでしっかりとユリアン様に視線を向ける。
あとは、シャルロッテ様の報告を待つだけだ。




