第60話 田園の側の水路
休日というのは、大変なものだ。本来なら、のんびり過ごすことができる最高の日なはずなのだ。もうわかるであろう、幸伶だ。
4月から今日まで、幸伶が家にいる間、静かだった日なんてほぼ存在しない。
だから、今日もこうして散歩という名の逃亡をしているというわけだ。
…とはいえ、さすがに何回も散歩をすると、飽きてくる。狭い村だから、道の数もあまりないし、そろそろ別の暇つぶしを探さないとな…。
そうしてしばらく歩いていると、村の南にある田園地帯にやってきた。
本当は家からも多少は田畑が見えるのだが、洗濯物を干すためにベランダに出ると、向かいの家の間から少し見える程度なので、まあほぼ見えないと言っても過言ではない。
英春「ほう、だいぶ稲も垂れてきたな。」
そばに寄ると、稲穂の膨らみがしっかりと見て取れる。もうすぐ収穫の時期なのだろう。
英春「トンボもよく飛ぶし、秋真っ最中だな。」
瑞穂「ほんとうにな。清々しいくらい秋だよ。」
英春「………え……?瑞穂……?」
そうやって何も考えず田園風景を眺めていると、どこからともなく瑞穂の声が聞こえてきた。
遠くで叫んでいるとかではなく、すぐ近くにいるはずだ。そういう声の聞こえ方がしたから。
だが、瑞穂の姿は見えない。
そうやってしばらく周りを見回してみたが、見つからなかったので、その場から立ち去ろうとした。
瑞穂「いや、ちょっと、助けてくれよヒデ。」
英春「……どこにいるんだ……。」
またもや瑞穂の声が聞こえてきた。最初に聞いた時は幻聴だと思ったが、どうやら確かにこの場にいるらしい。…じゃあなおさらどこにいるんだ。
瑞穂「見下げてご覧。」
英春「えー、…何だ……って、はあ!?!?」
幸伶やら幾斗やらの奇行は散々見てきても、現実離れした行動を見ると、やはり驚くというのが人間の性だ。
瑞穂は、なぜか田んぼのすぐそこにある用水路の底に寝そべっていたのだ。人が入っても少しばかり余裕がありそうな幅の水路にいるのだが、当の本人はぬかるみに対する一切の抵抗を見せない。
大変驚き、そして困惑したが、次の瞬間には、次のような感想が浮かんできた。
英春「……本当にきったねえな……。」
瑞穂「ああ。普通にしゃべっているように見えるが、今まさに不快の絶頂さ。ジャンボタニシの卵が何個かつぶれた。」
英春「ただでさえ不快なのに、言葉でもっと不快にするんじゃない。」
瑞穂「そうだろう、そうだろう?もっと不快になる前に、早く助けてくれ。」
英春「きったねえから触りたくないんだが…。」
本当はわざわざ災難に巻き込まれたくないし、この期に及んで汚れ仕事なんてしたくはないのだが、変な噂を流されても困るので、とりあえず助けた。
瑞穂「助かった!!」
英春「…俺には泥はついてないな。…にしても、何であんなところに…。普通に転んだのか?」
瑞穂「いや、素朗にはめられた。水路にはメダカがいるって言ってたからのぞき込んでたら、そのまま転んでさ。うまく体をねじったから仰向けになって、泥が顔面直撃するのを防げたんだな。」
聞けば聞くほど意味がわからなくなるが、1番意味がわからないのは、素朗が人をおとしめた、という点だ。
当然、普段の素朗の様子を見ていると、そんなことをするとは思えない。たぶん、瑞穂のほうに原因がある。何かやらかしてないかどうか、試しに聞いてみた。
瑞穂「うーん、知らね。何に怒ったんだろうな。」
英春「無責任だな…。あとでまたはめられても知らんぞ。」
これ以上関わると、またよくないことが起こりそうな気がする。俺はその場から立ち去ろうとした。
ちょうどその時、田んぼの水門が開いたらしく、水が流入してきた。
英春「…助けなくても、よかったかもな…。」
瑞穂「え、何で…??」
英春「勝手に水に流されてくれるだろ。」
瑞穂「ヒデもまあまあひどいな。」
英春「やかましい。元からこんな性格だ。」
そして、今度こそ立ち去ろうとしたのだが、またおかしな事が起きた。
なぜか素朗が流れてきた。うつ伏せ状態で……。
まさか、とうとう素朗さえボケに走り始めたのか…?
いや、どうせ素朗も足を滑らせたのだろう。
英春「…瑞穂、あとは頼むぞ。」
瑞穂「え、私…?」
英春「もう俺は疲れた。」
そう言い残し、俺はその場から全力で走り去った。
瑞穂は、その場の状況に大層困惑したであろう。
…俺たちは毎回その気持ちなんだよ。
その場から逃げた俺は、とりあえず家に戻った。
相変わらず幸伶はうるさく、おまけに今回は望美やら和城やらも騒いでいる。
…何か、本当に疲れてきた…。
幸伶「あ、英春くんおかえり。英春くんがこの前食べたいって言ってたせんべい買ってきたよ。」
望美「本当に美味しいねあれ。」
英春「………。」
和城「…どうした、ヒデ。」
俺は、特に何も返事できず、そのまま階段をゆっくり登っていった。
幸伶「…どうしたんだろ…。」
望美「体調崩したのかな…。」
和城「…やっちまったなあ…。」
俺は自室に入ると、すぐにその辺に転がっていた座布団に頭を乗せて倒れ込んだ。
体の疲れか心の疲れかは定かではないが、とにかく疲れた。
俺はそのままロクに体を起こさないまま、無理やり押し入れから布団を引っ張り出して、綺麗に広げないままかけ布団の中に潜り込んだ。
その後、今日がどのようにして終わったのかは、わからない。




