第32話 休業前夜
7月も終わりに近づいた今日この頃、やはり学生にとってのあの楽園期間の話題をよく耳にするようになった。その楽園期間というのは、もちろん夏休みのことであるが、俺は内心困っていた。
なぜなら、何の予定もないからだ。本当に、何もない…。多くの人は、旅行に行ったり、家族で集まったり、祭りに行ったりいろいろするのだと思うが、あいにく俺はそのどれもない。
旅行に行けるような金はないし、集まる親戚もいないし、おまけに父方の祖父母はロシア在住でさすがに行けない。そもそもパスポートが4年前に期限切れになっている。追風村でどんな祭りをやるのかも知らない。そのため、俺は1人で特にあてもなく本屋にでも行こう。
夏休みという話題は、やはり学校でも出ており、いつもの騒がしい面々が、いつも通り騒ぎながらお互いの予定を教えあっている。
瑞穂「うちは海に行くんだ。確か田原のほうだったかな。」
素朗「うらやましいよ。私はどこにも行けないからね。」
幾斗「オレも海にIKUZE!」
幸伶「奇遇だね!僕もみんなを連れて海に行こうと思ってたところなんだ。」
…幸伶の口から聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。みんなを連れて…?この”みんな”というのは、十中八九俺たち同居人のことだろう。逆に俺たち以外に誰を連れて行くというのだろうか。
望美「え、幸伶が海に連れてってくれるの?」
幸伶「もちろんサア!」
疾照「海ですかあ…。」
和城「湖あるのになんでわざわざ海まで行くんだよ。」
それには同感である。幸伶にとっての最終的な目的は泳ぐことなはずである。泳ぐのなら追風村にある湖で十分すぎるはずだ。
と思ってはいたのだが、俺はこの会話に入っていない、すなわち聞き耳を立てているだけなので、俺は向こうに物申すこともできない。そもそも俺も連れて行かれると確定したわけではない。
しかし、やはり現実は無情なものだ。
幸伶「いや、誰が何と言おうと僕はみんなを連れて海に行くんだい!」
和城「無理だぞ、お金ないもん…。」
望美「あ、私もないや。」
疾照「私もですね。」
瑞穂「みんな金欠なのかよ。」
幸伶「必要なお金は僕が出すよ。それくらいなら僕にだってできるからね。」
…今、こいつは何を言ってるんだ。最低人数4人ではあるものの、小学生がそんな金出せるものか。
しかし、この伊佐幸伶とかいう男はまだまだ未知数である。
…本当に出せるのかもしれない。
幸伶「もちろん英春くんも参加だからね。」
英春「…どうせそうなると思った…。」
幸伶「素朗も来る?」
素朗「え、行っていいの?なら行く!」
幸伶「よおおおし!決まりだね!」
外出することになったのは不幸中の幸いだが、問題は愛知県の渥美半島、すなわち田原市に行くだけなのに、1泊2日することだ。瑞穂と幾斗も幸伶の出どころ不明なポケットマネーの力で無理やり日にちと行先を調整したが、いくら何でも金の無駄使いである。
直我「…というわけだ。おまいらもコレを聞くのは4回目だろうが、耳と鼻の穴かっぽじってよく聞きなさい。」
虎彦「汚え。」
鍛郎「虎彦に言われたらおしまいだな…。」
直我「おい金澤!鈴岡!しゃべるな!」
虎彦「新澤だッ!」
鍛郎「鈴木ですが…。」
直我「冗談だ。では、話すぞ。」
体育祭の後あたりから、先生のギャグがひどくなっている気がする。
なんなんだろうか…。加齢…、いや、それこそ、この世界の創造主のおふざけだとかのせいなのかもしれない。
…あれ、俺もひどいギャグを連発するようになってないか…?
直我「…というわけだ。よし!じゃあ今日は解散だ!しっかり寝ておけよ。」
考え事をしていたらいつの間にか先生の話は終わっていた。…まあ、どうせ生活ルーティンは崩すなとか、事故に遭うなとかしか言っていないはずだ。…あの先生がそんなことをしっかり言うとは到底思えんが…。
幸伶「英春くん、1番安く伊良湖まで行けるルート探してよ。」
英春「自分でやれ。」
疾照「…って、え、伊良湖まで行くんですか…?」
伊良湖とは、渥美半島の先端部分の地名だ。確かに海水浴場もある。が、いかんせん交通の便がよろしくない。
ここ、追風村から伊良湖まで行くには、まず新城まで出て飯田線に乗り、豊橋まで行った後に、豊橋鉄道渥美線に乗り換え、田原まで行く。その後バスに乗り換えてようやく伊良湖だ。…とてつもなく面倒だ。
特に安く行けるような切符もないし、ルートもほとんどこれで決まっているようなもの。
疾照「…ルート1つじゃあ無理ですよね…。」
望美「もっと交通の便をよくしてほしいよ。」
英春「人口107人だぞ。作っても無駄だ。」
瑞穂「なあなあ、当日、豊橋の百貨店に寄ってっていいか?」
幸伶「いいけどなんで?」
瑞穂「…水着がない。」
望美「あ、私もないや。」
和城「僕もだな…。」
幾斗「オレもだ。KIGUだな。」
英春「…豊橋の百貨店なら、もうないぞ。」
瑞穂「…はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」
英春「うるせえ!あと声が長いッ」
素朗「それは同感…。」
豊橋の百貨店といえば、昭和の人なら西武だとか丸栄だとか答えるが、最後まで残ったのは、旧丸栄のほの国百貨店だけだった。
が、普通に今年の3月に閉店した。
望美「じゃあどこで水着買えっていうのさ!!」
英春「俺に文句言うな…。普通に大型ショッピングモールとかに売ってないのかよ。」
瑞穂「ああ、なるほどな。」
え、気づいていなかったのかよ…、こいつら…。普通服屋とかで買うだろそういうのは…。そもそもなんでわざわざ百貨店に行こうとするんだよ…。
疾照「田舎の人にとっては百貨店も都会の象徴ですからね。そりゃ行きたい人も多いですよ。」
英春「…さっきからなんで俺の思考がわかるんだよ…。」
疾照「気のせいですよ。」
幸伶「とりあえず、みんなで行くってことでいいよね。」
何とか話はまとまったが、もう既にグチャグチャした集団だということが証明されてしまった。
当日、どうなるのかすこぶる不安である。




