第37話:バーバラの誘惑
借金をすげなく断られ、バーバラは激怒した。
怒りに任せてクッションを床に投げつけてみたが、心は晴れない。
(何よあれ……上から目線で!)
怒鳴りつけてやりたかったが、ここではステラが女主人だ。
オーガストの件もショックだった。
(あいつ……怪しいと思ったらやっぱり!)
なぜステラが知っているのかはわからないが、思い当たる節があった。
以前、オーガストが長い黒髪を服に付けていたことがあったのだ。
思い返せば不審なことがたくさんあった。
(あんな男、こちらから願い下げよ。たかが男爵だし)
バーバラはさっさとオーガストを切り捨てることにした。
だが、胸の苛立ちは消えそうにない。
(あーあ、辛気くさい実家に戻りたくないわ。やっぱり泊めてもらおう)
ゆったりと広く、豪奢な調度品に囲まれた公爵の屋敷は快適だった。
バーバラは片付けにきた使用人にローワンの執務室の場所を聞いた。
ステラごときに簡単に追い返されるつもりはなかった。
(せっかく来たんだしね。それに交渉するなら、ステラなんかよりやっぱり公爵様でしょう。しょせん、ステラはお飾りの妻なんだから)
執務室に案内され、バーバラはドアをノックした。
「どうぞ」
部屋に入ったバーバラは息を呑んだ。
(何、この美しい男は!)
黒髪の凜々しい美男子がデスクの前にいた。
(噂には聞いていたけれど、こんなに美形の男性なんて……!)
高級な貴族服がしっくりと馴染んでいる、完璧な貴族の男性だ。
(これは皆が噂するはずだわ)
バーバラはずいっと足を進めた。
ローワンが密かに眉をしかめるのにも気づいていない。
バーバラは髪をかき上げ、艶然と微笑んでみせた。
あまたの男性を虜にしてきた笑顔だ。
「姉を訪ねてきたのですが、つもる話があって……今日はここに泊めていただけないでしょうか?」
「ええ、構いませんよ。客間を用意させます」
ローワンがあっさりとうなずく。
バーバラは満足感でいっぱいになり、鼻の穴を膨らませた。
(ほうら、私が頼めば簡単よ。冷徹公爵って噂だけれど、私の前ではただの男よ)
「あと二時間ほどで夕食です。準備させますので、その頃に食堂へどうぞ」
「ありがとうございます。ね、少しお話ししませんこと?」
バーバラはするっとローワンの傍らへと体を滑り込ませた。
そっと立派な肩に触れる。
ローワンがバーバラを見上げてきた。
どんな男でも、バーバラに触れられると嬉しそうにしたものだ。
だが、返ってきた反応は冷ややかだった。
「私に触るのをやめてもらえますか」
「えっ、あっ、はい……」
あまりにきっぱりした口調に、バーバラは慌てて手を離した。
「今、仕事中ですので用がなければ出ていってください」
素っ気ない言葉だった。
「あの、私、まだ屋敷に慣れていないんですの。夕食の時、エスコートしてくださる?」
甘い声でしなだれかかったが、ローワンが迷惑そうに顔をしかめた。
「侍女に申しつけておきますのでご心配なく」
そう言うとローワンは、もうバーバラの存在などなかったかのように書類に目を落とした。
(な、何よ……)
バーバラは不本意ながら、部屋を出るしかなかった。
時間になり、食堂に案内されたバーバラはまだ機嫌が直っていなかった。
(夕食のあと、私の相手をしてもらわないと! 私はお客様なのだから!)
席についていると、ステラが食堂に入ってきた。
バーバラを見ると、露骨に顔をしかめる。
(ふん、私はローワン様の許可をいただいているんですからね!)
続いてローワンが食堂に入ってくる。
「ローワン様!」
バーバラが立ち上がると同時に、席につこうとしていたステラがよろけた。
「ステラ!」
ローワンが駆け寄り、ステラを支える。
「大丈夫ですか? また無理をしたのでは?」
「いえ、私は平気です」
ローワンがすっとステラの手を取る。
「ダメです。食事は部屋に運ばせましょう」
「でも、ノエルが……」
「ノエルも部屋食にすればいい。行きましょう」
ローワンがステラを支えながら食堂を出ていく。
仲睦まじい夫婦の姿に、バーバラはぎりっと歯を食いしばった。
(何よ! ステラにはあんなに優しく! なんで? 形だけの夫婦なのに!)
バーバラは食堂で待っていたが、ローワンが戻ってくることはなかった。
*
翌日、朝食を食べ終えたバーバラはふう、と切なげにため息をついた。
「私、気分が優れませんの。今日も泊めていただけないでしょうか」
バーバラは同席しているローワンをちらっと見た。
ステラが嫌な顔をしているが、断れるわけがない。
「構いませんよ」
(やった!)
ローワンの言葉にバーバラはステラを傲然と見やった。
(ほうら、文句を言えないでしょう? なんといっても旦那様のお言葉よ!)
すっかり気分が良くなったバーバラは客間でふんぞり返った。
「お茶とお菓子を持ってきて!」
一瞬メイドの顔が引きつったが、黙って引き下がった。
「何よ、お客の対応くらい簡単でしょ。しかも、私は女主人の身内なのよ!」
もっとちやほやされてもいいのではないか。
そう思ったバーバラだったが、その後誰も客間に訪ねてくることはなかった。
「はあ、暇……」
いつもなら町に出かけたり友達の家に押しかけるところだが、そうもいかない。
「ローワン様は?」
お茶を持ってきたメイドに聞いたが、素っ気ない返事がかえってきた。
「お仕事で外出中です」
はあ、とバーバラはため息をついた。
もっとアピールしたいというのに。
「ああ、いい男がいないかしら……」
バーバラはだらだらと部屋で過ごし、昼ご飯も客間に運ばせた。
ローワンがいないのに、食堂に行く意味がわからない。
持ってこさせたファッション雑誌を、適当にめくっていたときだった。
何やら玄関の方が騒がしいことに気づいた。
窓から外を見ると、使用人たちが慌ただしく玄関に集まっている。
「何かしら」
バーバラは目を疑った。窓の外に、白銀の髪の紳士が立っていた。
「……嘘、ヨシュア・リンデル!?」
ヨシュア・リンデル公爵と言えば、国一番の美男子と言われる人気者だ。
ローワンと並んで憧れの独身男性として名を馳せていた。
噂の社交界の華を目にし、バーバラの興奮は頂点に達した。
(冷ややかなローワン様とは対照的に、明るく親しみやすいと噂のヨシュア様……)
「紹介してもらわないと!」
バーバラは意気込んだ。




