第31話:動揺のローワン
(俺は何をしているんだ……)
廊下を歩きながら、ローワンは落ち着かずにそわそわした。
誰かにプレゼントを贈るなど自分らしくない。
びっくりしたように大きな青い目を見張るノエルの顔が浮かぶ。
その顔に喜色が浮かんだのを思い出し、胸がずきんと痛んだ。
引き取ってから、ノエルが一人で寂しくしていたのはわかっていた。
だが、ちゃんと使用人たちを付けているからと言い訳をしていた。
(それだけではダメだと……わかっていたはずなのに)
ローワンは自室に入ると、酒の瓶を開けた。
苦みのある液体を口に含むと、少し落ち着いてきた。
(それもこれも全部ステラのせいだ)
まっすぐ自分を見つめてくる薄紫色の目を思い出す。
初めて会ったときから、彼女は臆せず率直に話してきた。
新しい生活に馴染もうとし、女主人としてだけではなく領地の仕事にも懸命に取り組んでいた。
そのうえ、血の繋がらない継子を邪険にするどころか、我が子のように可愛がり世話をしている。
どれもローワンの知っている貴族の女性像とまったく違う。
(貴族の女性はプライドだけは高いが怠惰で底意地が悪く、利害でしか物事を計れないと思っていた……)
最初の幻滅は自分の母親だった。
母は使用人に尊大な態度で接し、そのくせ女主人の仕事は面倒がって押しつけてばかりだった。
そんな母はローワンを猫可愛がりしたが、兄を極端に嫌い邪魔者扱いした。
えこひいきされても嬉しいどころか、ただ気まずいだけだった。
(なぜ母は兄を嫌うのか――ずっと謎だった)
大人になってわかった。
なかなか子どもができなかったため、父がよその女性に産ませた子を引き取った。
それが兄のケイレブだ。
ところが四年後、実子であるローワンが生まれた。
母は実の子である自分ばかり可愛がり、なんとか家督を継がせたがっていたのだ。
(兄は知っていたのだろうか……)
問いただしたことはないが、きっとあの聡明な兄ならば気づいていたのだろう。
だからこそ、フィオナとの結婚を機に公爵家を追われても、おとなしく従ったに違いない。
ケイレブは奥ゆかしく、決して自分の権利を主張したりしなかった。
思い返せば、ケイレブはよくあの庭の工房で一人で作業をしていた。
静かに自分の運命を受け入れていたのかもしれない。
子どもの時、そんな事情も知らずローワンはよく工房に入り浸った。
無心で作業をしているケイレブのそばにいるのが好きだった。
(いや、違う。俺は兄が好きだった。だからそばにいたかったんだ)
だからこそ、ケイレブがフィオナと出て行った時はショックだった。
だが、まだ子どものローワンにできる事は何もなかった。
(あの時の無力感を俺はまだ引きずっている)
両親が急逝し、家督を継いだときも投げやりな気分だった。
公爵家を捨てることもできず、さりとて盛り上げていく気力もなく茫洋としいた。
仕事も社交も最低限で、緩やかに公爵家は傾いていく。
だが、それでいいと思っていた。
次の公爵が好きに立て直せばいい。
あんな優しい兄をないがしろにしていた親の遺産など興味がなかった。
(そう思っていたのに……)
必死で駆け回るステラを見て、協力したくなった。
「まったく柄にもない」
ローワンはちらりとデスクの上の書類に目をやる。
珍しく社交の場に出て、宝石の取引先の開拓などしてしまった。
まだ有力な人脈をもたないステラができないことだ。
(こんなことをして……公爵家を盛り立てて何になるというのだ)
だがきっと、ステラは喜ぶだろう。
一心に仕事をするステラの姿に兄が重なる。
ケイレブは誰に言われるでもなく、コツコツと仕事をしていた。
(工房で仕事をする兄をこっそり見にいくのが好きだった)
ケイレブいつも、すぐにローワンの気配に気づいてくれた。
笑顔で手招きされた時の喜びや高揚感を今も思い出す。
兄は自分を愛してくれている、そう実感する幸せな瞬間。
(そんな大事な思い出の場所をステラに与えようと決めたのは、ステラが兄に似ていたからだ)
工房を与えて放っておくつもりだったのに、つい癖で工房を覗きに行ってしまった。
お茶やお菓子の差し入れを持って。
倒れているステラを見た時は、息が止まるかと思った。
(不思議な女性だな……。初めて会った時から嫌悪感がなかった)
もちろん、調査書だけで知った彼女を引きこもり令嬢、と軽んじていたのは確かだ。
だが、女性と対峙したときに浮かぶ明確な忌避の気持ちがなかった。
母以外の貴族の女性に嫌悪感を覚えるようになったのは、二十歳を過ぎて縁談が舞い込むようになってきた時からだ。
どの女も目をギラギラさせて自分を見つめてきた。
彼女たちが望むのは、金と地位。そして見栄えがして自慢ができる夫。
あまりに露骨な態度を取られ、ローワンはうんざりした。
(着飾った香水くさい女たち……フィオナとは大違いだ)
王命がなければ結婚などしていなかっただろう。
だから最も欲がなさそうで権力関係のしがらみもない、無能で唯々諾々と従いそうな女性を選んだのだ。
波風を起こさずただそこにいて、数年後は手切れ金を渡せば素直に出ていってくれそうな女性を。
ステラの真っ直ぐな目が浮かぶ。
(なんと傲慢だったことか……)
すぐにステラが素直で優しい努力家だとわかった。
だが、色眼鏡で見ていた自分は、ご機嫌取りや権力がほしいのだろうと警戒すらしていた。
なんの取り柄もない無能だとも思っていた。
だが、彼女は一人で王宮に足を運び、見事に魔宝石師の試験に合格していたのだ。
――何もできない妻ではなく、胸を張って公爵夫人と名乗れるようになりたいんです。
彼女は発言どおりに行動した。
それでいて、決して自分をないがしろにはしなかった。
ちゃんとすべてを報告し、許可を取って行動していた。
彼女の言動に裏表がないのは、周囲にいる使用人たちからの報告で確かだ。
(驚くほどきちんとした女性だ……)
社交は慣れないようだったが、お茶会にも足を運び、他の夫人方ともうまくやっていた。
(改めて有言実行の人だ。経験不足はあるものの、完璧な公爵夫人だな)
それに対して自分はどうだっただろう。
自分の言動を思い返すと恥ずかしくなる。
拗ねて反抗している子どものようだ。
(そしてあの日――彼女にはさらけ出してしまった)
自分がずっと抱えていた重い過去を、悔恨を。
(まるで懺悔するように吐き出した……)
自分でも思ってみない行動だった。
(だが、ずいぶんと気持ちが楽になった)
これまで自分の内心を他人に吐露などしたことがなかった。
理解してもらえると思っていなかったし、弱みを握られるのを何より恐れていた。
だが、ステラは受け止めてくれた。
(そうか、これが夫婦か……)
ステラは名実ともにパートナーだと認めざるをえない。
ビジネスパートナーのつもりだったが、ステラははっきりと自分を家族として扱ってきた。
(家族とは……つらい気持ちを分かち合えるのか)
驚くと同時に、戸惑いがあった。
いざ距離が近くなると、彼女をどう扱っていいのかわからない。
まるで十代の少年のようにあたふたした挙げ句、ステラを避けてしまった。
だが、同時に寄り添いたい気持ちもあった。
だから、ノエルの誕生日パーティーには参加しなかったものの、プレゼントを持っていったのだ。
(俺はどうしたいんだ? どうなりたいんだ?)
いくら自問自答しても、頭の中がぐちゃぐちゃでまとまらない。
ローワンは自分の中に新たに芽生えた感情をどう扱っていいのかもてあましていた。




