第百三十六話 連鎖する狂気
「陛下さん、なんのおはなしなんでしょうね」
「アルス、陛下は名前じゃねえから」
同時刻、地下牢への階段を降りるメルヴィルの後ろをついていくアルシノエは、陰鬱な室内を興味津々に眺めていた。
「アンタどっか行けよぉ、危ねぇから」
「なにがあぶないんですか?」
「色々」
階段を降りきったところで、何かを打ち付けるような音が、最奥の牢屋から聞こえてくる。
「だれかいるんですか〜?」
「バカ、先行くなって」
アルシノエが牢を覗き込むと、そこには痩せた北方人の男が、手枷をはめられた状態で座り込んでいた。彼はその枷を牢の壁に打ち付けていたのだ。
「わぁ」
ランプの光だけが頼りの薄闇の中、喪服を纏い
装飾の全てを外してもなお、彼女の美貌は輝かしい。突然この世のものとは思えない美しい女に見つめられ、檻の中の男はびくりと身を強張らせた。
「ストゥちゃん、いつになったら覚えるんだぁ?混凝土はローラン秘伝の建材、そんなんじゃ壊れねえよ」
愚者と呼ばれる捕虜は、メルヴィルの姿を睨んだ。
「あ、こいつはゲイル様の愛人のアルシノエ。ルーカス・ゲメッルス様の母親な」
「こんにちは〜ストゥ?さん」
アルシノエは両膝を突き、檻越しに朗らかな挨拶をする。
「アルス、こいつゲイル様暗殺に関わってるかもしれねえんだぞぉ」
「そうなんですか?ストゥさんは悪い人ですか?」
「……」
「ティレーの反乱について急に証言したのは、ゲイル様をマーリス州に誘き寄せるためなんだよなぁ……レンブラントに罪を着せるのも、計算のうちかぁ?」
メルヴィルは永遠に満ちる水筒からワインをあおる。紅い雫が顎を伝い、カビの生えた床に滴った。
ゲイルの死以降、拷問を交えて幾度も同じことを聴取されているはずだが、ストゥルトゥスは口を割ることはなかった。
「目的は何だぁ?ノクティナ嬢の信徒が政治に関心持つなんて聞いたことねえけどなぁ……お嬢だって望んでねえだろぉ」
「神の名を軽々しく口にするな!」
「良いんだよ、おれ神だからぁ」
ノクティナは、ソリアの双子の妹である。姉同様処女神であり、そして夜の安寧を守護する物静かな性格だ。メルヴィルはその性質ゆえに彼女からは怖がられているのであまり話したことはないが、信徒を唆し皇帝一族を攻撃させるとは思えなかった。
「メルさんってホントに神さまなんですか?」
「おう、知らなかっただろぉ。ホントのホント、おれは生まれてこの方ずぅっと神さまなんだぜ」
「へぇ〜、はじめて知りました!」
「馬鹿馬鹿しい……何度拷問されても、俺は何も話さない。さっさと殺せ」
ストゥルトゥスはそう言って顔を逸らそうとする。その薄い黄色の瞳を、アルシノエの鮮やかな黄金がじっと見つめた。
「ストゥさんは、ゲイルさまを殺しちゃったんですか?」
ストゥルトゥスは呆けたように口を開けたあと、ハッとした様子でその表情に侮蔑を宿した。
「そうだとしたら?」
「だめですよ、人をころすのは悪いことだから、ちゃんと謝らないと」
「……おまえ、ゲイル・セレの愛人ではないのか?」
「そうです、わたし、愛人です」
「あんま近付くなよ、アルス」
掃除用のブラシやバケツの入った籠の方に向かいながら、メルヴィルはアルシノエの背中にそう忠告した。勿論、彼の前で人質など取れるはずもないが。
「愛人なら、嘆き悲しみ、涙のひとつも見せたらどうだ?はは、これが世に言う毒婦というやつか」
「わたし、笑ってる顔が一番きれいなんですよ〜お父さんとお母さんがそう言ってました。ふたりだけじゃなくて、ずっとずっと、そう言われてます」
がたん、がたん、とメルヴィルが掃除用具を引っ張り出す中、アルシノエのどこまでも朗らかな声音は、不思議と明瞭にストゥルトゥスの耳へと入った。
「一番きれいで居るように生きてきたから、悲しむの、うまくできないです」
その言葉を聞いた途端、アルシノエの華やかな笑顔が空虚なものに見えた。しかし目を離すことができなかった。
「ヴァネッサ、アンタ寝てたんじゃないの?」
突然現れたヴァネッサに、デリラは胡乱げな視線を向けた。当の彼女はそれを一切気に留めず、雲の上を歩むような足取りでテオドールの側に歩み寄り、膝をつく。
「陛下」
「なんだ、ヴァネッサ」
「どうか、どうか、早くレンブラントを殺してください……我が主人を殺した者がこの世にのうのうと生きているなど、許せないのです……」
「許せない?それはあなたが決めることではありませんわよ、母上」
レイチェルはアルタイルの制止を振り切って、母を睨みつけた。
「義姉上、レンブラントへの事情聴取は引き続き行われております。今は事の経過を待ちませんか?」
「そ、そうやって……同じことばかり!」
ヴァネッサは黒い髪を振り乱し、震えながらサイラスに向けて叫んだ。
「わ、わたくしは、ずっとゲイル様のお側にいたのです。怪しい者など見当たりませんでした……唯一、そう、唯一、レンブラントと密談したそのとき以外、わたくしの視界にはずっとあの方がいらっしゃいました。それなのに、あ、あ、貴方たちは皆、レンブラントを犯人ではないと思いたいようなことばかり言って……わ、わたくしが寡婦で、女で、何の後ろ盾も人望もないから、その証言は取るに足らないと思っているのでしょう!」
ここにいる者が知る限り、ヴァネッサがここまで長く自分の意見を話したことはない。彼女はいつも塞ぎ込んで、孤独で、ゲイルの影に隠れて身を潜めていた。そしてゲイルもそれを良しとしていた。繊細な気質のヴァネッサは、貴人の妻としての責務に耐えられないと気が付いていたからだ。
「分かっていたなら、普段の振る舞いを改める気はなかったのですか、ヴァネッサ」
同じく寡婦であり、しかし家長として長年氏族を纏め上げてきたフィアナが立ち上がる。
「私は何度も忠告した筈ですよ。誰にも手を差し伸べなければ、誰からも手を差し伸べられることはない。リーリア様が母后と呼ばれ国家の母として慕われたのは、母のごとく民草を支えてきたからです」
「お祖母様、母上はお疲れでいらっしゃるのです。どうか─」
「アルタイル!貴方も母を甘やかすばかりでは、家長は務まりませんよ。貴方はヴァネッサの息子であり、そして今はエイダの夫となったのです」
鋭い言葉に、アルタイルは戸惑う。祖母の言葉の正しさを理解しながらも、弱りきった母にさらなる鞭を与えることは出来なかったのだ。
「……しかし、民衆が贄を求めているのは事実ですね」
ふと、サイラスが言った。
「一向に犯人が見つからない状況に、民は不満を募らせている。噂が広まってもなおレンブラントが処刑されないのは、彼がマーリス州の属州総督という立場にある故─などと申す輩もいるそうですよ」
「サイラス、何が言いたいのだ」
クラヴィスが聞き返すが、サイラスはゆっくりと首を振るだけだ。
「いえ、客観的な事実を整理しただけですよ。それよりも─母上、今の義姉上に必要なのは充分な休息です。病人に鞭を打つような真似はするべきではありません」
「わたくしは正気です!」
「勿論よく存じ上げています。しかし殆どお食事もお取りではないと伺いました。冥界にいらっしゃる兄上の安息のためにも─」
「あ、あの方は神になったのです。冥界などにいるはずがないでしょう。ふ、ふざけたことを言わないで……」
堂々めぐりのやり取りを打ち切ったのは、突然立ち上がったテオドールだった。
「帰る」
「父上」
「伝えるべきことは伝えた……サイラスよ、議会に遅刻するなよ。それと……後で私の屋敷にも顔を出すと良い……ルニアも会いたがっている」
テオドールはやはり不明瞭な低い声で言いたいことを羅列すると、さっさとヴァネッサの横をすり抜け玄関に向かってしまう。
「正気ではないのは……あの方ではありませんか……」
ヴァネッサが怨嗟を込めて唸った。
ルニア。それは皇帝即位のために離縁させられたテオドールの元妻の名である。屋敷で待っているのは、その後政略結婚したコルネリアだ。
─狂った皇帝に、病んだ血か。
「救いようがないな」
サイラスは小さく呟き、そして太陽を見上げた。




