第百三十四話 新たなる名Ⅰ
2日後─サイラスは、デリラと共にセレの本邸を訪れていた。現在ここに暮らしているのは、寡婦であるフィアナとヴァネッサ、ゲメッルス、レイチェル、解放奴隷や家内奴隷たちである。奴隷の数は、最も氏族が栄えていた頃には100人を超えたが、今は20人程度まで減っている。
「お久しぶりです、叔父様」
門番を押しのけるように駆け寄ったレイチェルは、喪服の裾を翻し一礼した。
「叔母様もご機嫌よう」
「相変わらずサイラスにベッタリね。ヴァネッサはどう?」
「レンブラントを処刑するよう、陛下と談判なさっているようです」
各地から贈られる追悼の手紙への返信、訪れる者たちへの礼、遺産相続についての手続き─そういった物事に、ヴァネッサはまるで関心を示さない。レイチェルはうんざりしたように肩をすくめた。
「叔父様の御手を煩わせることばかりで、申し訳ございません」
「謝る必要はないよ、レイチェル。当主を引き受けた以上、出来ることは何でもするつもりだ」
ローランでは、男は25歳を超えてようやく一人前と見做される。23歳になったばかりのアルタイルが当主として独り立ちするため、サイラスはこれから彼を導いていかなければならないのだ。
フロールフに支えられつつ屋敷の中に入り、サイラスは廊下を見回した。父ドルスが当主であった頃から、屋敷の内装は殆ど変わっていない。ゲイルは、壁の色や花瓶の種類を流行に合わせて変えることに関心がなかったのだ。
「……」
刺すような視線を感じ、サイラスは客間の方を見た。その入り口に、髪を結い上げ姿勢をすっと伸ばした老女─フィアナが立っている。
「おはようございます、母上」
「……」
「ちょっと、息子が挨拶してんだから返事くらいしなさいよ」
「デリラ、いつまでも庶民の子どものような話し方をするのはおやめなさいと言ったはずですよ」
「人の話聞いてるの?」
「姉上、良いよ。慣れているから」
「アタシが不愉快なのよ!はあ〜、やだやだ、陛下はいついらっしゃるの?こんなところにいたらカビが生えるわ」
デリラはフィアナの神経を逆撫でるように、足音を立て大股で客間に入っていった。
「サイラス!早く来なさい!」
「ちょっと待っ……」
「旦那様、失礼いたします」
フロールフは、緊張した空気など知らぬ存ぜぬと言った様子でサイラスを抱えあげると、足早にフィアナの横をすり抜けた。真っ先に目につくのは、ひとりがけの椅子と大量に積まれたクッション、小さな足台だ。
「母上が出してくださったのかな」
「まさかぁ、レイチェルかゲメッルスでしょ」
腰や背中に、フロールフが素早くクッションを詰めていく。身体が真っ直ぐに整えられたところで、はしゃぐような声とともにゲメッルスと─そしてアルタイルが顔を出した。
「ゲメッルス!陛下の椅子に何かを仕掛けようとするんじゃない!」
「してないしてない!」
「兄上の見間違いですよ~」
「おや、アルタイルも来ていたのか」
アルタイルはサイラスとデリラの方を向き、姿勢を正して挨拶をした。
「ようこそいらっしゃいました、叔父上、叔母上」
「アンタも災難ね。折角新居に移ったのに、こっちに戻るようなんでしょう?」
「ええ、近いうちに。一刻も早く叔父上に代わりセレ氏族の家長とならねばなりませんから」
「兄上、それ暗殺宣言っぽいですよ」
「謀反ってこと?」
「謀反だな!」
「は?なっ、違う!違います!断じて!」
「分かっているよ、アルタイル。ゲメッルス、あまり兄をからかうのはやめなさい」
アルタイルは、相変わらず奔放な弟たちに手を焼いているようだ。
「何を騒いでいるのですか、ゲメッルス!」
そこに、レイチェル、フィアナ、そしてエイダが入ってきた。
途端に騒がしくなった室内に、外から馬の嘶きが響く。一同は口を閉じ、立ち上がってこれから現れる者を出迎えようとした。
すると、廊下の角からふたりの男が現れた。深い皺が刻まれた顔はその齢を示しているものの、背筋が伸びた体躯は未だ剣を触れるほど若々しい。しかし見事な体格とは裏腹に、落ち窪んだ目は鼠のように忙しなく周囲を観察している。
「来たか、サイラス。フィアナ姉上に言わせれば、体調が悪く起き上がれないという話だったが……」
「ふん、陛下にサイラスを会わせたくなかったから嘘ついてたんでしょう」
デリラが挨拶もそこそこに文句を言った。
テオドール・ディアは、その言葉を聞くと、ただでさえ地を這うような声音を一層低くして、唸るように呟く。
「……姉上らしい話だ」
「陛下、どうぞこちらに」
その背後に控えていたクラヴィスが、用意された椅子にテオドールを案内する。彼はその傍らに座ると、デリラと軽く目配せしあった。
「ここは私的な場だ。今の私は……お前たちの父であり、おじであり、大おじである……そう畏まるな」
「はい、分かりました!じゃあ大叔父様に質問があります!」
それぞれが席に座ったあと、一瞬でテオドールの言葉に順応したルーカスが、真っ直ぐに挙手する。
「なんだ、ゲメッルス」
「家族に話したいことってなんですか?サイラス叔父上に関係あるってだけ聞いたんですけど……」
「私?」
確かに、使者はサイラスの体調や予定を確認して、約束の日取りを確認していった。フィアナは何とか妨害したかったようだが─
「ああ、正式な議会の場で採択する前に……我が家族に話すべきことがある……」
皺に埋もれながらも鮮やかな青が、サイラスを見た。
「サイラス・ドルス・アングィス・セレ。おまえに元老院の議席を与え、執政官に任命する」
「……?」
サイラスは、その意味をすぐには理解できなかった。肘の下に置かれたクッションを撫でながら目を瞬かせていると、フィアナが勢いよく立ち上がる。
「テオドール、何を言っているの!」
幼い弟を叱るように、彼女は一喝した。
「怪物に国家の第二人者の座を与えるなんて、正気の沙汰ではありませんよ」
「少なくとも、私は……サイラスの正気を疑ったことはない……ゲイルは、いつも弟に助言を乞うていた……そしてその結果導かれる案は……いつも的を射ている」
「助言?」
「あれは、あなたにはそういった話を黙っていた……あなたはサイラスを憎んでいる……憎しみが、聡明であるはずの心を曇らせている……」
鋭い姉の視線から身を引きながらも、テオドールはボソボソと反論を続けた。
「私から言わせれば……正気ではないのはあなたの方だ……姉上。もう我が氏族に残された者は少ない……」
フィアナはぐっと息を呑む。彼らの子世代の男はサイラスとクラヴィスだけだ。血統主義を貫き続けるならば、道は一つしかない。
サイラスの脳裏に、レジナルドの姿が浮かぶ。ここまで追い詰められてもなお血の因果に縛られる者たちに彼の存在が知られたなら、結果は恐ろしいものとなるだろう。
「ザロウ氏族では駄目なのですか?」
不意にレイチェルが言い放った。クラヴィスとデリラが顔を上げる。
ザロウ氏族というのは60年前に貴族の位を得た新興貴族だ。デリラのかつての嫁ぎ先であり、彼女が産んだ男児が次期当主となる予定である。
「絶対反対。青い目じゃないからって、あの子はセレ氏族にいれてもらえなかったのよ?それでアタシは母親としての立場を放棄して、あの子をザロウの義父母の養子にしたの。それを今更─」
「……つまり、そういうことだ」
デリラの話を遮ったテオドールは、無感動にフィアナを見据える。
「神君の御言葉を無下にし、北方征服を成したがために兄は死んだ……我々は、もう誓いを違えてはならない……この国は、青い目を持つ神の子孫によってのみ統治される。姉上、私はあなたの許可を取りに来たのではない、必要もない。あなたは女で、寡婦で、ただそれだけだ……しかし家族として報告は必要だと思った」
彼は如何にも面倒そうな態度で背もたれに寄りかかり、ため息をついた。
「サイラス・セレは執政官となり……そして、次代の皇帝候補のひとりとして数えられる。私が……そう決めた」




