第百三十三話 血の果て
数日後、サイラスはフロールフとスノッリを伴い、ディアの本家を訪れた。レジナルドはアキやレーネと何やら話し合うことがあるらしく、取り残すことを謝る暇もなく出かけてしまった。
ゲイル同様に華美な意匠を好まないクラヴィスだが、その屋敷はデリラの希望によって流行的な改築が何度も施されている。
フロールフに支えられ玄関に入った彼を出迎えたのは、淡い色の衣装に身を包んだデリラだった。
「サイラス、スノッリ、いらっしゃい!フロールフも元気にしてた?」
「姉上、その格好は……」
「いつまでも喪服でいる必要なんてないわよ。着ていないからって、兄さんを悼んでないことにはならないわ。大体、アタシはもうディア氏族の人間なんだから」
早口で捲し立てられ、サイラスは口を閉じる。言い合いでこの姉に勝ったことは過去の一度もないからだ。
「前の旦那のときは大変だったわよ。結婚してたった1年で死んだもんだから。1年は喪に服してたし、寡婦は嫌だって男が多くて結婚も決まらなかったし」
「あのときは大変だったね。私ももっと上手く手を貸せればよかったんだけど」
その夫を謀殺した本人であるサイラスは、心からそう言った。姉を寡婦にしてしまい、苦労をかけたことは申し訳ないと思っているからだ。そしてデリラが20歳となったところで、クラヴィスが手を上げたのである。浮いた噂のなかった彼は突然、寡婦であることを承知で結婚を申し出た。
処女神ソリアから始まる処女信仰の強いローランで、為政者の息子が寡婦と結婚することには反対の声も多かった。しかし彼は、決して意見を曲げなかったのだ。
「アンタはまだ子どもだったでしょ。さ、入って入って」
「あでぅは〜?」
フロールフの足にしがみついていたスノッリが首を傾げる。
「アデルなら、ようやく風邪が治ったの。遊んでやって」
アデル・クラヴィス・テオドール・ディア。幼く、これといった逸話もないため、称号名は与えられていない。生まれつき称号が定められたゲメッルスはかなり特殊な事例だ。
「あそぶ!」
スノッリはデリラの胸の辺りまで飛び上がったあとに綺麗に着地を決め、一足先に部屋の中へ飛び込んでいった。
「相変わらず元気ね〜、あの子は。それに話すのが上手くなってるわね」
「あの子はあの子なりに、毎日少しずつ成長しているよ。アデルもそうだろう?」
「……そうね」
デリラはため息混じりに返しただけだった。そしてスノッリが飛び込んだ客間に入ると、麦藁色の髪をした青い目の少年が、彼女の隣に座っている。
「こんにちは、叔父さま」
小さな体躯と折れそうなほど細い四肢をもつ少年は、サイラスの姿を見ると緩慢な仕草で立ち上がって礼をした。
彼こそがアデル・ディア。3代重なったいとこ婚の末に生まれた、ディア氏族の正統後継者である。
「久しぶりだね、アデル。具合はどうだい?」
「おかげさまで、大分良くなりました」
「ねえ、木!木!」
スノッリは木登りがしたいらしい。身体を前後に揺らし、中庭に生える庭木のひとつを指差している。下枝が伸び太い幹を持つそれは、確かに木登りには向いているだろう。
「スノッリ、アデルは木登り出来ないわ。もっと安全な遊びをして頂戴」
「あんでん?あそび?」
「おうちの中でする遊びってことよ」
「ええ〜……つみき」
スノッリは不服そうに口を尖らせた。
「ごめんね、スノッリ。お父さまが新しい積み木をくださったから、それで遊ぼう」
アデルは青い目を伏せる。普段庇護される立場である彼は、スノッリを妹のように可愛がっているが、それと同時に、活発な彼女の行動を制限することに負い目を感じていた。
とはいえ、スノッリはやり始めればどんな遊びも気に入る性格だ。すぐにでも機嫌は直るだろう。アデルの後について彼の部屋へ行く娘に手を振って、サイラスは姉に向き直った。
「そうだ、エイダも元気にやっているかい?」
「あの子が風邪引いたのなんて、3歳のときが最後よ。性格は相変わらずだけど、結婚が決まって肩の荷が降りたわ」
エイダは非常に丈夫な娘で、10歳のときに走る馬車から転落してもなお無傷だった逸話は、身分を問わず帝都で語り継がれている。
皇帝の血を引く健康な女となれば、結婚を望む者は多い。しかし祖父テオドールが他の氏族との婚姻を許さなかったため、彼女はアルタイルの妻となった。
「なにか飲む?レピダ、麦酒用意してちょうだい」
「麦酒は嫌だよ」
「はあ〜、我儘なやつ。じゃあワインね。フローの分もいれてやって」
側に控えていた奴隷に指示を出し、デリラはどかりとソファに座り込む。
「アンタは寝椅子使いなさいよ。出しといてあげたんだから。ほら、このクッション!アステリ製の綿で作ったのよ。ほら、早く寝て、感想は?」
「分かった、分かったから」
背中を叩いて急かされ、フロールフは面倒そうに眉を寄せながら、サイラスを横抱きにして寝椅子に座らせた。
「どう?あ、枕もあるわよ。最近裁縫にハマっちゃって」
「フレスコ画は?」
「続けてるに決まってるじゃない!興味あるの?アンタもやる?」
「いや、私は」
「そうだ、あと最近知ったんだけど、アステリの東の方だと、蘭の根を粉末にしてミルクやお茶に溶かすんだって。とろみがつくのよ」
「うん」
「その方がアデルも飲みやすいみたいなの。あの子、胃腸が弱いし。アンタもそうでしょ、やったほうがいいわよ」
「うん」
デリラが話し出すと、サイラスは完全に聞き役になる。
「私はレピダを手伝って参ります」
フロールフはわざとらしく微笑み、さっさと台所に消えていった。
「あいつ逃げたわね」
「呼び戻すかい?」
「まあ良いわ、ところで聞いた?ヴァネッサかレンブラントを告発しまくってる話」
趣味の話をしたと思えば、彼女は突然真剣な光を目に宿し、ソファに座ってサイラスと向かい合った。
「聞いているよ。今のところ、レンブラント殿以外に有力な容疑者が居ないこともね。皇帝としての威信にかけて、太陽殺しを未解決のままでは終わらせられない。恐らくレンブラント殿は……」
「アンタはどう思うの?」
「私と政治の話をすると、また母上に叱られるよ」
「あんな女の言うことなんて聞かなくたって良いわよ。自分だって息子がふたり死んでるくせに、アタシのことを散々出来損ない扱いして」
4人の男児が夭折したデリラに対し、フィアナは侍医を紹介したり、薬を勧めたりといったことを繰り返した。酒や夜更かしを控えるようにも言った。それが彼女にとっては煩わしかったのだろう。元来気質の合わないふたりは、デリラの結婚以降すっかり関係が悪くなってしまった。
そしてそれは、ヴァネッサとの関係にも言える。若い頃は人見知りの彼女を積極的に遊びに誘っていたデリラだが、アルタイルとエドガーが成長するとその交流は途絶えた。
ヴァネッサが、健康な男児を産んだことを鼻にかけるような物言いをするようになったのだ。
「そういえばクラヴィス、最近はあまり治療に積極的じゃないのよ。自分の息子のことなのに、頑張ってるのはアタシだけでやんなっちゃうわ」
趣味の話と、家族への不満。年を重ねるにつれ、デリラの話は後者の比率が多くなっている。
「クラヴィス様も、アデルを大切に思ってるよ」
「口と行動に出さないなら、何もないのと同じよ」
そこで、女奴隷のレピダがワインを運んできた。デリラはそれを受け取ると、血のように赤い液面をじっと見つめる。
「姉上?」
「ねえサイラス、アタシがあげた麦酒はどうだった?」
それは兄上に差し上げたよ─そう返そうとした瞬間、入り口から声がした。
「失礼、フィアナ・セレ様の遣いで参った者です」
「母上の?」
「使えない門番ねぇ……レピダ、追い返して!」
また、奔放な生活を戒める言伝だろうか。彼女に20年仕えるレピダが素早く玄関に向かう。
「いかがされましたか?」
「サイラス・セレ様がこちらにいらっしゃるとお伺いしましたので」
「え?」
漏れ聞こえたやり取りに、サイラスとデリラは顔を見合わせた。
「陛下が、アンタに何の用?」
「さあ」
心当たりは─無いことはない。サイラスはそれなりに秘密と悪事を積み上げている。真っ先に思い当たったのはレジナルドのことだった。
リロイの言葉が真実ならば、彼はディア氏族に残された、数少ない健康な男系男子である。その存在をテオドールが知れば─
─守るよ、リロイ。私はお前の主人で、あの子の父親だから
サイラスは、遠き記憶の中の姿を思いながら、右手を握りしめた。
第11章 生まれ落ちた罪【完】




