第五話 訓練
「この国には、古くから伝わる伝説がある」
王は、ゆっくりと言葉を継いだ。
「魔王を討った者は、いかなる願いでも一つだけ叶えられる。そう伝えられておる」
学生たちが、ざわめいた。
「いかなる願いでも……?」
「それって、もしかして」
「そうだ」
王は、灯のほうへ顔を向けた。
「元の世界へ帰りたいと願えば、それも叶うであろう。そなたらが帰るための鍵は、魔王を討つことにある」
灯の肩が、小さく震えた。
ほかの学生たちの顔にも、さっきまでとは違う色が浮かんでいる。
帰れる。帰れるかもしれない。そういう顔だ。
「もちろん、願いが叶った暁には、余からも礼をさせてもらう。この国を救った英雄に、相応の褒美を取らせよう」
王の声は穏やかだった。
ただ、俺はその言い方が少し引っかかった。
叶う「であろう」。伝えられて「おる」。
さっきの帰還の話のときと同じで、言い切っていない。
閻魔様も、言いにくいことを話すときはこうなる。
嘘はつかない。ただ、本当のことも全部は言わない。
それに、褒美の話をしたときだけ、王の口元が妙に軽かった。
ふと横を見ると、鑑定役の老人が王の背中を見ていた。
魔族の侵攻の話をしていたときもそうだった。
何を考えているのか読めない、乾いた目だ。
「では、ここからは娘から話させよう」
王に促されて、王の娘が前に出た。
胸の前で両手を重ね、学生たちに向かって丁寧に頭を下げる。
「セレスティア王国第一王女、エレノア・セレスティアと申します」
騎士が二人がかりで、エレノアの持っていた羊皮紙を左右から広げた。
地図だった。
大きな陸地が一つ、中央に描かれている。
その大半が、同じ色で塗られていた。
ただ、北の海に面した細長い一帯だけが、黒ずんだ色で塗りつぶされている。
陸地の北には海が広がり、さらにその向こうに、もう一つ陸地の端が見えた。
「これが、わたくしたちの暮らす大陸です」
エレノアの声は、思っていたよりもしっかりしていた。
「色で塗られている場所が、セレスティア王国の領土になります。いま皆様がいらっしゃる王都は、ここ」
細い指が、大陸の中ほどを指した。
ほかより少し大きな印が描かれている。
「そして、北の海の向こうにあるのが、魔族の住まう大陸です」
エレノアの指が、地図の上端へと滑った。
そこだけ、陸地の形が途中で途切れている。海の向こうのことは、よくわかっていないのかもしれない。
「魔族は海を越えて攻めてまいりました。黒く塗られたこの一帯が、すでに魔族の手に落ちた土地です。落ちた土地との境には、いまも兵が守りを固めています」
エレノアの指先が、黒い帯の縁をなぞった。
俺は地図を眺めた。
いくつもの国が落ちた、と王は言っていた。
そのわりに、黒い帯はずいぶん細い。
「うわ、マップきた」
髪を染めた男子が、小声で言った。
隣の奴に脇腹を小突かれている。
絵図のようなものは地獄にもあるが、ここまで細かく描かれたものは見たことがない。
川の流れ、山の連なり、街の印。
この国が、自分たちの土地をどれだけ丁寧に調べてきたかがわかる。
「それから、こちらをご覧ください」
エレノアの指が、王都から東へと動いた。
そこには、濃い緑で塗られた広い一帯があった。
「王国の東部に広がる大森林です。魔物が多く棲みついており、騎士団が定期的に討伐に出ています」
エレノアは、一度だけ王の顔を見た。
王が小さくうなずくと、エレノアはまた前を向いた。
「皆様には一月後、この森で実践訓練を行っていただきます。騎士団とともに森へ入り、実際に魔物を狩っていただく予定です」
部屋の空気が、少し変わった。
「魔物って……本物の?」
「狩るって、殺すってことだよな」
「それまでに、皆様が戦えるよう、騎士団が責任をもってお鍛えいたします」
エレノアは、そう言って深く頭を下げた。
顔を上げたとき、その目がほんの一瞬だけ揺れたように見えた。
「明日より、そなたらには騎士団の訓練に加わってもらう」
王が、話を引き取った。
「食事と部屋は、この王宮の中に用意させよう。不自由はさせぬ」
王が片手を上げると、玉座の脇から二人の男が進み出た。
一人は、大柄な騎士だった。
黒い髭に覆われた顔に、古い傷がいくつも走っている。
男は学生たちの前で足を止め、鎧の胸を拳で一度叩いた。
「セレスティア王国騎士団長、ベルンハルト・グラウだ。職業は大剣士。明日からお前たちを鍛える」
腹の底に響くような声だった。
前のほうにいた何人かが、思わず背筋を伸ばす。
「剣を握ったこともない者がほとんどだろう。構わん。一月で、魔物の前に立てる体にしてやる」
もう一人は、深い青の衣を着た細身の男だった。
ベルンハルトの隣に並ぶと、ちょうど半分ほどの厚みしかない。
「魔法師団長、セオドール・リンデと申します。職業は高位魔導士。魔法を授かった方々の指導は、私どもが受け持ちます」
セオドールは、灯のほうへ穏やかに目を向けた。
「大魔導士の方とご一緒できるとは、光栄です。……もっとも、すぐに教えることがなくなってしまいそうですが」
灯は顔を赤くして、小さく頭を下げた。
◇
訓練は、翌朝から始まった。
そして初日で、俺たちははっきりと二つに分けられた。
勇者、剣聖、大魔導士、聖騎士、弓聖。
上級の職業を授かった連中は、騎士団長と魔法師団長が直々に指導する。
王宮の奥にある、手入れの行き届いた訓練場を使うらしい。
部屋も一人一部屋。窓からは庭園が見え、寝台には天蓋までついているそうだ。
それ以外の連中は、一般の騎士団員に混ざって訓練を受ける。
場所は、兵舎の裏の土埃まみれの広場だ。
部屋は四人で一つの相部屋。寝台は木の板に藁を敷いただけだった。
俺はもちろん、後者だ。
透も、後者だった。
ついでに言えば、部屋も同じだった。
……関わる気はないと、何度思ったか。
「遅い! 足を止めるな!」
広場に、怒鳴り声が響いた。
訓練三日目。
朝から広場の外周を走らされ、それが終わると木剣の素振りだ。
教官役の騎士は、相手が異世界人だろうとお構いなしだった。
というより、上級の連中に気を遣っている分の鬱憤を、こっちで晴らしている節がある。
「おい、そこの! 空器だったか? 何本振った!」
「……ご、五十……」
「百だと言っただろうが!」
透が、木剣を握ったまま膝に手をついていた。
肩で息をしている。顔は真っ青だ。
周りの学生たちが、くすくすと笑った。
「空気くん、空気吸うの下手じゃね?」
「スキル使えば楽になんじゃないの、魔素吸収」
透は何も言い返さず、また木剣を構えようとした。
腕が震えて、切っ先が定まらない。
「はいはい、そこまで」
気の抜けた声がした。
振り向くと、中年の騎士が一人、のんびりした足取りで近づいてきていた。
短く刈った髪に白いものが混じり、無精髭が伸びている。
鎧の留め具は半分外れているし、腰の剣も少し傾いている。
ほかの騎士たちと比べると、どうにも締まりのない男だった。
「ロイドさん、まだ訓練中ですが」
教官役の騎士が、わずかに姿勢を正した。
さっきまでの怒鳴り声が嘘のように、声が小さい。
「わかってるって。そうカッカすんな。お前だって新入りの頃は、三日目で吐いてたろ」
「……その話は、今はいいでしょう」
教官役の騎士が、ばつの悪そうな顔で目を逸らした。
ロイドと呼ばれた騎士は、からからと笑いながら透の肩をぽんと叩いた。
腰に下げた革袋を外して、透に差し出す。
「ほれ、水。ゆっくり飲め。一気に飲むと吐くぞ。そこの先輩みたいにな」
「……ありがとう、ございます」
「初日から飛ばす奴ほど、先に潰れるんだよ。お前さん、三日目でまだ立ってるだけ上等だ」
ロイドは透の手から木剣を取ると、握り方を少しだけ直してやった。
「力入れすぎ。剣ってのはな、腕で振るんじゃなくて、腰で振るんだ。腕は添えるだけ。……まあ、最初は誰でもそうなる」
透は戸惑ったように、自分の手元とロイドの顔を見比べていた。
この世界に来てから、まともに声をかけられたのは初めてなのかもしれない。
笑っていた学生たちは、いつの間にか素振りに戻っていた。
教官役の騎士も、それ以上は何も言わなかった。
◇
昼の休憩は、広場の隅の木陰で取った。
黒いパンと、塩辛いスープ。上級の連中は今頃、白いパンと肉を食べているらしい。
別に文句はない。地獄の食堂よりはましだ。
「隣、いいか?」
顔を上げると、ロイドが自分の椀を持って立っていた。
俺が何か答える前に、さっさと隣に腰を下ろす。
「火の魔法使いの……シキ、だったか」
「はい」
「お前さん、疲れてねえな」
スープをすすりながら、ロイドがぼそりと言った。
「……そうでもないですよ」
「嘘つけ。三日間、汗一つかいてねえだろ」
俺は黙ってパンをかじった。
確かに、この程度の訓練で疲れるような体ではない。
学生の姿に変えてはいるが、中身は獄卒のままだ。
加減して走って、加減して剣を振って、それでも息が上がらないのはどうしようもなかった。
「それに、剣の振りが妙に様になってる。足の運びもな。火の魔法使いってのは、そういうもんか?」
「才能がないので、せめて剣くらいはと」
「ふうん」
ロイドは、それ以上追及しなかった。
椀を傾けて、最後の一滴までスープを飲み干す。
「まあ、言いたくねえことは聞かねえよ。誰にだって、一つや二つはあるもんだ」
ロイドは空になった椀を膝に置き、広場のほうを眺めた。
透が、木陰の反対側で一人、黙ってパンを食べている。
「長いこと騎士やってるとな、わかることがある」
「なんです」
「目立つ奴から死ぬ」
軽い口調だった。
ただ、その目は少しも笑っていなかった。
「だから、お前さんのやり方は間違っちゃいねえと思う。……ただな」
ロイドが、ちらりと俺を見た。
「鑑定のときの爺さんが、お前さんのこと聞いてきたぞ。どんな奴かってな」
スープの椀を持つ手が、止まった。
「なんて答えたんです」
「火の魔法使いの、地味な坊主ですって」
ロイドは肩をすくめ、よっこらせと立ち上がった。
「さて、午後も頑張るか。あ、それと」
去り際に、ロイドは透のほうを顎で示した。
「あいつ、同じ部屋だろ。たまにでいいから、気にかけてやってくれ。俺一人じゃ目が届かねえ」
返事を待たずに、ロイドは広場のほうへ歩いていった。
俺は、残りのパンを口に放り込んだ。
頼まれてしまった。
……頼まれると、断れないのだ。
まったく、悪い癖だと思う。




