第四話 鬼火
宝珠の前に立つと、思っていたより大きかった。
人の頭ほどと言ったが、近くで見るともう一回り大きい。
透明な玉の中で、光の粒がゆっくりと渦を巻いている。
そのたびに、周りの魔素が細い糸のように引き寄せられていくのがわかった。
「どうぞ、手を」
老人に促されて、右手を伸ばした。
問題は、ここからだ。
俺は呼ばれてここに来たわけではない。
異世界人に宿るという力が、俺に宿っているとは思えない。
宝珠が何も映さないのはいいとして、変に光ったり、割れたりしたら目も当てられない。
指先が、冷たい表面に触れた。
宝珠の中の粒が、ふっと揺れた。
それから、ろうそくの火ほどの弱い光が灯り、すぐに消えた。
俺は宝珠の中を覗き込んだ。
何も書いていない。
しばらく待ってみたが、やはり何も浮かんでこなかった。
光の粒が、どこか居心地悪そうにくるくると回っているだけだ。
「……見えますかな」
老人が尋ねた。
背中に、部屋中の視線が刺さっている。
俺は宝珠から目を離さないまま、頭の中で決めていたことを口にした。
「火の魔法使い」
「ほう」
「スキルは……【初級火魔法】。それだけです」
一拍置いて、後ろから気の抜けた声が聞こえた。
「地味っ」
髪を染めた男子だった。
隣の奴に肘でつつかれて、慌てて口を押さえている。
「いや、でも普通にいいじゃん。魔法使えるし」
「空気くんよりはマシだろ」
「それな」
笑い声が少しだけ起きて、すぐに収まった。
さっきの透のときほどの盛り上がりはない。誰もがもう、半分興味を失っている。
狙いどおりだ。
老人だけが、まだ宝珠と俺を交互に見ていた。
「火の魔法使い。初級でございますか」
「はい」
「光が、ずいぶんと弱うございましたな」
「……才能がないんでしょうね」
「ふむ」
老人は顎の白い髭をしごいた。
「失礼ながら、一度灯してみていただけますかな。授かったばかりのスキルがどの程度のものか、確かめておきとうございます」
来た。
とはいえ、これも考えてはいた。
初級というくらいだから、大きな火を出す必要はない。
俺は右手の人差し指を立てた。
体の奥にあるものを、ほんの爪の先ほどだけ、指先に寄せる。
ぽ、と小さな火が灯った。
ろうそくの火と同じくらいの大きさだ。
風もないのに、ゆらゆらと揺れている。
色は普通の火と同じ、橙色にしておいた。
これは鬼火だ。
この世界の火の魔法ではない。地獄で亡者を焼くのに使う、あの業火の、ほんの小さなひとかけらだ。
地獄には、妖気というものがある。
この世界でいう魔素みたいなものだ。
で、鬼が持っている妖気を、鬼気と呼ぶ。
この火も、その鬼気で灯している。
本気で出せばこの部屋ごと灰にできるが、今そんなことをする理由はない。
「おお、ちゃんと出てるじゃん」
「ろうそくかよ」
「いや、初級ってこんなもんでしょ」
学生たちの反応は、その程度だった。
騎士たちも、ちらりと見ただけで興味をなくしたようだった。
玉座の王に至っては、最初から俺のほうを見てもいない。
「……なるほど」
老人が、ゆっくりとうなずいた。
ただ、その目が、俺の指先の火から離れなかった。
灰色の眉がわずかに寄り、皺の奥の目が細くなる。
「火は、確かに灯っておりますな」
「はい」
「……魔素の流れが、ほとんど感じられぬのですが」
指先の火が、一瞬だけ揺れた。
まずい、と思った。
周りの学生たちはともかく、この老人は魔素を感じ取れる側の人間らしい。
この火に、魔素は使っていない。
見る奴が見れば、何も動いていないのに火だけがあるように見えるのだろう。
老人はしばらく俺の火を見つめていた。
それから、ふっと息を吐いた。
「まあ、才の乏しい者ほど、魔素の扱いがか細くなるもの。儂の感知が鈍ったのやもしれませぬな。歳には勝てぬ」
「……そうですか」
「結構。お下がりくだされ」
俺は火を消して、宝珠から一歩下がった。
背中に、まだ老人の視線を感じる。
納得したような顔をしてはいるが、腹の底ではどうだかわからない。
あの爺さんには、今後なるべく近づかないほうがよさそうだ。
列の脇へ戻ると、近くに透が立っていた。
透は、俺の手元をじっと見ていた。
さっき火を灯していた、人差し指のあたりだ。
目が合うと、透はすぐに視線を逸らした。
……何か、気づいたのか?
いや、まさか。あいつも今日この世界に来たばかりだ。
ただ、ほかの奴らと違って、ずっと静かに周りを見ている奴ではある。
覚えておこう。関わる気はないが、覚えておくだけなら面倒はない。
◇
「以上で、全員の鑑定が終わりましたな」
老人が杖を鳴らし、玉座のほうへ向き直った。
王が、ゆっくりと立ち上がる。
部屋の空気が、また引き締まった。
「異世界の方々よ」
王の声が、高い天井に響いた。
「まずは礼を言わせてほしい。突然の呼びかけに戸惑われたであろうに、よくぞ鑑定に応じてくださった」
王は、学生たちをゆっくりと見渡した。
「勇者。剣聖。大魔導士。伝承に名を残す職業が、こうして一度に揃うとは。余の代でこの光景を目にするとは、思うてもみなかった」
王の目が、天城のところで止まり、それから久我、灯へと移っていく。
透のところでは、止まらなかった。
俺のところでも止まらなかったが、それはまあ、いい。
「さて」
王が両手を広げた。
「そなたらには、まだ聞きたいことが山ほどあろう。この国のこと、魔族のこと、授かった力のこと。そして――」
王の視線が、灯のところで一瞬だけ止まった。
「元の世界のこともな」
灯が、はっとしたように顔を上げた。
学生たちの何人かも、息を呑む。
王は、それに気づかないふりをして続けた。
「では、これからのことについて話そう。そなたらが、この国でどのように過ごし、何をすべきかを」
騎士たちが、扉の前に並び直した。
王の娘が、一歩前に出る。手には、丸めた羊皮紙のようなものを持っていた。
学生たちは、固唾を呑んで王を見上げている。
天城も、久我も、灯も。
その中で、透だけが、少し離れた場所でうつむいていた。
俺は懐の副本に、服の上から手を当てた。
本当の仕事は、ここからだ。
ここにいる連中は、一人残らず六道に連れ帰る相手だ。
勇者だろうと、空気くんだろうと、そこは変わらない。
それに、閻魔様の話では、消えた魂はここ数年でずいぶん増えていた。
今日呼ばれたのがこいつらだけだとしても、前にも同じように呼ばれた奴がいるかもしれない。
どうやって呼んでいるのか。なぜ呼べてしまうのか。
確かめることは山ほどある。
……ただ、まあ。
まずは、王様の話を聞くとしよう。




