第三話 鑑定
光が引いていく。
白く染まっていた部屋に、少しずつ色が戻ってきた。
宝珠の前で、天城が右手を伸ばしたまま固まっている。
目を見開き、宝珠の表面をじっと見つめていた。
「……見えますかな」
灰色の衣の老人が、静かに尋ねた。
「宝珠に映る文字は、触れたご本人にしか見えませぬ。お手数だが、何と映ったか、お聞かせ願いたい」
本人にしか見えない。
俺は思わず、列の後ろから宝珠に目を凝らした。
確かに、透明な玉の中で光の粒が渦を巻いているだけで、文字らしきものは何も見えない。
ほかの学生たちも首を伸ばしているが、誰も何も読めていない顔だ。
……ということは、本人が何と言おうと、周りには確かめようがないのか。
「勇者……」
天城が、かすれた声で言った。
「職業、勇者。スキルは【聖剣技】、【光魔法・上級】、【限界突破】……って書いてあります」
一拍置いて、部屋がどよめいた。
騎士たちが一斉に姿勢を正し、何人かは片膝をついた。
老人が杖を握る手に力を込め、玉座の王がゆっくりと立ち上がる。
「勇者……まさしく、伝承の通りよ」
王の声には、隠しきれない熱がこもっていた。
隣の娘は、胸の前で組んだ手をきつく握っている。
「マジかよ天城!」
「勇者って、一番すごいやつじゃん!」
学生たちが沸いた。
さっきまで誘拐だの無理だの言っていた連中が、手のひらを返したように騒いでいる。
天城本人は、自分の手のひらを見つめたまま、まだ実感がないような顔をしていた。
「次の方」
老人に促されて、久我が前に出た。
肩を回し、首を鳴らしてから、ためらいなく宝珠に手を置く。
また光があふれた。さっきほどではないが、それでも十分に眩しい。
「……剣聖。スキルは【剣技・極】、【見切り】、【パリィ】」
「剣聖とな」
老人が目を細めた。
「剣の道を極めた者にのみ与えられる職業でございます。この国の歴史を振り返っても、剣聖を授かった者は数えるほどしかおりませぬ」
「へえ」
久我は短く言っただけだった。
だが、口の端がわずかに上がっているのを、俺は見逃さなかった。
そこからは、ほとんど祭りのようだった。
重騎士。弓聖。聖騎士。治癒術師。
宝珠が光るたびに、強そうな名前が読み上げられ、そのたびに歓声が上がる。
騎士たちの顔からも、最初の値踏みするような色が消えていた。代わりに浮かんでいるのは、期待と、少しの畏れだ。
「魔法剣士きたあああ!」
髪を明るく染めた男子が、宝珠の前で両手を突き上げた。
「スキル【属性付与】【二刀流】! チートじゃん、完全にチートじゃん!」
「うるせぇよ」
「いや、だって魔法剣士だぞ!?」
すてえたすも、ちいとも、相変わらず意味はわからない。
ただ、あいつがこの上なく喜んでいることだけはよくわかった。
列が進んでいく。
俺は最後尾で、一人ひとりの様子を見ていた。
宝珠に手を置く。光る。読み上げる。周りが騒ぐ。
同じことの繰り返しだが、見ているうちにわかってきたこともある。
光の強さは、人によって違う。
天城のときが一番強く、久我がそれに続いた。
強い職業ほど、光も強いらしい。
それから、宝珠に触れている間、周りの空気が微かに動く。
あの、肌の上を流れる砂のような感触。魔素が、宝珠に向かって吸い寄せられているのだ。
学生たちは誰も気づいていないようだった。
「次の方」
灯の番だった。
灯は一度だけ透のほうを振り返り、それから前に出た。
宝珠に手を置く。
光が、天城のときに劣らないほどの強さで弾けた。
「……大魔導士」
灯が、自分でも信じられないという顔で言った。
「スキルは、【全属性適性】と、【上級魔法】……【魔力効率上昇】、です」
老人が、はっきりと息を呑んだ。
「大魔導士……!」
しわがれた声が、わずかに震えている。
「あらゆる属性の魔法を極めうる職業でございます。古の大魔導士は、たった一人で城壁ごと敵軍を焼き払ったと伝わっております。火炎の大魔法、それも最上級のものを、息をするように操ったと」
学生たちが、今日一番の声を上げた。
灯は顔を赤くして、困ったように笑っている。
火炎の大魔法、か。
城壁ごと敵を焼き払う火。
どの程度のものかは知らないが、地獄の業火に比べれば、たぶん大したことはない。
大したことはないが、この世界の人間にとっては、それが一番上ということだ。
頭の中で、少しずつ考えがまとまっていく。
宝珠の文字は、本人にしか見えない。
つまり、俺が宝珠に触れて何が映ろうと、あるいは何も映らなかろうと、口で言ったことがそのまま俺の職業になる。
火なら、扱い慣れている。
そして火の頂点には、大魔導士がいる。
その下のほうで、ちょっと火が使える程度の奴がいたところで、誰も気に留めないだろう。
悪くない。
「次の方」
老人の声で、我に返った。
前を見ると、透が宝珠の前に立っていた。
さっきまでの騒ぎが、少しだけ静かになる。
誰かがひそひそと何か言い、誰かが小さく笑った。
灯が、人の輪の外から心配そうに透を見ている。
透は、ゆっくりと宝珠に手を伸ばした。
指先が触れる。
光った。
ただ、ほかの誰とも違った。
光は、弾けなかった。
宝珠の中の粒がふわりと明るくなり、それから、透の手のひらに吸い込まれるように消えていった。
部屋は眩しくもならなかった。ほんの少し明るくなって、すぐに元に戻っただけだ。
同時に、肌の上の砂の感触が、透に向かってすうっと流れるのを感じた。
ほんのわずか。気のせいだと言われればそれまでの量だ。
俺は眉を寄せた。
「……見えますかな」
老人が尋ねた。
透は、宝珠に手を置いたまま、しばらく黙っていた。
「透くん?」
誰かが急かすように言う。
「……空器、です」
「くうき?」
「空っぽの、器って書いて……くうき」
老人の眉が、ぴくりと動いた。
「空器……」
老人は、杖をついたまま宝珠を覗き込み、それからゆっくりと首を横に振った。
「記録にない職業でございますな。少なくとも、儂の知る限りでは」
ざわ、と空気が揺れた。
「スキルは」
「【魔素吸収】と、【魔素放出】……です」
「魔素を、吸って……放つ」
老人は確かめるように繰り返し、少し考え込んだ。
「大気の魔素を取り込み、また吐き出す、ということでございましょうか。……ほかには、何か」
「……それだけ、です」
沈黙が落ちた。
さっきまでの熱が、嘘のように引いていく。
騎士たちが顔を見合わせた。
玉座の王は、表情一つ変えずに透を見下ろしている。その隣で、王の娘が小さく目を伏せた。
「くうき?」
沈黙を破ったのは、学生の誰かだった。
「くうきって、空気じゃん」
誰かが吹き出した。
それが合図だったみたいに、あちこちで笑いが漏れる。
「空気吸って、吐くだけ?」
「それ、ただの呼吸じゃね?」
「やば、空気くんじゃん」
「ちょっと、やめなよ」
灯が鋭い声を上げた。
笑い声は少しだけ小さくなったが、消えはしなかった。
透は何も言わなかった。
宝珠からそっと手を離し、眼鏡の位置を直して、列の脇へ下がっていく。
前髪に隠れて、表情は見えない。
灯が、透のほうへ一歩踏み出しかけた。
「灯ちゃん、大魔導士ってほんとすごいよね!」
「あとで魔法のこと教えてよ。私、治癒術師だったし、一緒に練習しよ」
周りの女子たちに囲まれて、灯の足が止まる。
灯は透の背中と、自分を囲む顔を見比べた。
何か言いかけて、小さく笑顔を作り、女子たちのほうへ向き直った。
その笑顔が少しだけ引きつっているのに、たぶん誰も気づいていない。
天城が、透の背中を目で追っていた。
口を開きかけて、閉じる。結局、何も言わなかった。
久我は腕を組んだまま、黙って前を見ている。
空気くん、か。
うまいことを言ったつもりなのだろう。
実際、何人かは面白そうに笑っている。
ただ、俺の頭に残っていたのは、さっきの光だった。
ほかの奴らの光は、外に向かって弾けていた。
あいつの光だけが、内側に吸い込まれていった。
それが何を意味するのかは、わからない。
わからないし、関わる気もない。
……ないはずなんだが。
「では」
老人が、列の最後に目を向けた。
つまり、俺だ。
「最後の方。どうぞ、前へ」
部屋中の視線が、こちらに集まる。
空気くんの直後で、みんなの興味はまだ半分そっちに残っているようだった。
ちょうどいい。
俺は内ポケットの金棒の重みを確かめてから、宝珠の前へ歩き出した。
さて。どうごまかしたものか。




