第二話 異世界
「余は、セレスティア王国の王である」
冠の男の声は、広い部屋の隅々までよく通った。
学生たちは誰も口を開かない。開けない、と言ったほうが正しいかもしれない。
「突然のことで、さぞ驚かれていることであろう。まずは、そなたらの身に何が起きたのかを話させてほしい」
王はそう言って、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
隣の娘は、両手を組んだまま目を伏せている。
「ここは、そなたらが暮らしていた世界とは異なる世界だ。我らは、そなたらのような者を異世界人と呼んでいる」
ざわ、と学生たちの間に声が広がった。
「異世界って……」
「え、マジで言ってる?」
「古くからの伝承によれば、そなたらの世界にはない力――魔法が、この世界には存在する。我がセレスティア王国は、その魔法によって発展を遂げてきた国だ」
王は構わず続けた。
「大気には魔素と呼ばれる力が満ちており、我らはそれを用いて火を起こし、水を呼び、傷を癒やす。城の灯りも守りも、民の暮らしの多くも、魔法に支えられておる。また、魔素を宿した獣、魔物もおる。これも、そなたらの世界にはおらぬと伝承にある」
魔素。
言われて、ようやく合点がいった。
ここに着いたときから、空気の中に何か薄いものが漂っている気がしていた。
地獄の空気とも、現世の空気とも違う。肌の上を、細かい砂がさらさらと流れていくような感触だ。
あれが魔素というやつらしい。
「そして今、この世界は危機に瀕している」
王の声が、少し低くなった。
「北の大陸に住まう魔族が、海を越えて侵攻を始めた。魔族は人よりも強靭な体と、強大な魔法の力を持つ。すでにいくつかの国が、奴らの手に落ちた」
部屋の空気が重くなった。
騎士たちの何人かが、兜の奥で歯を食いしばったのがわかった。
「魔族を率いるのは、魔王と呼ばれる存在だ。魔王が健在である限り、魔族の侵攻は止まらぬ。このままでは、遠からず人の世は終わるであろう」
魔法に、魔物に、魔族に、魔王。
魔のつく言葉が多すぎる。
魔族というのは、話を聞く限り鬼のようなものだろうか。
人より強くて、人を襲う。地獄にも似たような連中はいくらでもいる。
魔王は、その親玉か。
閻魔様の親戚、ということはないだろう。たぶん。
「ちょっと待ってください」
声を上げたのは、天城だった。
学生たちの前に一歩出て、まっすぐ王を見上げている。
「この世界が大変なのはわかりました。でも、それが俺たちと何の関係があるんですか」
王は、天城の目をしばらく見つめ返した。
それから、静かに答えた。
「そなたらを呼んだのは、余だ」
学生たちが息を呑んだ。
「この国には、古くからの言い伝えがある。人の世が魔に呑まれんとするとき、異世界より来たりし者が魔を討つ、と。異世界から呼ばれた者には、この世界の人間を遥かに超える力が宿るのだ」
王は、椅子から身を乗り出した。
「どうか、魔族と戦ってほしい。そして、魔王を打ち倒してほしい。これは王としての命令ではない。この世界に生きる者としての、願いだ」
王が頭を下げた。
隣の娘も、それに倣って深く腰を折った。
しばらく、誰も何も言わなかった。
「……は?」
沈黙を破ったのは、学生の誰かだった。
「戦えって、俺らに? 無理だろ、普通に」
「てか、これ誘拐じゃん。勝手に呼んどいて」
「待って待って、マジで勇者召喚ってこと?」
一人だけ、妙に声の弾んでいる男子がいた。
髪を明るく染めた、さっき薄い板を覗き込んでいた奴だ。
「じゃあさ、ステータスとか見れんの? チートスキルとかあるやつ?」
「お前、なんで嬉しそうなんだよ」
「いや、だって異世界だぞ!」
すてえたす。ちいと。
何を言っているのかさっぱりわからない。
現世の若い連中の言葉は、地獄の亡者の方言よりよほど難しい。
「あの」
ざわつく中で、女子が一人、おずおずと手を挙げた。
灯だった。透の隣に立ったまま、王をまっすぐ見ている。
「私たち、元の世界に帰れるんですか」
部屋が、また静かになった。
王はすぐには答えなかった。
隣の娘が、組んだ手にぎゅっと力を込めたのが見えた。
「……その件については、後ほど改めて話をさせてほしい」
答えになっていない。
学生たちも気づいたのだろう。不安そうな顔があちこちで見合わされている。
はぐらかし方が、閻魔様にちょっと似ていた。
ああいう言い方をするときは、だいたい言いにくい話が控えている。
「まずは、そなたらに宿った力を確かめさせてほしい」
王が片手を上げると、部屋の脇の扉が開いた。
入ってきたのは、灰色の長い衣を纏った老人だった。
後ろに従う若い男二人が、布をかけた台を慎重に運んでくる。
台が玉座の前に据えられ、布が取り払われた。
現れたのは、人の頭ほどもある透明な玉だった。
中に細かい光の粒が浮かんでいて、ゆっくりと渦を巻いている。
「これは鑑定の宝珠。手を触れた者の内に宿る職業と、授けられたスキルを映し出す」
老人が、しわがれた声で説明した。
「異世界人の方々には、皆、強き職業とスキルが宿っておるはず。お一人ずつ、宝珠に手を触れていただきたい」
「職業って、勇者とか?」
「うむ。勇者、剣聖、大魔導士。言い伝えに残る職業は、どれも並の者では授かれぬものばかりよ」
染めた髪の男子が、拳を握りしめた。
ほかの学生たちも、不安と期待が半々といった顔で宝珠を見ている。
俺はというと、別のことを考えていた。
職業とスキル。
話を聞く限り、異世界から呼ばれた者には、呼ばれた時点で何かしらの力が与えられているらしい。
問題は、俺が呼ばれていないことだ。
俺は閻魔様の門を通って、勝手にここへ紛れ込んだだけだ。
職業とやらが宿っているとは思えない。
あの玉に手を触れたら、何が映るのか。何も映らないならまだいい。
うっかり角でも映ったら、目も当てられない。
「俺から行きます」
天城が、真っ先に前に出た。
それを合図にしたように、学生たちがぞろぞろと動き出す。
騎士の一人が、宝珠の前に一列に並ぶよう声をかけた。
俺は人の流れに逆らわず、そのまま列の一番後ろへ回った。
まずは様子見だ。
何が起きて、どう振る舞えばいいのか。
知らないものに手を出すのは、それがわかってからでいい。
獄卒になったばかりの頃、それを怠って痛い目を見たことは一度や二度じゃない。
列の後ろのほうには、透と灯がいた。
灯は透の袖を引いて、何か小声で話しかけている。
透は小さくうなずくだけだった。
「最後尾がお似合いじゃん」
前のほうから、誰かがぼそりと言うのが聞こえた。
灯がそちらを睨んだが、言った本人はもう前を向いている。
関わらない。関わらない。
透が、ふと後ろを振り返った。
俺と目が合うと、少し驚いた顔をした。俺がいることに気づいていなかったらしい。
「あ……ごめん。前、どうぞ」
「いい。俺は最後でいい」
「……そう」
透は、それきり前を向いた。
灯が、透越しにちらりと俺を見た。誰だろう、という顔だった。
列の先頭で、天城が宝珠の前に立った。
部屋中の目が、天城の背中に集まる。
天城は一度だけ深く息を吸って、右手をゆっくりと宝珠に伸ばした。
指先が、透明な表面に触れる。
次の瞬間、宝珠の中の光の粒が一斉に弾け、部屋が白く染まるほどの光があふれ出した。
……さて。
とりあえず、見て覚えるとしよう。




