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第十四話 変化

 森から戻って、五日が過ぎた。


 王宮の空気は、出発前とはどこか違っていた。


 上級の連中は、相変わらず王宮の奥の訓練場で剣を振っている。

 ただ、その周りに人が増えた。

 騎士や侍女が、休憩のたびに冷たい果実水や焼き菓子を運んでくる。

 訓練を見物に来た貴族らしい男たちが、勇者殿、剣聖殿と口々に褒めそやしている。


 兵舎裏の広場からも、その様子は渡り廊下越しに見えた。


「なんか、向こうすごいことになってない?」


「勇者様のおかげで国が救われる、とか言われてたぞ」


「いいよなあ、上級は」


 中級と下級の連中は、黒いパンをかじりながら、渡り廊下のほうを羨ましそうに眺めていた。


 俺たちの扱いは、何も変わっていない。

 広場の土埃も、塩辛いスープも、藁の寝台も、森に行く前と同じだ。


 変わったのは、人数だった。


 広場に出てくる者が、何人か減っていた。

 森で魔物を前に剣を捨てた者や、戦いの後から口を利かなくなった者たちだ。

 部屋にこもったまま、食事の時間にも姿を見せない。

 教官役の騎士は、彼らを呼びに行こうともしなかった。


 ◇


 天城の肩は、三日で治った。


 治癒術師の女子が付きっきりで魔法をかけたらしい。

 治ったその日から、天城は以前にも増して訓練に打ち込むようになった。


 朝は誰よりも早く訓練場に出て、夜は誰よりも遅くまで剣を振っている。

 渡り廊下から見える天城の剣は、森に行く前よりも鋭くなっていた。


 ただ、顔つきが少し変わった。


 前は、言われたことを言われたとおりにこなす、優等生の顔だった。

 今は、何かに追い立てられているような顔をしている。


 髪を染めた男子は、逆に、やけに明るくなった。

 三浦という名前だと、食堂で誰かが呼んでいるのを聞いて知った。


「いやー、あのときはマジでヤバかったわ! でもさ、俺、生き延びたじゃん? これってもう、主人公補正ってやつでしょ!」


 食堂で、周りに聞こえるような大声で笑っている。

 森から戻った翌朝、膝を抱えて口も利かなかったのと同じ奴とは思えない。


 笑い声が、少し大きすぎた。


 久我は、黙っていた。

 黙って、刃こぼれした剣を新しいものに替え、黙って騎士団長と打ち合っている。

 ただ、その打ち込みには、以前にはなかった容赦のなさがあった。


「俺たちさ、もっと強くならなきゃな」


 誰かが言った。


「そうだよ。次はもっと上手くやれる」


「ホブゴブリンだって、一対一なら勝てたんだし」


「強くなれば、怖くないって」


 食堂のあちこちで、そんな声が上がっていた。

 怪我をして、死にかけて、それでも前を向こうとしている。

 見ようによっては、立派なものだ。


 ただ、俺の目には、少し違って見えた。


 怖かったのだ。

 森で、死にかけて、本当に怖かった。

 だから、その怖さを、強くなるという言葉で塗り潰そうとしている。


 まあ、人間とはそういうものだろう。

 地獄の亡者にも、似たような顔をした奴はいくらでもいた。


 ◇


 相部屋の二人も、少し変わった。


「なあ、シキ」


 夜、寝台に腰かけていると、向かいの寝台から声がかかった。


 森でホブゴブリンに襲われて、尻もちをついていたほうだ。

 名前は小野という。

 この一月、同じ部屋で寝起きしていたのに、ちゃんと名前を覚えたのは森から戻ってからだった。


「お前の火の出し方、俺にも教えてくれよ」


「なんでだ」


「なんでって、強かったじゃん、あれ。初級であんなの出せるなら、俺だって」


 小野の職業は、確か土の魔法使いだったはずだ。

 下級の、さして珍しくもない職業。


「職業が違うだろ」


「わかってるって。でもさ、コツとかあるだろ。魔素の集め方とか」


 小野は、身を乗り出してきた。

 その目が、妙に必死だった。


「俺、もう、ああいうのは嫌なんだよ。何もできないで、尻もちついて、死ぬかと思ってさ」


 俺は、少しだけ考えた。


「……集めた魔素を、こぼさないようにしろ。手のひらの真ん中で、ねじるみたいにして」


「ねじる?」


「釜の熱を、逃がさないようにするのと同じだ」


「釜……?」


 小野は首をかしげたが、それでも、自分の手のひらを見つめて何度もうなずいていた。


 もう一人の、坂口のほうは、寝台の上で黙って天井を見ていた。

 森で吐いて、それでも午後には透をからかっていた奴だ。

 森から戻ってからは、透に何も言わなくなった。

 かといって、口を利くわけでもない。


 透は、いつものように隅の寝台で、静かに目を閉じていた。


 眠っているわけではない。

 吸っているのだ。


 森に行く前よりも、透の周りの魔素の流れがずっと大きくなっていた。

 前は自分の体ほどだった見えない袋が、今はその倍以上ある。

 それでもまだ、吸い足りないとでもいうように、透は息をするように魔素を吸い続けていた。


 ◇


 その夜、俺は寝台の上で、ずっと考えていた。


 森で、こいつらは死にかけた。

 俺が動かなければ、何人かは死んでいただろう。


 この先も、同じことが続く。

 王はこいつらを戦わせるつもりだ。

 魔物と、いずれは魔族と。

 そのたびに、誰かが死にかけ、いつかは本当に誰かが死ぬ。


 その前に、連れ帰るべきではないのか。


 一番手っ取り早いのは、殺すことだ。


 魂さえ六道に連れ帰ればいいのだから、体はいらない。

 一人ずつ、苦しまないように眠らせてやれば、それで済む。

 地獄の獄卒からすれば、ごく当たり前の考え方だ。


 だが、すぐに打ち消した。


 この世界で死んだ魂が、どこへ行くのか、俺はまだ知らない。

 殺した途端に、魂がどこか手の届かないところへ流れていってしまうかもしれない。

 それでは、連れ帰るどころの話ではない。


 それに、こいつらは何も悪さをしていない。

 魔物や、地獄に落ちてきた悪党なら、殴るのに何のためらいもない。

 だが、修学旅行の途中で事故に遭っただけの子どもを殺すのは、さすがに寝覚めが悪い。


 なら、別のやり方だ。


 体の奥にあるものに、意識を向ける。

 鬼気を使えば、地獄へ通じる門を、こちらから呼ぶことができる。

 閻魔庁の奥にある、あの黒い木の門だ。


 門さえ開けば、あとは放り込めばいい。

 嫌がろうが暴れようが、俺の力なら、首根っこをつかんで投げ込むくらいはわけもない。


 ただ、これにも問題があった。


 二十数人を、一度に放り込むのは難しい。

 一人ずつやれば、残りの連中が騒ぎ出す。

 王国の連中にも気づかれる。


 それに、もっと大きな問題がある。


 今、こいつらを全員連れ帰ったとして、それで終わりになるのか。


 王は、言い伝えにある異世界人を呼んだ。

 ということは、前にも呼ばれた者がいるのかもしれない。

 そして、呼べる仕組みがある限り、この先も呼ばれ続けるだろう。

 今いる連中を連れ帰っても、また新しい誰かが呼ばれて、同じことの繰り返しだ。


 閻魔様の頼みは、魂を連れ戻すことと、なぜそんなことが起きているのかを突き止めることの、二つだ。


 どうやって呼んでいるのか。

 なぜ、呼べてしまうのか。

 それがわからないうちに動いても、穴の開いた桶で水を汲むようなものだ。


 ……結局、まだ動けない、ということか。


 俺は、ため息をついた。


 ◇


 翌日の座学の後、灯とすれ違った。


 灯は治癒術師の女子と並んで、上級組の訓練場へ戻るところだった。

 俺のことは、ちらりとも見なかった。

 見る理由もない。


 ただ、すれ違いざまに、妙なものを感じた。


 灯の体の周りに、薄い膜のようなものが張っていた。

 魔素だ。

 ごく薄く、肌に沿うようにして、灯の体を包んでいる。


 意識してやっているのか、それとも無意識なのか。

 森で盾を張ったときと、少し似ていた。


 面白いことを考える娘だ、と思った。


 それと、もう一つ。


 上級組の訓練場のあたりは、魔素の流れが少しおかしかった。

 どこがどうおかしいのか、うまく言えない。

 濃いわけでも、薄いわけでもない。

 ただ、ほんのわずかに、肌にまとわりつくような感触がある。


 地獄の妖気にも、たまにこういうものが混じることがあった。

 亡者の未練や執着が、妖気に溶け込んで、ねっとりと残るのだ。


 ……気のせいかもしれない。

 王宮には人が多い。

 人が多ければ、魔素の流れも乱れるだろう。


 俺は、それ以上考えるのをやめた。


 ◇


 その日の夕方、広場に全員が集められた。


 ベルンハルト団長が、皆の前に立った。


「一月の後、再び実戦に出る」


 ざわめきが広がった。


「今度は森ではない。北へ向かう街道筋だ。近頃、あのあたりで魔物が増えている。その討伐に、お前たちも加わってもらう」


「北……」


「魔族のいるほうじゃないの?」


 誰かが不安そうに呟いた。


「魔族の境までは、まだ遠い。前線に立たせるわけではない」


 団長は、皆の顔を見回した。


「だが、森で見たとおり、魔物は甘くない。この一月で、森にいたときよりも強くなってもらう。訓練は、これまでよりも厳しくなると思え」


「上等だ!」


 三浦が、拳を突き上げた。

 何人かが、それに続いて声を上げた。


「やってやるよ!」


「次は、ちゃんと戦える!」


 その中で、坂口は黙ったまま、拳を握りしめていた。

 小野は、自分の手のひらを見つめていた。


 透は、少し離れたところで、北の空を見ていた。


 ◇


 解散した後、ロイドが俺のところへ来た。


「よう」


 ロイドは、何か布の包みを持っていた。

 俺の前に、無造作に放り投げる。


 受け取って、布を解いた。


 水袋だった。


 森で、川岸の石の上に置いてきたものだ。


「帰り道に、川があったろ」


 ロイドは、無精髭の生えた顎をかきながら言った。


「拾っといた。お前さん、忘れてったからな」


「……どうも」


「ちゃんと持っとけよ。北は水場が少ねえらしいからな」


 ロイドは、それだけ言って背を向けた。

 数歩歩いたところで、思い出したように振り返る。


「ああ、それと」


「なんですか」


「あの川、上流のほうに窪地があってな。帰りがけに、ちょっと覗いてみたんだが」


 ロイドは、肩をすくめた。


「えらい焼け野原になってたぜ。魔物の死骸が、山ほど転がってた」


 俺は、何も言わなかった。


「ま、森の奥じゃ、そういうこともあるんだろうな。魔物同士で喧嘩でもしたんだろ」


 ロイドは、ひらひらと手を振って、兵舎のほうへ歩いていった。


 俺は、手の中の水袋を見下ろした。


 ……あの男、やはり気づいている。


 気づいていて、何も言わない。

 何も言わないまま、水袋だけを返してよこした。


 面倒な男だ。


 面倒だが、嫌いではない。

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