第十三話 報告
王宮の東の棟に、小さな会議の間がある。
窓は高く、昼でも薄暗い。
壁には古い地図が掛けられ、長い卓の上に燭台が三つ並んでいる。
謁見の間のような華やかさはない。
王が、限られた者だけを呼んで話をするための部屋だった。
卓の奥に王が座り、その右にエレノアが控えていた。
左の壁際には、灰色の衣の老人が杖を抱えて立っている。
卓の手前に、ベルンハルトとセオドールが並んで膝をついた。
森から戻って、まだ二日しか経っていない。
ベルンハルトの鎧には、ところどころへこみが残ったままだった。
「面を上げよ」
王の声に、二人は顔を上げた。
「大森林でのこと、聞いておる。ホブゴブリンの群れに襲われたそうだな」
「は」
ベルンハルトが答えた。
「五日目の夜明け前、拠点がホブゴブリン十数匹の襲撃を受けました。後ろにはゴブリンのアーチャーとメイジが控えており、役割を分けて攻めてまいりました」
「被害は」
「騎士に重傷が三名。異世界人にも怪我人が出ましたが、死者はおりません」
王は小さく頷いた。
表情は変わらなかった。
「異世界人どもは、どうであった」
ベルンハルトは、一度だけセオドールと目を見交わした。
「頭角を現した者が、何名かおります」
「申せ」
「まず、大魔導士の娘。初めての実戦で、中級の火炎魔法を落ち着いて撃ち分けておりました。ホブゴブリンの魔法も盾で防ぎきり、自らとどめを刺しております」
セオドールが言葉を継いだ。
「魔法の上達は、私の見てきた誰よりも早うございます。このまま励めば、半年も経たずに上級の魔法に手が届くでしょう」
「ほう」
王の目が、わずかに細くなった。
「勇者と剣聖は」
「ホブゴブリンの数に押され、少々手こずりました」
ベルンハルトは、言葉を選ぶように間を置いた。
「一対一であれば、すでに騎士団の誰にも引けを取りません。ただ、群れとの戦いには慣れておりませぬ。勇者は肩を痛めましたが、骨に異常はなく、数日で剣を握れます。剣聖も戦意を失ってはおりません」
「聖騎士と弓聖も、よく持ちこたえておりました」
セオドールが付け加えた。
「では、残りの者は」
ベルンハルトの声が、わずかに低くなった。
「……心が折れた者が、何名か。魔物を前にして剣を捨て、戦いの後も口を利かぬ者がおります。今後、戦場に立たせるのは難しいかと」
「それから、挫けはしたものの、まだ訓練には出られそうな者。こちらは、この先どう転ぶか、まだ見えませぬ」
王は、卓の上で指を組んだ。
「それで、よい」
短い言葉だった。
「使えぬ者は、それ相応に扱え。食わせて、寝かせておけばよい。騒ぎ立てぬようにな」
ベルンハルトの肩が、ほんの少しだけ強張った。
「使える者は、鍛え上げよ。勇者、剣聖、大魔導士。あの者たちには金も手間も惜しむな。望むものがあれば与え、誉めそやしてやれ。この国の剣となるよう、育てるのだ」
「……は」
エレノアは、王の隣で静かに目を伏せていた。
その横顔が、一瞬だけ曇った。
唇の端が、何かを堪えるように引き結ばれる。
膝の上で重ねた指先に、力がこもった。
だが、それはほんの瞬きの間のことだった。
エレノアは顔を上げ、いつもの穏やかな微笑みを浮かべていた。
誰も、その変化に気づいた様子はなかった。
◇
「それと、陛下」
セオドールが口を開いた。
「此度の件、少々気にかかることがございます」
「申せ」
「ゴブリンのアーチャーやメイジは、本来、森のもっと奥に棲むものです。それが、訓練に使う浅い場所にまで出てまいりました。ホブゴブリンの群れも同じです。あれほどの数が森の入り口近くに現れたことは、私の知る限り一度もございません」
「森の奥の魔素も、例年よりずっと濃くなっておりました。何かが、魔物を浅いほうへ押し出しているのかもしれません」
王は、しばらく黙っていた。
燭台の火が、かすかに揺れた。
「……森の奥、か」
王は低く呟いた。
何かを思い当たったような、それでいて言葉にはしない目だった。
「原因は、わかっておるのか」
「いえ。森の奥まで踏み入ることはいたしませんでしたので」
「ならば、捨て置け」
王は、あっさりと言った。
「森の魔物どもが騒ぐのは、今に始まったことではない。騎士団の討伐の数を増やせば済む話だ」
セオドールは何か言いたげな顔をしたが、口をつぐんで頭を下げた。
壁際の老人は、杖を抱えたまま、黙って王を見ていた。
何も言わなかった。
ただ、その乾いた目だけが、王の横顔からずっと離れなかった。
「それよりも、だ」
王は、卓の脇に置かれていた羊皮紙を手に取った。
封蝋が割られ、何度も読み返したように端が擦り切れている。
「今朝、北から早馬が着いた」
ベルンハルトとセオドールの顔つきが変わった。
「魔族が、動いた」
王の声に、初めて熱がこもった。
「しばらく鳴りを潜めておったが、三日前、北の境の砦に攻めかかってきたそうだ。砦は持ちこたえたが、守備兵に少なからぬ死者が出ておる」
「三日前……」
ベルンハルトが、低く唸った。
「この半年ほど、奴らは境の向こうから出てこなかった。北の港町を奪ってから、ずっとだ」
王は、羊皮紙を卓の上に置いた。
「おそらく、町の守りを固め終えたのであろう。次は、こちらへ攻め入るための足場とするつもりだ」
「では、陛下」
「うむ」
王は、二人を見下ろした。
「猶予は、思っていたほどない。異世界人どもを、急ぎ使えるようにせよ。勇者たちを、一日でも早く戦場に立てるようにするのだ」
ベルンハルトは、しばらく黙っていた。
それから、深く頭を下げた。
「御意に」
その声に、迷いはなかった。
魔族が攻めてきた。
守備兵が死んだ。
ならば、迎え撃つのは当然のことだ。
ベルンハルトの顔には、そう書いてあった。
◇
「訓練の段取りを改めよ」
王が言った。
「一月の後、再び実戦の場を設ける。今度は森ではなく、北へ向かう街道筋だ。近頃、あのあたりにも魔物が増えておると聞く。討伐の名目で、異世界人どもを連れていけ」
「北へ、でございますか」
セオドールが顔を上げた。
「境の砦からは、まだ十分に離れておる。前線に立たせるわけではない。だが、北の風に慣れさせておくのは、悪いことではあるまい」
「……承知いたしました」
二人が下がっていくと、会議の間には、王とエレノアと老人だけが残った。
王は、もう一度北からの羊皮紙を手に取り、目を落とした。
その口元が、かすかに緩んでいた。
老人は、王の背中を見つめたまま、白い髭をゆっくりとしごいた。
「陛下」
「何だ」
「いえ。……北の風は、冷とうございますゆえ。異世界の方々には、少々堪えるやもしれませぬな」
王は、羊皮紙から目を上げなかった。
「堪えてもらわねば困る。そのために呼んだのだ」
老人は、それ以上何も言わなかった。
深く一礼して、杖をつきながら部屋を出ていった。
エレノアは、王の隣に座ったまま、高い窓を見上げていた。
窓の向こうには、薄く曇った空が広がっている。
その目は、北の方角に向けられていた。
エレノアは、微笑んでいた。
穏やかで、慈しむような微笑みだった。
まるで、何もかもが望んだとおりに進んでいることを、静かに喜んでいるかのように。




