第十五話 北へ
団長の言葉どおり、訓練は厳しくなった。
朝は日が昇る前に叩き起こされ、広場を何周も走らされる。
素振りの数は倍になり、魔法の実技は日が暮れるまで続いた。
昼の休憩も短くなり、黒いパンを口に押し込んだら、すぐに次の訓練が始まる。
それでも、文句を言う者は少なかった。
森でのことが、まだ皆の頭に残っているのだろう。
強くならなければ、次は死ぬかもしれない。
口には出さなくても、誰もがそう思っている顔をしていた。
◇
十日ほど経った頃、上級組の訓練場から歓声が聞こえた。
久我が、新しいスキルを身につけたらしい。
食堂で、三浦が大声で触れ回っていた。
「【連撃】だってよ! 一回の踏み込みで三回斬れるんだって! マジやばくない?」
久我本人は、相変わらず黙って飯を食っていた。
ただ、周りに褒められても、以前のように口の端を上げることはなかった。
当然だという顔で、黙々とパンをちぎっていた。
その数日後には、天城の聖剣技が一段強くなったという噂が流れた。
光をまとった剣で、騎士団長の大剣を正面から弾き返したらしい。
訓練を見物していた貴族たちが、さすがは勇者殿だと大喜びしていたという。
三浦自身も、属性付与が安定してきたと得意げだった。
炎をまとわせた二本の剣を振り回して、木の人形を真っ二つにしてみせたそうだ。
「次の実戦で、ホブゴブリンなんか瞬殺してやるわ」
三浦の笑い声は、相変わらず少し大きすぎた。
◇
中級と下級の連中も、少しずつ変わっていった。
森に行く前は剣を振るのもやっとだった者が、素振りを最後までこなせるようになった。
魔法の実技でも、火や水を前より大きく出せる者が増えた。
小野は、毎晩寝台の上で、手のひらを見つめて何かぶつぶつ言っていた。
ねじる、こぼさない、と繰り返している。
二十日ほど経った頃、小野が魔法の実技で、拳ほどの石の礫を飛ばしてみせた。
前は小石くらいの大きさしか出せなかったはずだ。
「シキ! 見たか、今の!」
小野は、子どものように目を輝かせて駆け寄ってきた。
「お前の言ったとおりにやったら、出たんだよ! ねじるってやつ!」
「よかったな」
「おう! 次の実戦では、俺も役に立つからな!」
小野は、俺の背中をばしばしと叩いて、また的のほうへ駆けていった。
坂口は、相変わらず口数が少なかった。
ただ、訓練には誰よりも真剣に取り組んでいた。
剣の振りが、森に行く前とは見違えるほど鋭くなっていた。
ある日、素振りの途中で、坂口が誰かに言っているのが聞こえた。
「足、引っ張るなよ」
坂口の視線の先には、透がいた。
透は、素振りの列の端で、肩で息をしていた。
一月の訓練で、透の体力も少しはついた。
それでも、周りについていくのがやっとだった。
透は、坂口の言葉に何も言い返さなかった。
ただ、黙って剣を握り直した。
坂口も、それ以上は何も言わなかった。
だが、森に行く前に透をからかっていたときの、へらへらした顔ではなかった。
◇
透は、透なりに続けていた。
夜になると、寝台の上で目を閉じて、魔素を吸っている。
見えない袋は、さらに大きくなっていた。
今では、透の寝台の周りだけ、魔素がかすかに薄くなっているのがわかる。
ランプの火も、透が吸い始めると少しだけ弱くなった。
昼の訓練では、相変わらず放出はそよ風扱いされていた。
ただ、時々、透が指先から小さく魔素を弾くと、地面の小石がぴしりと跳ねることがあった。
森に行く前よりも、その音は鋭くなっていた。
誰も気に留めていなかった。
灯は、上級組の訓練場で、ますます頭角を現していた。
中級の魔法を立て続けに撃てるようになり、上級の魔法にも手をかけ始めたという。
すれ違うたびに、灯の体を包む魔素の膜が、少しずつ厚くなっているのがわかった。
灯が意識しているのかはわからない。
ただ、その膜は、日に日に滑らかに、強くなっていった。
俺はといえば、何も変わっていない。
素振りは周りに合わせて加減し、魔法の実技では、相変わらず小さな火を安定して出すだけだ。
森で拳ほどの火の玉を出したことは、中級・下級の連中の間で少しだけ噂になった。
だが、一月も経てば、誰も覚えていなかった。
それでいい。
◇
一月が過ぎた日の夕方、広場に全員が集められた。
上級組も、中級・下級組も、全員だ。
部屋にこもっていた何人かも、騎士に連れられて広場の隅に立っていた。
ベルンハルト団長が、皆の前に立った。
その隣には、魔法師団長のセオドールと、ミーナの姿もあった。
「明日、北へ発つ」
広場が、しんと静まり返った。
団長は、背後に掛けられた大きな地図を指し示した。
「王都から北へ延びる街道を、六日かけて進む。目指すのは、この街道沿いにある宿場町だ」
地図の上で、団長の指が王都から北へ滑っていく。
大陸の中ほどから、北の海に向かって、細い線が延びていた。
その線の先、黒い帯のずっと手前に、小さな印がつけられている。
「この宿場町を拠点にして、周辺の魔物を討伐する」
「魔物は、何が出るんですか」
天城が、手を挙げて尋ねた。
「主にオークだ」
団長が答えた。
「ゴブリンよりも大柄で、力が強い。群れで動くことも多い。それから、街道沿いの岩場に、狼に似た魔物の群れが出るという報告もある」
「オーク……」
誰かが、小さく息を呑んだ。
「森で戦ったホブゴブリンと、大きくは変わらん。一月前のお前たちには荷が重かったかもしれんが、今のお前たちなら十分に戦える」
団長は、皆の顔を見回した。
「ただし、油断はするな。街道の北は、森とは勝手が違う。木々に身を隠すことはできんし、水場も少ない。それに……」
団長は、言葉を切った。
「宿場町から、さらに北へ三日も行けば、魔族との境の砦がある。前線に立たせることはない。だが、北の空気がどういうものか、肌で感じておいてほしい」
広場のあちこちで、ざわめきが起きた。
セオドールが、一歩前に出た。
「今回は、私と魔法師団の者も数名、同行いたします。治癒の魔法を使える者も連れていきますので、怪我をしても、すぐに手当てができます」
ミーナが、少し緊張した顔で頭を下げた。
「隊の組み方は、森のときと同じだ」
団長が続けた。
「上級の者は、俺と魔法師団長が率いる。中級と下級の者は、騎士団員をつけた班に分かれる。班の組み合わせも、森のときと同じだ」
ということは、俺の班は、また透と小野と坂口。
引率は、ロイドだ。
少し離れたところで、ロイドが眠そうに欠伸を噛み殺していた。
目が合うと、ひらひらと手を振ってきた。
「今夜は、よく食って、よく寝ろ。明日の朝、日の出とともに出発する」
団長は、最後にもう一度、皆を見回した。
「森で生き延びたお前たちだ。北でも、必ず生きて戻れ。以上だ」
◇
翌朝。
王宮の正門の前に、隊列が並んだ。
騎士団の馬が何十頭も並び、荷を積んだ馬車が列をなしている。
学生たちは、配られた旅装に身を包み、腰に剣を下げて立っていた。
正門の上の露台に、王とエレノアの姿があった。
王は、隊列を見下ろして、満足そうに頷いていた。
その目は、勇者と剣聖と大魔導士の上で、しばらく止まっていた。
エレノアが、露台の縁まで進み出た。
「異世界の皆様」
澄んだ声が、朝の空気に響いた。
「どうか、ご無事でお戻りくださいませ。皆様に、女神のご加護がありますように」
エレノアは、両手を胸の前で組み、深く頭を下げた。
その瞬間、あの感触がした。
肌にまとわりつくような、ねっとりとした魔素の流れ。
上級組の訓練場で感じたのと同じものが、正門の前に、ほんのかすかに漂っていた。
どこから来ているのか、探ろうとした。
だが、その前に、感触はすうっと消えた。
隊列の前のほうで、天城が胸に手を当てていた。
三浦は、王女に向かって大きく手を振っていた。
久我は、まっすぐ北を見据えていた。
灯は、露台を見上げたまま、少しだけ眉を寄せていた。
隣で、透も同じように、露台を見上げていた。
何かを確かめるように、目を細めて。
「……今の、何だろう」
透が、小さく呟いた。
俺は、何も答えなかった。
「出発!」
ベルンハルト団長の号令が、朝の空に響いた。
騎士たちが馬を進め、馬車の車輪がきしみを上げる。
学生たちの列が、ゆっくりと動き出した。
王都の門をくぐると、北へ延びる街道が、どこまでも続いていた。
俺は、懐の副本に手を当てた。
北には、魔族がいる。
その向こうに何があるのかは、まだ誰も知らない。
……まあ、行ってみればわかるだろう。
面倒事は、向こうから勝手にやってくるものだ。




