第十一話 本隊
手当ては、昼近くまでかかった。
怪我人の数が多すぎた。
治癒術師の女子は途中で何度もふらつき、そのたびに騎士が水を飲ませて座らせた。
天城は肩を固定されたまま、黙って地面を見つめている。
久我は刃こぼれした剣を研ぎ直していたが、手つきがどこかぎこちなかった。
髪を染めた男子は、拠点の隅で膝を抱えていた。
昨日あれほど騒いでいた口が、今朝からほとんど開いていない。
その間も、森の奥の気配は消えなかった。
むしろ、近づいている。
ゆっくりとだが、確実に。
さっきの群れが来たのと同じ方角から、魔素を大きく揺らしながら、何かがこちらへ向かってくる。
数は、さっきの三倍はいる。
それに、一つだけ、ほかより一回り大きな塊が混じっていた。
騎士たちは、まだ気づいていない。
魔法師団長のセオドールは怪我人の治癒に回っていて、森の奥まで気を配る余裕はなさそうだった。
少し離れたところで、透が森の奥を見ていた。
顔色が悪い。
あいつも、気づいているのかもしれない。
ただ、誰かに伝える様子はなかった。
伝えたところで、空気くんの言うことを本気にする奴はいないだろう。
俺は、拠点を見回した。
担架に乗せられた騎士が三人。
自分で歩けない学生が五、六人。
まともに剣を振れる者は、騎士も含めて半分もいない。
このまま森を出るとなれば、怪我人を抱えての行軍になる。
その途中で、あれに背中から追いつかれたら。
何人か、死ぬだろう。
死ぬのは終わりではない。
六道であれば、魂は次へ行く。
ただ、ここは六道ではない。
この世界で死んだ魂がどこへ行くのか、俺は知らない。
閻魔様の台帳にも載っていない場所へ、さらに迷い込んでしまうかもしれない。
……面倒だ。
本当に、面倒だ。
俺は、空になった水袋を拾い上げた。
「ロイドさん」
ロイドは、焚き火の前で包帯を巻き直していた。
顔を上げずに「ん」とだけ答える。
「川で、水を汲んできます」
「一人でか」
「すぐそこなので」
ロイドは、ようやく顔を上げた。
俺の顔を、それから俺が持っている水袋を、少しの間だけ見た。
何か言いたそうな顔だった。
だが、言わなかった。
「……遅くなるなよ」
それだけ言って、また包帯に目を戻した。
◇
川までは、本当にすぐだった。
俺は水袋を岸辺の石の上に置き、そのまま浅瀬を渡って、森の奥へ入った。
木々の間を抜ける。
拠点の声が聞こえなくなるまで、まっすぐ走った。
この体の足では遅いが、それでも人の足よりはだいぶ速い。
森の奥へ進むほど、魔素は濃くなっていった。
肌の上を流れる砂の感触が、ざらざらと重たい。
木々の幹には、何かが爪で引っかいたような跡が、いくつも残っていた。
十分に離れたところで、足を止めた。
周りに、人の気配はない。
聞こえるのは、遠くの鳥の声と、葉擦れの音だけだ。
俺は、上着の内側から鉄の飾りを取り出した。
親指ほどの、小さな金棒。
手のひらに乗せて、握り込む。
手の中で、金棒が膨らんでいく。
ずしりとした重みが、腕に戻ってくる。
俺の背丈ほどもある、黒い鉄の棒。表面には、無数の鋲が打たれている。
肩に担ぐと、ようやく体が落ち着いた。
この一月、ずっと小枝のような剣を持たされていたのだ。
姿は、このままでいい。
この程度の相手に、元の姿に戻るまでもない。
◇
気配を頼りに進むと、やがて木々がまばらになった。
俺は、太い木の陰から先を覗いた。
窪地だった。
その底に、緑色の巨体がひしめいていた。
ホブゴブリンが、四十か、五十か。
その周りに、弓や杖を持ったゴブリンが何十匹も控えている。
今朝の群れとは、数が違う。
群れは、ちょうど移動の支度をしているところだった。
ホブゴブリンたちが武器を担ぎ直し、弓を持ったゴブリンたちが矢筒を背負う。
向かおうとしている先は、俺がさっき来た方角。
拠点のほうだ。
そして、群れの真ん中に、一匹だけ、ひときわ大きな影があった。
ホブゴブリンよりも、さらに頭ひとつ大きい。
どこかで剥ぎ取ってきたらしい、継ぎはぎの鎧を身につけている。
手には、人の背丈ほどもある鉈のような刃物。
そいつが短く吠えると、周りのホブゴブリンたちが一斉に動きを変えた。
前の者が盾になるように並び、後ろの者がその陰に隠れる。
弓のゴブリンたちが、両脇の木の上に散っていく。
今朝の群れが、やけに統率が取れていた理由がわかった。
あれが、頭だ。
騎士たちの話の中に出てきた名前を思い出す。
ゴブリンジェネラル、だったか。
今朝の十数匹は、たぶん様子見だったのだろう。
こちらの数と、強さを測るための。
そして、こちらが弱っていると知って、本隊が動き出した。
なかなか、頭が回る。
俺は、木の陰から出た。
窪地の縁に立つ。
見下ろすと、群れの全体がよく見えた。
一匹のゴブリンが、こちらに気づいた。
甲高い声を上げる。
それを合図に、群れ全体がこちらを振り向いた。
百を超える黄色い目が、俺を見ていた。
ジェネラルが、鉈を持ち上げた。
俺を見て、それから俺の背後の森を見る。
ほかに誰かいないか、確かめているらしい。
いない。
俺一人だ。
ジェネラルの口元が、にいっと歪んだ。
笑ったのだろう。
「……悪いな」
金棒を肩から下ろす。
「お前らに恨みはない。ただ、この先へ行かせるわけにはいかない」
言葉が通じるとは思っていない。
ただ、言っておきたかった。
ジェネラルが、鉈を振り上げて吠えた。
窪地の底で、五十を超えるホブゴブリンが、一斉に雄叫びを上げた。




