七転八倒の男
これは一匹狼の医者の話である。
大学病院の医局は弱体化し、命のやりとりをする医療もついに弱肉強食の時代に突入した。
その危機的な医療現場の穴埋めに現れたのがフリーランス……すなわち、一匹狼のドクターである。
たとえば、この男。
日光を嫌い、十字架を嫌い、にんにくを嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼の武器だ。
外科医、ピエール・隼人。
またの名を――ドクターD。
「昼間の往診?致しません」
「医局での手伝い?致しません」
どこからともなく重厚な音楽が流れ、ピエールはさらに声を張った。
「昼間の仕事、メリットのないことは致しません!!」
スパァァン!!
白いハリセンが後頭部を直撃し、壮大な音楽が止まった。
「フリーランスの女医さんをパクるな!怒られますよ!色んな所からいい加減!」
「ドクターDざんす」
スパァン!
「メロンです、請求書です」
「もういいです!」
「昨日、ネトフリ見たら感化されちゃったざんす」
シスターがハリセンを下ろす横で、ピエールは何事もなかったように壁のボタンへ指を伸ばした。
「それでは今夜も――ポチッとな」
カチッ。
治水診療所の外壁を紫、青、緑の光が駆け抜け、夜の街にネオンが煌々と灯った。
深夜零時、診療開始。
それからしばらくして、一人の男が診療所を訪れた。
「ここ数日、なんか身体がだるくて、咳も止まらないんですよね」
男は診察室の椅子に腰を下ろし、何度か乾いた咳を繰り返した。
「熱は?」
「ないと思います。ただ、ずっと身体が重くて……ゴホッ、ゴホッ……」
ピエールがカルテを確認していると、男の声が突然途切れた。
「ほ……ほほ……?」
右の脇腹を押さえたまま身体を傾け、椅子の上で座り直した。
「どうしました?」
シスターが男を見ると、額にじわりと汗が浮かび始めていた。
「いや、なんか……急にここが……いてててて……」
男が右の脇腹から背中へ手を回した。
「いてて……ちょっと待って、これ……いてえ……!」
数秒前まで普通に話していた男の呼吸が一気に荒くなった。
「先生、急に痛みが!」
「とりあえず診察するざんす」
「いてててててっ……先生、痛い、これ、なんだよ……うっ……うぎゃあああああっ!!」
男は椅子から立ち上がったものの、その場にいられず再び腰を落とした。額から噴き出した脂汗が頬を伝い、シャツの襟元まで濡れていった。
「先生……早く……何とか……!」
「尋常じゃない痛みざんすね」
ピエールは採血器具を取り出し、男の腕から血液を採った。
「採血するんですか?」
「身体の中で何が起きてるか調べるざんす」
採ったばかりの血液をシスターに渡しながら、こっそり舐めた。
「うん……なかなかトレビアンですが、これは……」
「先生!どうしました?」
「うぎゃあああっ!痛い、痛い……!」
「シスター、騒がしいざんすよ」
「私じゃないです、患者さんの声です!」
「こういうときは――MRIざんすね」
「うちにそんな高い機械ないですよ!」
ピエールは懐から、あるものを取り出した。
「先生、それは……」
「ウルトラアイ……アンヌ……僕はウルトラセブンなんだ!」
バシッ!
「そんな訳あるか!はよ、やれ!」
「ディア!」
ピエールの視界から男の皮膚が消え、その奥の筋肉、肋骨、腎臓が鮮明に浮かび上がった。
さらに視界が深部へ入り、腎臓から伸びる細い尿管を追っていく。
その途中で、小さな石が引っ掛かっていたのが見えた!
「あ!石じゃんすか」
「石?」
「尿管に詰まってるざんす」
「それで見えるんですか?」
「いや、いらないざんす、私の目で見えるざんす」
「このほうが昭和読者にうけるざんす」
「まじでリアルに見える目、略してMRIざんす」
「略すな!」
「骨も筋肉も血管も臓器も管も、見たいところは全部見えるざんす」
男の身体の中で尿管が石に塞がれ、その上流が圧迫されていた。
「いてえええっ……先生……!」
「すぐ終わるざんすから、そのままでいるざんすよ」
ピエールが右の脇腹へ手を当てた。
「バッド・ハウリング」
掌から放たれた細かな振動が皮膚を抜け、筋肉を抜け、尿管へ達した。
振動は周囲の組織を揺らすことなく一点へ集まり、結石だけを包み込んだ。
ビキッ、ビキビキッ――。
結石が八つの小さな欠片へ砕け、尿管を塞いでいた塊が消えた。
「……あ……」
男の呼吸が止まりかけ、ゆっくり戻った。
「痛く……ない……」
さっきまで脇腹を押さえていた手から力が抜け、額に浮かんでいた脂汗だけが激痛の名残を残していた。
「終わったざんす」
「今ので?」
「八分割ざんす。あとは尿と一緒に出てくるざんすよ」
男は何度も自分の脇腹を確かめた。
「さっきまであんなに痛かったのに……本当に何ともない……」
「先生、そういえばこの人、咳の方は?」
「睡眠不足と食事が足りなくて免疫力が落ちてるざんす。寝て食えば治ると、モロボシ・ダンも言ってるざんす」
「言ってません!」
「では、本日の目玉!お会計ざんす」
ピエールが差し出した紙には、大きく金額が書かれていた。
十万円。
「十万……?高くないですか?」
「うちは時価ざんす」
「嫌なら石を元の大きさに戻しておくざんすが、どうします?」
「は、払いますよ」
男がまだ状況を飲み込めないまま支払いを済ませると、ピエールは財布へ十万円をしまい、今度は小さなカードを差し出した。
「それと、こちらがポイントカードざんす」
「ポイントカード?」
「今回の石は八つに砕けてるざんす。尿と一緒に出てきたら全部取っておいて、八つまとめて持ってくるざんす」
男の顔から、痛みとは別の困惑が浮かんだ。
「石を……全部ですか?」
「一個でも欠けたらダメざんすよ。八つ全部持ってきたら、さっきの十万円は全額返金するざんす。それからカードにハンコを一個押して差し上げるざんす」
ピエールがポイントカードを開いた。
そこには十個の空欄が並んでいた。
「このハンコを十個集めると――百万円差し上げるざんす!」
男は十個の空欄を見つめた。
「これ……十回もやるんですか?」
「安心するざんす」
「だいたいオリンピックに一回くらいのペースでやってくるざんすからね」
男の顔から血の気が引いた。
「全然安心できないんですけど……」
スパァァン!!
「何を目標に通院させようとしてるんですか!」
白いハリセンがピエールの後頭部を叩き抜いた。
「百万円ざんすよ?」
「誰も結石十回で百万円を目指しません!」
ピエールはポイントカードを男の手へ押し込んだ。
「石、忘れちゃダメざんすよ。一個でもなくしたら十万円は返さないざんすからね」
男はカードを握ったまま、先ほどまで激痛が走っていた脇腹とピエールを交互に見た。
痛みは完全に消えているが、なぜか来たときより不安が増えていた。
「お大事にざんす」
治水診療所の扉が閉まり、男が夜の街へ消えていった。
シスターは受付へ戻りながら、机の上に残されたカルテを手に取った。
「ところで先生」
「なんざんす?」
「なんでそんなに石が欲しいんですか?」
「それはセブンの秘密ざんす」
「意味がわからん」
「次の患者さん、どうぞざんす」
「ごまかした!」
紫、青、緑のネオンが瞬く治水診療所で、今夜も診療は続いていった。




