氷を食べる女
富・名声・力、この世のすべてを手に入れた男、吸血鬼王・ドラキュラ。
彼の死に際に放った一言は人々を恐怖に駆り立てた。
「俺の地位か?欲しけりゃくれてやる。探せ!この世の全てをそこに置いてきた!」
男達はライフラインを目指し夢を追いつづけた!
世はまさに吸血鬼時代!
ピエールは麦わら帽子を被り、
「ありったけの病気をかき集め〜♪」
バシィィン!
「もう診療開始時間です!」
「まだ歌い始めたばっかりざんす!」
「麦わら被ってどこかのゴム人間のをパクるな!」
「吸血鬼王に、俺はなる!」
バシィィン!
「診療時間、過ぎてます!」
「あーあ、気分乗っていたのにな、歌いたかった……ぽちっとな」
治水診療所のネオンが灯った。
深夜の繁華街。
治水診療所からほど近い《CLUB 呪術廻店》は、この時間になっても客で賑わっていた。
酒が進み、あちこちのテーブルから笑い声が上がる中、一人だけ酒よりもロックアイスに夢中になっているキャバクラ嬢がいた。
源氏名、薄井ヘム。
ガリッ。
「ヘム、また食べてんの?さっき新しいの開けたばっかじゃん」
「しょうがないじゃん、どうしても食べたいんだから」
「いや、しょうがなくないでしょ。今日それ何袋目よ」
「三袋目かな」
「三袋目!?朝から何も食べてないって言ってたくせに、氷だけ三袋食べてんの?」
「氷は太らないし」
「そういう問題じゃないって。最近ずっとそれじゃん、休憩入るたびにガリガリ、家でも食べてるんでしょ?」
「なんか食べてないと落ち着かないんだよね」
「それ絶対おかしいって。それにあんた、今日めちゃくちゃ顔色悪いよ」
「照明のせいじゃない?」
「どんな照明使ったらそんな死人みたいな顔になるのよ」
「死人はひどくない?」
「この前だって仕事中にふらついてたじゃん。今日もさっき立った時フラッとしてたし、最近ずっと疲れた疲れた言ってるでしょ」
「寝不足なだけだって、昨日も帰ったの朝だったし」
「そのくせ飯食わないじゃん」
「ちゃんと食べてるって、昨日だってサラダ食べたし、お酒も飲んでるから、別にお腹空かないんだよ」
「酒を食事に数えるな!」
「何騒いでるの?」
五条店長がやって来た。
「店長、ちょっとヘムに言ってやってくださいよ。この子、最近ずっと氷ばっかり食べてるんです。今日なんかもう三袋目ですよ」
「三袋?よく腹冷えないね」
「そこじゃないですよ!この前も仕事中にふらついてたし、今日も顔真っ白なんです」
「大丈夫ですよ、ちょっと寝不足なだけです。普通に仕事できてますから」
「この間もふらついてたでしょ。今日だってその顔色で氷ばっかり食べてるし、どう見ても大丈夫じゃないよ。だって君、弱いも〜ん」
「そんなに私、変ですか?」
「自分じゃ分からないかもしれないけど、今日はいつもと全然違うよ。顔色も悪いし、この前もふらついてたんだから、一度ちゃんと診てもらった方がいいよ」
「でも、こんな時間に病院なんて開いてないですよ」
「すぐ近くに夜中でも診てくれるところがあるよ。今日はもう上がって行っておいで、店のことは気にしなくていいから」
「そこまで言われたら行きますけど……」
「その氷は置いてきなさい」
ヘムは《CLUB 呪術廻店》を出た。
◇
治水診療所の扉が開いた。
「こんばんは。初めての方ですね。こちらにお願いします」
ヘムは本名や生年月日など必要事項を記入し、しばらくして、ヘムは診察室へ呼ばれた。
アニキはヘムを見るなり、ころんと丸くなった。
「あれ……アニキ?嫌な予感がするざんす」
「何ですか、この丸いの」
「気にしなくていいざんす。それで、今日はどうしたざんす?」
「店長に病院へ行けって言われて来たんです。私は大したことないと思ってるんですけど、最近ちょっと疲れやすくて、仕事中にふらつくことがあるんです。今日も立った時にクラッとしたら、店長が一度ちゃんと診てもらえって。階段を上がっただけで息切れすることも増えたんですけど、仕事が朝までだから寝不足だと思ってたんですよ。帰る時間も毎日違うし、最近は食欲もなくて、一日一回しか食べない日も結構あるし」
「ふむふむ」
「たぶんストレスもあると思うんです。最近、彼氏とうまくいってなくて。前は毎日向こうからLINEくれてたのに、最近は私から送らないと全然来ないんですよ」
「はいはい」
「送っても既読つくの遅いし、やっと返ってきても『寝てた』とか『仕事だった』とか、それだけなんです。この前なんか『次いつ会える?』って聞いたら『まだ分からない』って言われて、『じゃあ分かったら教えて』って送ったのに三日ですよ?前はそんなことなかったんですよ。忙しいのかなとも思ったんですけど、前だって忙しくても連絡はくれてたし、最近は会える日を聞いてもはっきりしないし、もしかして他に女でもいるのかなって」
「はぁ……それで?」
「それでって、こっちは気になって寝られないし、スマホばっかり見ちゃうし、それで余計に食欲もなくなってるんですよ。最近は生理も前より長くて量も多いし、仕事中もずっと身体が重くて」
「生理の量も増えてるざんすか?」
「ここ何か月かは多いですね。前より長引くことも増えました」
「ちょっと爪を見せるざんす」
ヘムの爪は中央がへこみ、先端が反り返っていた。
「シスター、採血するざんす」
採血を終えたヘムは待合室へ戻った。
処置室でシスターが採血管をピエールへ渡した。
「検査分は分けてありますから、こっちだけですよ」
「分かってるざんす」
「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!なんざすか、こりゃー!まっずぅぅぅぅぅいざんす!薄い!コクがない!深みもない!最悪ざんす!」
「アニキが丸まった理由が分かったざんすよ!あいつ最初から分かってたざんすね!」
ヘムは再び診察室へ呼ばれた。
「食事が一日一回程度で、まともに食べてない日も多い。そのうえ生理が長引いて、量まで増えてるざんす。入ってくる鉄は少ないのに、身体から出ていく鉄は増えてるざんすよ」
「それは鉄が足りないってことですか?」
「そうざんす。血液の中には酸素を運ぶヘモグロビンがあるざんす。その材料になる鉄が足りなくなると、身体中に酸素を運ぶ力が落ちるざんす。だから疲れやすくなる、息が切れる、立ち上がればクラッとする、顔色も悪くなるざんす」
「じゃあ、ずっと氷を食べたくなったのは何故ですか?」
「鉄が不足すると、無性に氷を噛みたくなることがあるざんす。氷食症と呼ばれるもので、鉄不足の人に見られることがあるざんすよ。それから、さっき見た爪もそうざんす」
「爪も色が薄いということ?」
「それだけじゃないざんす、真ん中がへこんで、先が反り返ってたざんす。いわゆるスプーン爪ざんすね。これも鉄が不足した時に出ることがあるざんす」
「じゃあ、顔色が悪いのも、ふらつくのも、息切れも、氷ばっかり食べたくなるのも、爪も……」
「全部つながってるざんす。食事から入ってくる鉄が少ないところへ、生理で失う鉄が増え、それが続いて、身体の中の鉄が足りなくなったざんす」
「それって、結局何なんですか?」
「鉄欠乏性貧血ざんす」
「鉄欠乏性貧血…貧血だったんだ……」
「鉄が足りないなら、鉄を補えばいいざんす。はい、これ処方するざんす」
「……砂?なんで磁石まで?」
「くっつければ分かるざんす」
「砂鉄じゃないですか!これを飲めと?」
「鉄分は鉄を摂取するのが1番ざんす」
「このまま食べれるか!」
「じゃあフライパンでもかじるざんすか?」
「あのーすいません、普通に薬を頂きたいのですが!」
「はぁ、贅沢言うざんすねーこの治療にテンション上がらないざんす」
「先生、気持ちは分かりますが、ちゃんと鉄剤を出しましょうよ」
「仕方ないざんすね。なら鉄剤を処方するざんす」
「雑すぎませんか?最初からそうしてください!」
「では、当診療所の目玉!!お会計ざんす!」
「ちょっと待って、この時価ってなんですか?」
「はぁ、本日のお会計は……三十万円ざんす!」
「さ、三十万!?」
「新患スペシャル料金、深夜料金、やってられない分料金、プラス割増料金プラス、ダメダメダメダメ特別加算込みざんす」
「何ですかその意味不明な料金!?」
「今日はまったく得るものがなかったざんすからね。完全に働き損ざんす」
「だからって三十万円はおかしいでしょ!」
「以上、三十万円ざんす」
「こんなの払える訳ないでしょ!保険も効かないんですか!?」
「あー効くざんすよ」
「なんで効くのに、こんなに高いんですか?」
「健康保険は使えないざんす、生命保険なら使えるざんす」
「待てぇーい!なんなのこの診療所はぁぁぁぁぁ!!!!」
今宵も患者の叫び声がこだました治水診療所であった。




