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闇より速く、光より深く  作者: なすび
第五章 名をたどる者たち
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第45話 速さだけでは

「行くぞ」


 ブエンが床を蹴った。


 一歩で間合いが消える。


「――《ガード・ヴェール》!」


 透明な膜が広がった直後、剣が叩きつけられた。


 衝撃に、ファイの足が床を滑る。


 膜の表面へ、一本の亀裂が走った。


「えっ……」


 ブエンの剣が返る。


 横薙ぎの一閃。


 亀裂が枝分かれし、白く広がった。


「――《ガード・ヴェール》!」


 ファイは内側へ、もう一枚を重ねる。


 直後、剣が斜め下から跳ね上がった。


 二枚の膜が大きくたわむ。


「うっ……!」


 ファイの身体が浮いた。


 着地するより先に、次の一撃が来る。


 振り下ろし。


 切り返し。


 踏み込みながらの横薙ぎ。


 剣が走るたび、外側の膜が砕けていく。衝撃は内側まで突き抜け、ファイの腕を痺れさせた。


 ブエンの剣が大きく振り抜かれる。


 ファイは右手を上げた。


 二枚の《ガード・ヴェール》が消える。


「――《ブラスト・ショット》!」


 指先へ爆発の魔力が集まった。


 ブエンの身体が沈む。


「え――」


 伸ばされた腕の下を潜り、そのまま懐へ踏み込んだ。


 掌底が、ファイの腹へ突き刺さる。


「がっ……!」


 集まりかけた魔力が弾けた。


 ファイの身体が宙を飛び、床を何度も転がる。


 腹を押さえたまま咳き込んだ。


 息が吸えない。


 顔を上げると、ブエンはすでに剣を構え直していた。


「どうした、ファイ!」


 鋭い声が訓練場を打つ。


「その程度か!」


 ファイは床へ手をついた。


 震える足に力を入れ、立ち上がる。


 その胸の奥で、声が弾んだ。


『面白れぇじゃねぇか』


 いつもの不機嫌な声ではなかった。


 ネロが笑っている。


『おい。まさか、まだ加減するつもりか?』


 ファイはブエンを見る。


 ブエンは剣を下ろさない。


『それで勝てる相手に見えるのかよ』


 ファイは拳を握った。


 身体の奥で、闇が膨れ上がる。


 黒い魔力が噴き出した。


 床を走り、訓練場を吹き抜ける。


 壁際の隊員たちが身構えた。


 闇はさらに強くファイを包み、やがて身体へ収束していく。


 赤い瞳が、深く染まった。


 ファイを中心に、空気が重く沈む。


 ブエンの髪と衣服が魔力に煽られた。


 それでも、剣先は揺れない。


 ファイが手を握る。


「――《ノクス・バインド》」


 ブエンの影から、黒い帯が噴き上がった。


 脚へ。


 腕へ。


 背後から首元へ。


 ブエンの剣に魔力が走る。


 一閃。


 脚へ伸びた闇が断たれた。


 返す刃が、背後の帯を斬り払う。


 最後の一本も、ブエンへ触れる前に黒い霧となって散った。


 ファイが指先を向ける。


「――《ノクス・ニードル》!」


 無数の黒い針が浮かび上がった。


 正面だけではない。


 左右。


 頭上。


 ブエン自身の影からも、鋭い先端が伸びる。


 一斉に放たれた。


 ブエンの剣が閃く。


 正面の針が弾けた。


 半歩ずれて側面をかわし、足元から飛び出した一本を踏み砕く。


 背後へ回った針も、振り向かずに斬り落とした。


「まだ……!」


 ファイが両手を広げる。


 床に広がった闇が、無数の牙へ変わった。


「――《ノクス・ファング》!」


 黒い牙が、ブエンを飲み込むように噛み合う。


 その直前、ブエンが跳んだ。


 足元で闇が激突する。


 空中へ逃れたブエンを追い、ファイが腕を振り下ろした。


「――《ノクス・ハンド》!」


 頭上に巨大な黒い手が現れた。


 ブエンへ向かって、一気に落ちる。


「――《ガード・ヴェール》」


 透明な膜が、黒い手を受け止めた。


 闇が押し込む。


 膜がたわみ、ブエンの身体が床へ落ちていく。


 着地と同時に、剣が走った。


 黒い手が中央から裂ける。


 崩れ落ちる闇の向こうで、ブエンの剣が大きく左へ流れた。


 右側が開く。


 その足元には、ブエンの身体から伸びる影が落ちていた。


 訓練装置の体勢を崩した時と、同じ形だった。


 ファイの赤い瞳が、その一点を捉える。


「――《ノクス・ゼロ》」


 ファイの身体が、輪郭から闇へ変わった。


 姿が消えたあと、黒い一閃が訓練場を横切る。


 ブエンは追わなかった。


 剣を返し、柄頭を開いた右側へ突き出す。


 床の影が跳ね上がった。


 闇がファイの輪郭へ戻り、拳が突き出される。


 そのみぞおちへ、待ち構えていた柄頭が突き刺さった。


「――っ」


 ファイの身体が折れる。


 続けて、剣の腹が脇腹を打ち抜いた。


 ファイは横へ吹き飛び、床へ叩きつけられた。


 黒い魔力が大きく揺らぐ。


 起き上がろうと肘を立てる。


 腕から力が抜け、頬が床へ落ちた。


『馬鹿が』


 ネロの声が、頭の奥へ響く。


『いつもの標的と同じ動きしやがって』


 ファイは荒い呼吸を繰り返した。


『魔法で崩して、隙ができたら《ノクス・ゼロ》』


 足音が近づいてくる。


『何度も見せてる手が、人間相手に通じると思ったのかよ』


 ブエンが、ファイの前で足を止めた。


「訓練装置を相手にした時の癖が出ている」


 ファイの瞼が、わずかに上がった。


「魔法で動きを崩し、空いた場所へ《ノクス・ゼロ》で飛び込む。装置には通じても、人には読まれる」


 ネロと同じだった。


「最後の隙は、私が作った」


「……わざと?」


「そうだ。お前に右側を狙わせるためにな」


 ブエンが剣を鞘へ収める。


「お前は狙いを決めると、そこしか見えなくなる」


 ファイは唇を結んだ。


「隙を見つけた時ほど、その理由を考えろ。速さだけでは、読まれた動きは覆せん」


「……はい」


「もう一つ、覚えておけ」


 ファイが顔を上げる。


「《ノクス・ゼロ》には弱点がある」


「弱点……?」


「出現できるのは、影の中だけだ」


 ファイの視線が、ブエンの右側へ落ちた。


 自分が飛び出した影が、今もそこに伸びている。


「移動中のお前を、目で追うことはできん。だが、狙いが読めれば、使う影も絞れる」


 ブエンはファイを見下ろした。


「出てくる場所が分かれば、見えなくても合わせられる」


「……だから、僕が出る前から、あそこを狙ってたの?」


「そうだ」


 ファイはもう一度、床の影を見た。


 闇から身体へ戻った時には、すでに柄頭が待っていた。


「……」


「だが、闇魔法の精度は高い」


 ファイが顔を上げる。


「《ノクス・バインド》も《ノクス・ニードル》も、狙いにずれはなかった。初めて形にした魔法も、途中で崩れていない」


 ブエンは床へ目を向けた。


「そこは、よくできていた」


 ファイも、その視線を追った。


 黒い針の刺さった跡。


 牙が噛み合った跡。


 巨大な手が叩きつけられた跡。


 どれも、狙った場所からずれていない。


 けれど、ブエンには一つも届かなかった。


 ファイの瞳が、ゆっくりと金色へ戻っていく。


 床に残った闇の跡と、ブエンの足元から伸びる影を、ファイはいつまでも見つめていた。

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