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闇より速く、光より深く  作者: なすび
第五章 名をたどる者たち
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第42話 真名術

 ガイを乗せた担架が、廊下の奥へ消えていった。


 医療班の足音が遠ざかる。


 扉が閉まった。


 ファイは、任務室に取り残されたように立っていた。


 《ガード・ヴェール》を張っていた手が、まだ少し上がっている。


 守ったはずだった。


 けれど、膜の中でガイは苦しんでいた。


 腕に浮かんだ文字。


 手首から肘へ。


 そこから、首筋へ。


 まるで、見えない誰かがガイの身体へ直接書き込んでいるようだった。


「ファイ」


 ブエンの声に、ファイは顔を上げた。


「話がある」


 ブエンは任務室の端へ移動した。


 ファイも、そのあとについていく。


 室内では、隊員たちがまだ慌ただしく動いていた。記録用の光板には、ガイの状態を示す赤い警告が残っている。


 ブエンはそれを一度だけ見て、ファイへ向き直った。


「先ほどの術について話す」


「……ガイの?」


「ああ。真名術だ」


「しんめいじゅつ……?」


「古代の魔術の一種だ。本当の名を使う」


 ファイは、ぱちりと瞬きをした。


「本当の、名前?」


「心と魂に結びついた名だ。真名術師は、その名を媒介にして呪いをかける」


「名前で……?」


「そうだ」


 ブエンの声は短い。


「真名術は、外から撃ち込まれる魔法ではない。名を通じて、対象の内側へ届く」


 ファイの目が揺れた。


 透明な膜に包まれていたガイ。


 何にも触れられていないはずの、その内側。


 そこに浮かんだ文字。


「だから、防御魔法では防げない」


 ファイは、自分の手を見下ろした。


 指先が、わずかに震えている。


「……じゃあ、僕の」


「お前の判断が遅れたわけではない」


 ブエンが先に言った。


「だが、あれには別の対処が必要だ」


「別の……」


「本名を隠す」


 ブエンの声が、少し硬くなった。


「銀河連邦で本名を使わない理由の一つがそれだ。隊員名、登録名、コードネーム。任務では、それらを使う」


「みんなも?」


「当然だ。お前だけではない」


 ファイは黙った。


 名前を隠す。


 それがただの決まりではなく、自分や誰かの命を守るためのものだったことを、今初めて知った。


「ガイは、どこかで本名を拾われた可能性がある」


「拾われた……」


「断定はできん。だが、真名術の痕跡がある以上、その線で調べる」


 ブエンはそこで言葉を切り、ファイをまっすぐ見た。


「肝に銘じておけ」


 それだけ告げると、ブエンは背を向けた。


 ファイは、しばらく動けなかった。


 任務室に残る赤い警告光が、壁を淡く染めている。


 少し前まで、親指を立てて笑っていたガイ。


 今は隔離室で、身体に知らない文字を浮かべている。


「ブエン」


 ファイは小さく呼んだ。


 ブエンが足を止める。


「ガイのところに、行きたい」


 ブエンは振り返った。


「見るだけだ。触れるな」


「うん」


「勝手に魔法を使うな」


「……うん」


「来い」


 隔離室へ続く廊下は、白い光で満たされていた。


 壁一面に、魔力遮断用の紋様が走っている。


 行き交う隊員たちの言葉は短い。


 誰も、余計なことは言わなかった。


 ブエンが隔離室の前で認証を通す。


 扉が開いた。


 中は静まり返っていた。


 透明な遮断壁の向こうに、ガイが横たわっている。


 鎮静されているのか、身体は動かない。


 呼吸は小さいが、乱れてはいなかった。


 意識はない。


 腕には、まだ文字が残っている。


 薄い墨色の線が、皮膚の内側からにじみ出ていた。


 手首から肘へ。


 肘から肩へ。


 首筋にも、細く残っている。


 ファイは遮断壁の前で足を止めた。


 触れない。


 魔法も使わない。


 ただ、見る。


 その時。


 ガイの腕に浮かんだ文字から、何か細いものが伸びていることに気づいた。


 糸のようだった。


 暗い場所にだけ浮かび上がる、細い線。


 ガイの身体から伸び、遮断壁を抜けて、どこか遠くへ続いている。


 ファイは目をこすった。


 それでも消えない。


「……ブエン」


「どうした」


 ファイはガイの方を指さした。


「あれ」


 ブエンが視線を向ける。


 だが、その表情は変わらなかった。


「何が見える」


「なんか……糸みたいなのがある」


「糸?」


「うん。ガイから、どっかに……つながってる」


 ブエンは黙って、ファイが指さす先を見た。


「私には見えない」


 ファイは、もう一度糸へ目を凝らした。


 細く揺れている。


 けれど、切れてはいなかった。


 ブエンはしばらく隔離室の中を見つめ、やがて短く言った。


「調べてみる価値はありそうだ」


 ファイは、ガイから伸びる糸を見つめた。


 細い糸は遮断壁を越え、今もどこかへ続いていた。

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