第41話 防げない力
しばらくして。
闇属性魔法の訓練は、ブエンの監督のもとで続けられていた。
訓練場の中央に、ファイが立つ。
足元の影が、じわりと濃くなった。
次の瞬間、黒い魔力が身体から噴き出す。
床を這い、肩を越え、背中からあふれ出した闇に、隊員たちが反射的に身構えた。
だが、闇は暴れない。
一度大きく外へ広がったあと、ゆっくりと勢いを失い、ファイの身体へ収まっていく。
黒い魔力が静まると同時に、ファイの瞳が赤く染まった。
その色を確認し、ブエンが短く命じる。
「続けろ」
「うん」
ファイは正面の標的を見た。
「――《ノクス・ゼロ》」
闇がファイの輪郭を包んだ。
黒い残像が床を駆け抜ける。
次の瞬間、ファイは数歩離れた標的の前に立っていた。
測定班の光板に、移動経路を示す黒い軌跡が走る。
ファイは自分の足元を見てから、標的を振り返った。
「……さっきより、しゅって行けた」
「しゅ、か」
ブエンは表情を変えずに受け止めた。
測定班の一人が、わずかに手を止める。
ファイは気にする様子もなく、別の標的へ手を向けた。
「――《ノクス・バインド》」
標的の足元で、影が揺れた。
黒い帯が直接立ち上がり、腕と胴をまとめて縛り上げる。
金属の関節が、ぎし、と鳴った。
「今のは?」
ブエンが聞く。
ファイは少し考え、両手をぎゅっと握った。
「ぎゅってした」
測定班の沈黙が長くなった。
ブエンだけは、いつも通りだった。
「記録しておけ」
「……はい」
光板に、新たな訓練記録が追加される。
しゅ。
ぎゅ。
隊員の一人が、小さく咳払いをした。
闇魔法は、少しずつ形になり始めていた。
頭で手順を組み立てようとすると、うまくいかない。
こうしたい。
そう思ったものが、ファイの届く範囲で形になる。
まだ、その程度の感覚だった。
訓練を重ねるうちに、赤い瞳のまま闇を動かせる時間も少しずつ伸びていった。
それでも、任務で闇魔法を使ったことはまだない。
任務では、これまで通りに動いた。
《ガード・ヴェール》で前に立つ。
崩れそうな場所を支える。
危険なものを遠ざける。
今の自分に守れるところを、確実に守る。
その日の任務も、そうして終わった。
大きな戦闘は起きず、隊員たちは予定通りに帰還した。
帰還後、任務室で簡単なデブリーフィングが始まった。
部屋の中央には、記録用の光板。
壁際には、装備を外した隊員たちが並んでいる。
ファイも、その中にいた。
まだ自分から報告するより、ほかの隊員の話を聞くことの方が多い。
それでも最近は、任務を終えたあと、この場に加わるようになっていた。
ガイもいた。
これまでに何度か、一緒に任務へ出た隊員だ。
今日も帰還する直前、ファイが張った《ガード・ヴェール》の横を通りながら、軽く親指を立てていた。
ファイも、ちょっと笑って返した。
それだけのやりとりだった。
ブエンが報告を聞く中、隊員たちが順番に確認事項を述べていく。
記録は、短くまとまりそうだった。
その時。
ガイの肩が、びくりと揺れた。
「……っ」
胸を押さえる。
指が強く制服をつかんだ。
隣にいた隊員が振り向く。
「ガイ?」
返事はなかった。
ガイの身体が前へ折れる。
椅子が床をこすり、そのまま膝から崩れ落ちた。
「ガイ、大丈夫か!?」
隊員たちが駆け寄る。
その誰よりも先に、ファイの手が動いた。
「――《ガード・ヴェール》」
透明な防御膜が、ガイを包み込んだ。
厚く、丸く。
外から迫る攻撃を、すべて受け止める形。
だが、膜には何も触れなかった。
揺れもしない。
その内側で、ガイだけが胸を押さえ、崩れていく。
ファイは息を止めた。
ガイの腕に、文字が浮かんでいた。
手首から肘へ。
そこから、首筋へ。
見たことのない線が、皮膚の上を走っていく。
読めない文字が、一気に身体へ広がった。
まるで、見えない誰かがガイの身体へ直接書き込んでいるようだった。
ファイは、防御膜の内側を見つめた。
守ったはずの場所で、ガイが苦しんでいる。
ブエンがすぐそばまで来た。
ガイの腕に浮かぶ文字を見て、低くつぶやく。
「……真名術」
ファイがブエンを見上げた。
ブエンは即座に顔を上げる。
「ファイ、《ガード・ヴェール》を解け!」
「でも――」
「解け!!」
ファイは防御膜をほどいた。
ガイを包んでいた透明な光が消える。
同時に、ブエンの指示が飛んだ。
「隔離室へ運べ! 魔力遮断を最優先!」
隊員たちが一斉に動き出す。
「医療班を呼べ! 接触する者は防護を張れ!」
担架が運び込まれ、ガイの身体が乗せられた。
腕には、まだ文字が残っている。
ファイは手を伸ばしかけたまま、その場に立ち尽くしていた。
隊員たちがガイを囲む。
ブエンが先頭に立つ。
扉が開き、廊下から白い光が差し込んだ。
ガイが運ばれていく。
ファイは、その背中を見送ることしかできなかった。
さっきまで、少しずつできるようになってきたと思っていた。
しゅっと行ける。
ぎゅっと止められる。
守れる。
でも今は。
何を守ればよかったのかさえ、分からなかった。




