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闇より速く、光より深く  作者: なすび
第五章 名をたどる者たち
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第39話 こいつを守れ

「ファイ。闇の魔法を使ってみろ」


 ブエンの声が、張り詰めた訓練場に落ちた。


 ファイは自分の手を見つめる。


 瞳は、まだ赤いままだった。


 身体の内側にも、暗いものが静かに満ちている。


 けれど、それをどうやって外へ出せばいいのかは分からない。


 さっきの《ブラスト・ショット》は、いつもよりやりやすかった。


 だが、闇の魔法は違う。


 あの時、どうやって使ったのか。


 自分でも、よく分かっていなかった。


「……あの時は、考えてなかった」


 ブエンは何も言わず、続きを待った。


「助けなきゃって思ったら、勝手に出た」


 ブエンの視線が、わずかに動いた。


 それだけで、周囲の隊員たちが身構える。


 ブエンは訓練場の奥へ目を向けた。


「標的を三体起動。実戦想定。出力は最大」


 測定班の一人が、思わず顔を上げる。


 ブエンは構わず続けた。


「回復班は回復魔法を準備しておけ」


「はっ」


 隊員たちが一斉に動き出した。


 訓練場の奥で、人型標的が三体起動する。


 金属の関節が鳴り、全身に魔力の光が走った。両腕からは、小さな砲口が展開される。


 一体でも、普段の訓練用とは違う。


 それが三体。


 ファイは思わず息をのんだ。


 その時、ブエンが無言で何かを取り出した。


 小さなぬいぐるみだった。


 丸い耳。短い尻尾。地球にはいない生き物の姿をしている。


 ふわふわしていて、妙に愛らしい。


 ファイの目が、ぱっと輝いた。


「わ……」


 ブエンはぬいぐるみを、訓練場の中央に置いた。


 置かれた拍子に、丸い耳がふるりと揺れる。


 ブエンは、いつもの真剣な顔で言った。


「こいつを守れ」


「え?」


 ファイはぬいぐるみを見た。


 かわいい。


 だが、ブエンの声は本気だった。


 ファイは小さく息を吸う。


「この子を……守る……」


 ――その瞬間、頭の奥にいくつもの顔が浮かんだ。


 捕らえられていた子どもたち。


 魔力炉の奥で震えていた人たち。


 あの時、届かなければ守れなかったもの。


 ファイの表情が変わった。


「開始!」


 三体の標的が、一斉に床を蹴った。


 速い。


 踏み込む音が響いた時には、一体目がすでにファイの正面まで迫っていた。


 腕部の砲口が光る。


 最初の魔法弾が、ファイへ放たれた。


「――《ガード・ヴェール》」


 透明な防御膜が展開される。


 魔法弾が激突した瞬間、膜が大きくたわんだ。


 重い。


 普段の訓練用とは、威力がまるで違う。


 押し込まれたファイの足が、床を滑った。


 その横を、二体目が駆け抜ける。


 砲口が、ぬいぐるみへ向いた。


「――《ガード・ヴェール》!」


 ファイは防御膜を横へ伸ばした。


 薄い膜がぬいぐるみの前へ滑り込み、魔法弾を受け止める。


 光が散った。


 防げた。


 だが、三体目がファイの足元へ砲口を向けていた。


「わっ!」


 床が弾ける。


 ファイは反射的に横へ跳んだ。


 一体がファイを狙う。


 一体がぬいぐるみを狙う。


 残る一体は、ファイとぬいぐるみの間へ入り込もうとしていた。


「――《アクア・バインド》!」


 水流が床を走り、標的の脚へ絡みつこうとする。


 だが、標的は直前で跳んだ。


 水の拘束が、その下を通り過ぎる。


「――《ブラスト・ショット》!」


 爆発属性の魔力弾が放たれた。


 二体目が横へ滑る。


 同時に、三体目が射線を横切った。


 狙いがずれた。


 《ブラスト・ショット》は標的の横を抜け、訓練場の壁で小さく爆ぜた。


 その隙に、別の砲口がぬいぐるみへ向く。


「――《ガード・ヴェール》!」


 防御膜が広がった。


 魔法弾を受け止めた膜が、ぎしりと軋むように震える。


 威力が高い。


 一発受け止めるたび、ファイの体勢が崩されていく。


 そこへ、ファイ自身を狙った弾が飛んできた。


 避ける。


 防ぐ。


 ぬいぐるみを見る。


 標的が動く。


 追う。


 また、防ぐ。


 ファイの呼吸が乱れ始めた。


 ぬいぐるみが遠い。


 気づいた時には、ファイは訓練場の中央から大きく引き離されていた。


 三体のうち、一体がファイの前に立つ。


 ぬいぐるみへ戻る道を塞ぐように。


 もう一体が、ぬいぐるみの側面へ回り込む。


 そして最後の一体が、腕部の砲口に魔力を集め始めた。


 光が、これまでより濃い。


 膨れ上がった魔力が、周囲の空気を押しのける。


 ぬいぐるみに向けて、魔法弾が放たれた。


 今から走っても間に合わない。


 《ガード・ヴェール》を伸ばすには、角度が悪い。


 防御膜より先に、魔法弾が届く。


 その瞬間、ファイの口が動いた。


「――《ノクス・ゼロ》」


 ファイの輪郭が、闇に包まれた。


 黒い残像が床を駆け抜ける。


 次の瞬間、ファイはぬいぐるみの前へ滑り込んでいた。


 右手に黒い魔力がまとわりつく。


 迫る魔法弾を、ファイはその手で弾いた。


 スパン、と乾いた音が響く。


 魔法弾は真横へ逸れ、訓練場の壁にぶつかって消えた。


 ファイはそのまま、三体の標的へ赤い瞳を向けた。


「――《ノクス・バインド》」


 標的の足元から、影が伸びた。


 黒い帯のような闇が床を走り、三体へ襲いかかる。


 腕を。


 脚を。


 胴を。


 闇が絡め取り、一息に縛り上げた。


 三体の標的が、同時に動きを止める。


 金属の関節がきしんだ。


 砲口に灯っていた光が、次々と消えていく。


 訓練場が静まり返った。


 測定班の一人が、息をのんだ。


「……未知の魔法です」


 誰もすぐには動かなかった。


 ファイだけが、拘束した標的を見つめている。


 赤い瞳のまま。


 右手に残った闇が、ゆっくりと薄れていった。


 ブエンは動きを止めた三体を確認し、ファイへ視線を戻した。


「今日の訓練は終了だ」


 その声で、張り詰めていた空気がほどけた。


 ファイははっとして、後ろを振り返る。


 訓練場の中央。


 ぬいぐるみは、倒れていなかった。


 丸い耳も、短い尻尾も、そのままだった。


 ファイは、ほっと息を吐いた。


 その瞬間。


 赤かった瞳が、ゆっくりと金色へ戻った。


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