第35話 助けるための闇
赤い光が、魔力炉の奥で灯った。
ブエンはすぐに奥へ踏み込もうとした。けれど、中央に立ちはだかった残党たちが一斉に武器を構え、青白い光弾が入口側へ走る。
ブエンの剣が光弾を弾き、火花が散った。その横で、隊員たちが左右へ展開する。
「ファイ! まずは目の前の敵だ!」
ファイは奥の魔力炉から視線を引き剥がし、こくりとうなずいた。
まず、ここを止める。
「――《アクア・バインド》」
床を走った水が、正面の男の足首へ絡みつく。踏み込もうとした勢いのまま体勢を崩した男へ、隊員が横から入って腕を押さえた。
別の残党が、ファイへ武器を向ける。
胸の奥で、低い声が響いた。
『闇を使えばもっと速く戦えるぞ』
黒い感覚が、ほんの少し指先に触れかける。
以前、ブエンから告げられた言葉がよみがえった。
――ガルム・ヴィンクルムは死んだ。お前の闇によって。
喉が、きゅっと詰まる。
「僕は……使わない!」
ファイは闇ではなく、もう一度水を引き寄せた。
「――《アクア・バインド》」
水の帯が残党の腕に絡み、武器の照準を横へ逸らす。放たれた光弾は誰にも当たらないまま、壁際へ散った。
ブエンがその隙を逃さず、男の懐へ踏み込む。
その瞬間、別の残党が横合いから武器を向けた。青白い光が、ブエンの背中を狙う。
「――《ブラスト・ショット》」
ファイが反射的に手を向けると、小さく絞った爆発が男の肩口のすぐ横で弾けた。直撃ではない。けれど衝撃は十分で、男の身体が横へ崩れ、狙いが大きく逸れる。放たれかけた光は、誰にも当たらないまま宙へ散った。
ブエンは振り返らないまま、一歩踏み込む。目の前の男の腕を取り、その勢いのまま床へ落とした。鈍い音が響き、すぐに隊員が拘束具をかける。
「――《アクア・バインド》」「――《ブラスト・ショット》」
ファイも続いた。水の帯で逃げようとした残党の足を縛り、武器を構えた男の魔法具を根元から弾く。隊員が腕を押さえ、拘束具の青い光が走った。
中央に立ちはだかっていた残党たちが、次々と床へ押さえ込まれていく。
最後の一人がブエンへ向かって飛びかかった瞬間、ブエンは半歩だけ横へずれた。男の腕を取り、体勢を崩したまま床へ叩きつける。隊員がすぐに拘束具をかけた。
地下室に、一瞬だけ空白が生まれた。
入口側にいる銀河連邦の部隊。中央で拘束された残党たち。そして奥にある、魔力炉と牢屋。
ようやく、道が開いた。
ブエンとファイが、同時に奥へ向き直る。
その瞬間だった。
魔力炉の奥で灯っていた赤い光が、脈を打つように強くなった。
「違う……! 止まれ、止まれよ! こんな出力、設定してないぞ……!」
奥の制御盤にいた男が、端末を叩くように操作する。だが、赤い光は弱まらない。むしろ炉の奥で、さらに深く膨れ上がっていく。
「くそっ……! 知るか、こんなもん!」
男は制御盤から手を離し、通路へ走り出した。
濁った紫の魔力が、炉の中央で大きく歪む。低い唸りが、地下室全体を震わせた。
「魔力炉の暴走です! このままでは爆発します!」
隊員の一人が端末を確認し、声を張る。その言葉に、ヴィンクルム商会の残党たちが一斉に顔色を変えた。拘束を逃れていた者たちが床を蹴り、入口側の通路へ向かって逃げ出す。
牢屋の中の人々が、鉄格子の向こうで身を寄せ合った。何が起きているのか分からないまま、ただ恐怖だけが広がっていく。
ブエンは一瞬で見た。入口側にいる自分たち。奥にいる被害者たち。その間にある魔力炉と、配管と、歪み始めた魔力の奔流。
「くっ……! ……撤退だ!!」
隊員たちが動き出す。
ファイは奥を見た。牢屋の中で、子どもがこちらを見ている。
「でも! あの人達が!!」
ブエンの顔が、ほんの一瞬だけ歪んだ。
「……間に合わん!」
ブエンがファイの方へ手を伸ばし、走り出そうとする。
その瞬間、魔力炉の中心が赤く裂けた。
濁った紫の魔力が、内側から膨れ上がる。空気が押し潰されるように重くなった。
ファイは反射的に手を伸ばした。《ガード・ヴェール》を張ろうとして、すぐに分かった。
遠い。
魔力炉の配管と支柱が邪魔をしている。今のままでは、届かない。
爆発の光が、炉の奥から広がり始める。
その時、胸の奥で声が響いた。
『間に合わねぇな。普通にやれば』
ファイの指先が震える。
――助けるために……!!
次の瞬間、ファイの身体から闇が噴き出した。抑え込んでいたものが裂けるように、黒い魔力が背中から、腕から、足元から、一気にほとばしる。金色だった虹彩が、赤く染まった。
「ファイ!!」
ブエンの声が、爆発の唸りの中で響く。けれどファイはもう奥を見ていた。
「――《ノクス・ゼロ》」
ファイの輪郭が、闇にほどけた。入口側にいたはずの小さな身体が消える。ほとんど同時に、牢屋の前に落ちていた影が揺れた。黒が床から立ち上がり、その中からファイが現れる。
赤い瞳のまま、ファイは両手を広げた。
「――《フォートレス・ヴェール》」
透明な結界が、牢屋の前に大きく展開する。直後、魔力炉の爆発がそこへ叩きつけられた。
赤と紫の光が一瞬で膨れ上がり、壁も天井もまとめて吹き飛ばす。金属の柱が折れ、配管がちぎれ、施設そのものが地面ごと跳ね上がった。
爆風が、《フォートレス・ヴェール》に叩きつけられる。結界が大きく軋む。
赤い瞳のまま、ファイは踏ん張った。足元の影が揺れ、闇が身体にまとわりついたまま、透明な結界を必死に支える。
入口側では、ブエンも《フォートレス・ヴェール》を展開していた。隊員たちを背後に押し込み、崩れ落ちる瓦礫と爆風を真正面から受け止める。
地下だったはずの空間が、もう形を保っていない。
それでもファイは、後ろだけは見なかった。振り向いたら、結界が崩れる。だから前を見る。爆発を見る。受け止める。
やがて、轟音が少しずつ遠のいた。光が薄れ、瓦礫の落ちる音だけが残る。
ファイは荒い息を吐きながら、ゆっくり後ろを振り向いた。
牢屋の中にいた人たちは、誰一人倒れていなかった。震えながらも、全員がそこにいる。
無事だった。
ファイの赤い瞳が、小さく揺れた。肩から力が抜けそうになるのをこらえながら、ほっと息を吐く。
崩れた支柱の向こうから、ブエンが駆け寄ってきた。
「ファイ! 無事か!」
「うん! みんな無事だよ!」
ファイは安心しきった顔のまま、ブエンへ笑顔を向けた。背後の人たちが助かったことで、胸がまだふわっと軽くなっている。
ブエンは一瞬だけその顔を見て、すぐに眉を寄せた。
「ばか! お前のことだ!」
ファイはきょとんとした。自分のことを聞かれているとは、少しも思っていなかった顔だった。
「僕は大丈夫だよ?」
その言葉と同時に、ファイの赤い瞳から色が抜けていく。金色が戻った。まとわりついていた闇も、足元へほどけるように消えていく。
それを見て、ブエンの表情がほんの少しだけ緩んだ。けれどすぐに、いつもの鋭さへ戻る。
「あっ! 他のみんなは!?」
ファイがはっと顔を上げた。崩れた施設の向こうから、別動隊の隊員たちが駆けつけてくる。
一階を担当していたA班は、証拠を押さえたあと爆発の直前に施設外へ脱出していた。地下にいた隊員たちも、ブエンの撤退判断と《フォートレス・ヴェール》によって守られていた。ヴィンクルム商会の残党たちも生きている。逃げようとしていた者たちはすでに拘束され、瓦礫の中で動けなくなっていた者たちも順に拘束されていく。
駆けつけた隊員が、ブエンへ報告する。
死者は出ていない。拉致被害者も、隊員も、残党も。全員、生きている。
「……良かった……」
ファイはその言葉を聞いた瞬間、肩から力が抜けた。それは、本当に心の底から出た声だった。




