第34話 息をひそめる、地下
出動は、静かに行われた。
銀河連邦の転送区画に集まった隊員たちは、誰も余計なことを言わなかった。装備を確認する音。通信をつなぐ低い声。床に広がる淡い光。
そのすべてが、以前と同じだった。
ファイは、ブエンのすぐそばに立っていた。
白い光の円が足元に広がっていく。その光を見た瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
ヴィンクルム商会本拠地へ向かった時のことが、勝手によみがえる。
足元の光。転送の浮くような感覚。薄暗い通路。薬品と、錆びた鉄みたいな匂い。そして、扉の向こうから聞こえた子どもの声。
――助けて。
思い出した瞬間、ファイの指先が冷たくなった。
もう、あの時とは違う。
防御魔法も、前より使える。訓練も重ねた。ブエンの命令を聞くことも、今度こそ分かっている。
それでも、身体は覚えていた。
任務に出るということは、誰かが怖い思いをしている場所へ行くということだ。
ファイは、自分の手をそっと握った。
転送の光が強くなる。視界が白くにじみ、足元の感覚が一度消えた。
次に地面を踏んだ時、そこはもう銀河連邦ではなかった。
乾いた風が、頬をかすめる。
目の前には、灰色の施設が沈むように建っていた。表向きは廃棄された施設。けれど、壁の一部には新しい修復跡があり、外部配管の奥からは低い魔力音が漏れている。
死んだ建物ではない。隠れて、まだ動いている建物だった。
ブエンは施設全体を一度だけ見渡した。正面入口。側面の搬入口。地下へ続く古い連絡扉。隊員たちはすでに、それぞれの配置につく準備を終えている。
ファイはブエンの隣で、小さく息を吸った。足元に残る転送の光が消えていく。
その光が消えた瞬間、空気が変わった。
ここから先は、任務だった。
「任務を開始する」
ブエンの低い声に、隊員たちが一斉に動いた。
A班は正面入口へ向かう。壁際に沿って素早く散開し、施設の一階部分へ進入する準備を整えていく。別の隊員たちは外周へ回り、逃走経路を塞ぐように配置についた。誰も大きな声は出さない。足音も、装備の音も、必要な分だけに抑えられている。
ファイはその動きを目で追った。誰が入口を警戒しているのか。誰が退路を押さえているのか。誰が次に動くのか。以前より、少しだけ分かる。
ブエンが地下へ続く搬入口へ向かった。ファイは声を出さず、その後ろに静かについていった。
地下へ続く扉の前で、冷たい空気が流れてくる。
奥は暗い。金属の階段が、下へ下へと続いていた。
地下へ降りるほど、空気は重くなっていった。階段に落ちる足音が、壁の奥へ吸い込まれていく。通路の先から、かすかな光が漏れていた。
ブエンが片手を上げる。隊員たちは、その合図だけで足を止めた。ファイも、その場で息を潜めた。
通路の角の向こうに、制御室のような空間があった。
数人の男たちが、端末と魔力炉の制御盤らしき装置の前に集まっている。灰色の外套。胸元には、削り取られたヴィンクルム商会の紋章が残っていた。
完全に潰れたはずの組織。
けれど、そこにいる男たちの動きは、逃亡者のものではなかった。端末には、新しい搬送予定らしき記録が流れている。魔力炉の出力も、低く抑えられてはいるが、確かに動いていた。
商会は、まだ終わっていない。地下で息をひそめながら、もう一度立て直そうとしていた。
ブエンの目が細くなる。
その時、制御盤の前にいた男の一人が端末から顔を上げた。視線が、こちらへ向く。
「制圧せよ!」
一瞬だけで察したブエンの号令と同時に、隊員たちが制御室へ踏み込んだ。
男たちは即座に武器を抜く。青白い光弾が放たれ、狭い室内に火花が散った。
ブエンは怯まなかった。飛び込む勢いのまま一人目の腕を弾き、制御盤の前へ踏み込む。端末に手を伸ばそうとした男を剣の柄で打ち倒し、そのまま操作端末を押さえた。
隊員たちが左右から残党を囲む。
追い詰められた男たちのうち数人が、通路へ向かって走り出した。
「逃げちゃだめ!」
ファイは両手を通路へ向けた。
「――《ガード・ヴェール》」
透明な壁が、通路の出口をふさぐように立ち上がる。逃げ込もうとした男たちが、次々と防御膜にぶつかって弾かれた。一人は肩から壁にぶつかり、もう一人は受け身も取れずに背中を打った。
すぐに隊員たちが動いた。倒れた男たちへ駆け寄り、腕を押さえ、拘束具をかける。男の一人がもがこうとしたが、隊員の膝が背中を押さえた。拘束具の青い光が走り、男の身体から力が抜ける。
ファイは両手を向けたまま、防御膜を保っていた。
攻撃はしていない。ただ、逃がさないために。これ以上、誰かを連れて行かせないために。
拘束具の光が走り、男たちの抵抗が止まっていく。その時、ファイは防御膜を張ったまま、通路の奥へ視線を向けた。
何かがある。
人の気配とは少し違う。けれど、ただの機械音でもない。低く、重く、胸の奥を押されるような魔力の流れが、通路の奥から漏れていた。
ファイは顔をこわばらせたまま、その感覚をブエンへ伝えた。
「ブエン……あっちに何かある……」
ブエンはそちらに視線を向け、すぐに隊員へ合図する。隊員が携帯端末をかざすと、制御室の空気に淡い光の線が浮かび上がった。魔力反応の流れが、床下を伝い、ファイが見ていた通路の奥へ伸びている。
隊員の表情が変わった。
反応は、地下のさらに奥。この施設の中心部にあった。
違法魔力炉は、そこにある。
ブエンは端末に映った魔力反応を一瞥し、すぐに視線を通路の奥へ向けた。
「ファイ、行くぞ」
ファイは防御膜を解き、両手を下ろした。
「……はい」
拘束された残党たちの横を抜け、ブエンが先に進む。ファイはその後ろについた。
通路の奥へ進むほど、低い魔力音ははっきりしていった。まるで施設そのものが、地下のさらに奥で息をしているみたいだった。
やがて、通路が開けた。
地下の中心部。そこには、巨大な魔力炉があった。
黒ずんだ金属の柱が何本も床から天井へ伸び、その中央で、濁った紫色の魔力がゆっくり脈打っている。周囲には太い配管が巡り、床には魔力を流すための線が赤黒く刻まれていた。
そして、魔力炉の横。
少し離れた奥側に、牢屋のような区画が並んでいた。鉄格子の向こうで、何人もの人影が身を寄せ合っている。大人もいる。子どももいる。
皆、こちらを見て怯えていた。
「ファイ! 助けるぞ!」
ブエンの声に、隊員たちが一斉に動いた。
だが、魔力炉の周囲にいた残党たちも反応する。数人が武器を構え、銀河連邦の隊員たちへ向き直る。別の者たちは、魔力炉の奥側にある制御盤へ視線を走らせた。
戦う者。時間を稼ぐ者。そして、何かを隠そうとする者。
動きが、はっきり分かれていた。
残党の一人が、銃のような魔法具を構えた。その先端に青白い光が集まる。
ファイの視線が、男の手元へ向いた。
壊すのは、武器だけ。
「――《ブラスト・ショット》」
小さな爆発が、男の横で正確に弾けた。爆風は身体に届かない。けれど、手にしていた武器だけが根元から砕け、床へ跳ねた。
男は一瞬、呆然とした。撃たれたわけではない。武器だけを壊された。その事実に気づいた瞬間、男はファイを見た。
小さな子ども。でも、ただ守られているだけの存在じゃない。
男は舌打ちし、すぐに後ろへ下がった。
「こいつらを近づけるな! 俺は炉を落とす!」
男の声に、残党たちが一斉に動いた。
「時間を稼げ!」
「銀河連邦を前に出すな!」
「牢の連中は後だ! まず記録を消せ!」
怒号が、地下室に飛び交う。
入口側には、ブエンたち銀河連邦の部隊。中央には、武器を構えたヴィンクルム商会の残党たち。そして奥には、濁った紫の魔力を脈打たせる巨大な魔力炉と、その横で怯えている人たち。
武器を破壊された男は、奥の制御盤へ走った。
ブエンが剣を構え直す。隊員たちも前へ出ようとする。だが、その前に残党たちが立ちはだかった。
地下室の空気が、低く震える。
男の手が、魔力炉の操作盤へ伸びる。その奥で、赤い光がひとつ灯った。




