第31話 手綱
翌日。
訓練場には、いつも通り標的が並んでいた。
昨日と違うことがあるとすれば、ファイの中に『ネロ』という名前が残っていることくらいだった。
「今日は爆発属性の確認から入る。普段通りでいい」
ブエンの声に、ファイは小さくうなずいた。
訓練場の端で、人型の標的が起動する。
ファイは右手を向けた。
「――《ブラスト・ショット》」
その瞬間、訓練場の空気が変わった。
中級魔法のはずだった。
けれど、ファイの手元に集まる魔力は、明らかに大きすぎた。
ブエンの表情が鋭くなる。
「ファイ! ちょっと待て!」
制止は、間に合わなかった。
爆発の魔力弾が放たれる。
次の瞬間、標的が吹き飛んだ。
ただ倒れたのではない。訓練用の防護壁に叩きつけられ、床の結界まで低く震えた。
訓練場にいた隊員たちが、思わず動きを止めた。
「……中級魔法で、これか?」
「今の、本当に《ブラスト・ショット》だよな……?」
白い煙が薄れていく。
ファイは、自分の手を見つめていた。
それから、少しだけ困ったように笑う。
「……あれ?」
てへ、とごまかすみたいな苦笑いだった。
けれど、指先にはまだ、さっきの感覚が残っている。
強く撃とうとしたつもりはない。
いつも通りに、いつもの魔法を使っただけだった。
ファイは、そっと心の中へ呼びかける。
「ネロ……なにかした?」
少しだけ間があった。
返ってきた声は、いつも通り不機嫌そうだった。
『何もしてねぇよ。元々のお前の力だ』
「そっかぁ……」
納得したような、していないような気持ちで、ファイはもう一度手を見る。
その時だった。
「ファイ」
ブエンの声が、訓練場に低く響いた。
ファイは顔を上げる。
ブエンは吹き飛んだ標的を一度だけ見て、それ以上騒がなかった。
「次は《アクア・バインド》を使ってみろ」
訓練場の端で、新しい標的が起動する。
人型の標的が、ゆっくりと前へ歩き出した。
隊員たちも、息を潜めて見ている。
ファイの足元に、水の魔力が集まり始めた。
ファイは、いつも通りに手を向ける。
「――《アクア・バインド》」
床に水が走った。
本来なら、標的の足首へ絡みつくはずだった。
だが、水流は細くまとまらない。
標的へ届いた瞬間、拘束するどころか、しなった水の帯が鞭のように跳ねた。
ばしん、と乾いた音が響く。
人型の標的が横から弾き飛ばされ、床を滑って倒れた。
訓練場に、また沈黙が落ちる。
ブエンは倒れた標的を見て、短く息を吐いた。
「今、お前に何が起きているのかは分からない」
その声に、焦りはなかった。
「ただ、事実として魔力の制御ができなくなっている」
訓練場が静まり返る。
ブエンは少しだけ黙ってから、ファイへ視線を戻した。
「改めて使いこなせ」
短い言葉だった。
「強い力も、制御次第だ」
責める声ではない。
ただ、逃がさない声だった。
ファイの苦笑いが、すっと消えた。
さっきまで自分の手を不思議そうに見ていた目が、まっすぐブエンを見る。
「……はい」
小さく、けれど真剣にうなずいた。
ブエンはその返事を受けて、訓練場の中央へ視線を戻す。
「次からは、成功させることを目的にするな」
新しい標的が、ゆっくりと起動する。
「弱く撃て。小さく縛れ。今のお前に必要なのは、威力ではない」
ブエンの声が、静かに落ちる。
「加減だ」
そこからの訓練は、以前とは逆だった。
あの頃のファイは、魔法を形にするために、少しずつできることを増やしていった。
水を走らせる。
炎を輪にする。
風で逸らす。
土で止める。
ひとつずつ、できることを積み重ねてきた。
今は違う。
できないのではない。
できすぎる。
だから、ファイはもう一度、最初からやり直した。
《ブラスト・ショット》を、標的を壊さない威力で撃つ。
《アクア・バインド》を、弾き飛ばすのではなく、足首だけに絡める。
炎を燃え上がらせすぎず、輪の形で留める。
風を吹き荒れさせず、弾の軌道だけを少し変える。
土を盛り上げすぎず、標的の足元だけを固定する。
失敗するたびに、ブエンは止めた。
「やり直せ」
それだけを言った。
ファイは何度もうなずいて、また手を伸ばした。
少し強すぎる。
次は、狙ったところより広がりすぎる。
形を小さくしようとすると、魔力が途中で乱れる。
絡めるはずの水は跳ねる。
押さえるはずの土は余計に盛り上がる。
逸らすだけの風は、標的ごと揺らしてしまう。
それでも、さっきよりは近い。
そうやって、ひとつずつ。
ファイは、自分の中で大きくなりすぎた力に、もう一度手綱をかけようとしていた。
けれど、その日のうちに完全には扱えなかった。
訓練終了を告げる合図が鳴る。
訓練場に残った標的は、倒れたり、焦げたり、床に半分埋まったりしていた。
ファイは息をつきながら、自分の手を見下ろす。
できるようになったわけではない。
でも、何ができていないのかは、少しずつ分かってきていた。
その時、胸の奥で声がした。
『貴様は力を怖がりすぎてるんだよ』
ファイは小さく目を見開く。
「ネロ……?」
返事はない。
「どういうこと?」
呼びかけても、もう声は返ってこなかった。
まるで、言うべきことだけ言って、勝手に奥へ引っ込んだみたいに。
ファイはしばらく黙っていた。
怖がりすぎている。
その言葉だけが、訓練場の静けさの中で、ずっと残っていた。




