第2話 誰もいない公園
遠回りをするなら、いつもの大通りではなく、小さな公園の横を抜ける道が早かった。
湊と蓮は、さっきの二人組から離れるようにして、住宅街の細い道を歩いていた。ランドセルが背中で小さく揺れる。夕方にはまだ少し早く、家の窓も、道ばたの植木鉢も、昼の光を残したまま静かだった。
蓮は何度か後ろを振り返った。
「さっきの人たち、ついてきてないよね」
「うん」
湊も振り返る。
誰もいない。
さっき見た作業着の男たちの姿も、黒い鞄も見えなかった。
「やっぱり、ただの工事の人だったのかな」
「かもね」
湊はそう答えたけれど、胸の奥のざわつきは消えていなかった。
考えすぎかもしれない。たまたま知らない人が立っていて、たまたま鞄が光ったように見えただけ。そう思おうとした。
でも、さっきからずっと、指先が冷たい。
夢を見た朝と同じように。
公園は、いつもより静かだった。
小さなすべり台と、錆びかけたブランコが二つ。砂場の隅には、誰かが忘れた黄色いスコップが刺さっている。普段なら低学年の子が何人か遊んでいる時間だったが、その日はなぜか誰もいなかった。
蓮は公園の入口で足を止めた。
「誰もいないね」
「うん」
「ここ抜けたら、すぐ通りに出るよ」
湊はうなずいた。
二人は公園の中へ入った。
砂を踏む音が、妙に大きく聞こえる。風でブランコが少しだけ揺れ、ぎい、と小さな音を立てた。
湊はその音に、なぜか肩をすくめた。
「湊?」
「……何でもない」
湊がそう言ったときだった。
公園の反対側の入口に、男が一人立っていた。
作業着のような服。黒い鞄。さっき路地にいた男の一人だった。
蓮が息をのむ。
湊は振り返った。
自分たちが入ってきた入口にも、もう一人の男が立っていた。
いつの間にいたのか分からなかった。足音も、気配もなかった。
「……何か用ですか」
蓮が声を出した。
男たちは答えなかった。
ただ、黒い鞄を持った方が、湊と蓮を見比べるように目を動かした。
その目は、人を見ている感じではなかった。
身長。体格。まわりに人がいるか。逃げ道はあるか。
そういうものを、順番に確認している目だった。
湊は、背中の奥が冷たくなるのを感じた。
これは、だめだ。
遊びでも、声かけでもない。
逃げないといけない。
「蓮」
湊は小さく言った。
「走ろう」
蓮は返事をしなかった。
その代わり、湊の手首をつかんだ。
「走るぞ」
二人は同時に横へ走り出した。
公園の柵は低い。そこを越えれば、隣の細い道に出られる。蓮は湊の手を引いたまま、すべり台の横を抜けようとした。
けれど、黒い鞄の留め具が青く光った。
次の瞬間、空気が固まった。
「っ……!」
湊の足が止まった。
足首に何かが絡みついたわけではない。誰かに押さえられたわけでもない。
ただ、前に進もうとした体が、急に重くなった。
まるで、見えない水の中に突っ込んだみたいだった。
蓮も同じだった。手を伸ばしたまま、顔をしかめる。
「何だよ、これ……!」
男の一人が、鞄の中に手を入れた。
そこから出てきたのは、金属でも布でもない、薄い輪のようなものだった。透明に近く、縁だけが青白く光っている。
地球の道具には見えなかった。
湊はそれを見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
知らない。
こんなもの、知らない。
なのに、体のどこかが、それを危ないものだと分かっていた。
「こいつらでいい」
男が初めて口を開いた。
変な声だった。
日本語なのに、少しだけ音の置き方がずれている。
「人通りがない。小さい。運びやすい」
もう一人がうなずいた。
「早くしろ」
湊は、その言葉の意味を全部は理解できなかった。
でも、自分たちが選ばれた理由だけは分かった。
特別だったからではない。
何かを見つけられたからでもない。
ただ、ここにいて、誰にも見られていなくて、連れて行きやすそうだったから。
それだけだった。
「やめろよ」
蓮が言った。
声は震えていた。でも、湊の前に立とうとしていた。
「俺たち、帰るだけだから」
男は蓮を見た。
そして、何の感情もない動きで、手の中の薄い輪を投げた。
輪は空中で広がり、蓮の体に絡みついた。
「蓮!」
湊が叫んだ。
蓮は地面に倒れなかった。ただ、体の動きだけを奪われたように、その場で膝をついた。
目は開いている。息もしている。
でも、動けない。
「湊、逃げろ」
蓮が歯を食いしばって言った。
「早く」
逃げろ。
その言葉を聞いた瞬間、湊の中で何かがきしんだ。
逃げたら、蓮が残る。
蓮だけが連れて行かれる。
そんなのは、だめだ。
絶対に、だめだ。
湊は足を動かそうとした。重い空気の中で、足がほとんど進まない。それでも、蓮の方へ手を伸ばした。
男の一人が、動けない蓮の腕をつかんだ。
蓮の体が、無理やり持ち上げられる。
「蓮!」
湊はもう一度叫んだ。
手を伸ばそうとした。
でも、体が動かない。
男の背中の向こうで、蓮の顔がゆがんだ。
連れて行かれる。
そう思った瞬間、湊の喉から声にならない音が漏れた。
やめて。
返して。
連れて行かないで。
そこから先は、何も分からなかった。
ぷつん、と何かが切れた。
湊の意識は、そこで途切れた。
――その少し後。
誰もいないはずの公園の空気が、薄く震えた。
砂場の上に、細い光の線が走る。すべり台の影がゆがみ、空間そのものに切れ目が入ったように、景色が裂ける。
次の瞬間、白銀の光の中から数人の影が降り立った。
銀色の装甲をまとった部隊だった。
先頭にいた女が、剣に手を添えたまま周囲を見渡す。
倒れている男たち。
壊れた黒い鞄。
ねじ曲がった拘束具。
砂の上で意識を失っている蓮。
そして、その少し先で倒れている湊。
女の目が、わずかに細くなった。
「……何があった」
低い声だった。
後ろの隊員たちも、すぐには動かなかった。
彼らは、拉致組織の転送反応を追ってここへ来た。未開惑星の住民を狙う、銀河連邦の追跡対象。到着した時には、子どもたちはすでに連れ去られているか、少なくとも拘束されているはずだった。
だが、倒れていたのは犯人の方だった。
被害者であるはずの二人の子どもは、公園に残っている。
そのうち一人――湊の足元には、黒い靄のようなものが漂っていた。
煙ではない。
影でもない。
夕方の公園にあるはずのない、深すぎる黒だった。
隊員の一人が、湊へ近づこうとした。
「止まれ!」
女の声が飛んだ。
隊員が足を止める。
女は湊を見つめたまま、低く言った。
「……その子に近づくな」
誰も動かなかった。
黒い靄が、湊のそばでかすかに揺れていた。
女は一歩だけ前に出る。
けれど、湊には触れなかった。
「闇の属性……?」
断定ではなかった。
ただ、目の前に残された異常を見て、そうつぶやくしかなかった。
湊は何も知らず、目を閉じたままだった。
女は、倒れた男たちと、壊れた鞄と、意識のない二人の子どもを順に見た。
そして、短く命じた。
「男たちを拘束しろ。鞄と拘束具には触れるな。記録を取れ」
隊員たちが動き出す。
女は、もう一度だけ湊を見た。
「この子は、私が見る」
公園には、折れたスコップと、止まったブランコと、夕方の光だけが残っていた。




