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闇より速く、光より深く  作者: なすび
第三章 闇の中のもう一人
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第27話 防御と攻撃

「……攻撃が、届かない……」


 声が、苦しげにこぼれた。


 確かに撃った。

 間合いを詰めた。

 避けて、狙って、届かせた。


 それでも、もう一人のファイには傷ひとつ刻まれていなかった。


 闇が、薄い外套のようにその身体を覆っている。

 通常属性の魔法も、爆発属性の魔法も、その漆黒の前では火の粉のように呑み込まれてしまう。


 ファイは黒い水面に片手をついたまま、荒い息を吐いた。


 何をすればいいのか、分からない。


 攻撃しても届かない。

 防いでいるだけでは勝てない。


 その迷いを見透かしたように、もう一人のファイが片手を上げた。


「――《ノクス・バインド》」


 背後の黒い水面が、音もなく盛り上がる。


 そこから、闇の帯が一斉に伸び上がった。


 ファイは振り返るより早く、全身を強張らせた。


 背後。

 足元。

 肩の横。


 幾本もの黒い帯が、闇に棲む蛇の群れのようにうねり、ファイへ迫ってくる。


「――《ガード・ヴェール》!」


 透明な膜が、ファイの身体を包み込んだ。


 闇の帯が、外側から叩きつけられる。


 正面ではない。

 背後から、足元から、横から。


 《ノクス・バインド》が、防御膜の表面へ執拗に絡みついた。


 ぎしり、と光が歪む。


「っ……!」


 ファイは両手に力を込めた。


 膜を厚くする。

 隙間を塞ぐ。

 押し潰されないよう、魔力を絶やさず流し込む。


 それでも、闇の帯は消えなかった。


 透明な膜ごと、ファイを締め上げてくる。


 黒い帯が幾重にも重なり、《ガード・ヴェール》をぎりぎりと軋ませながら押し潰していく。


 息が苦しい。

 胸が詰まる。

 腕が震える。


 防げてはいる。


 けれど、このままでは潰される。


 攻撃しても届かない。

 防御しても押し潰される。


 その事実が、胸の奥を冷たく沈めた。


 その時、頭の奥で声が響いた。


 ――防御と攻撃を分けて考えるな。


 ブエンの声だった。


 ――守るだけでは、相手は止まらん。攻めるだけでは、お前が倒れる。


 ――守りながら止めろ。止めながら守れ。


 ファイの指が、防御膜の内側で震えた。


「防御と……攻撃……」


 《ガード・ヴェール》の光が、わずかに膨らむ。


 絡みついていた《ノクス・バインド》が、ほんの少しだけ押しのけられた。


 しかし、次の瞬間。


 闇の帯が怒り狂うように、さらに強く締まった。


 透明な膜が、大きく歪む。


 押し返すだけでは足りない。


 ファイは息を吸った。


 そして、《ガード・ヴェール》を解いた。


 光が消える。


 同時に、外側から締めつけていた闇の帯が、行き場を失って内側へ殺到した。


 黒が迫る。


 腕へ。

 足へ。

 胸元へ。


 その刹那、ファイは足元へ魔力を叩き込んだ。


「――《デトネイト・ポイント》!」


 黒い水面が、白い衝撃で爆ぜた。


 爆発が闇の帯の根元を吹き飛ばし、拘束の檻に小さな穴を穿つ。


 ファイの身体が、その衝撃に押し出されるように飛び出した。


 だが、強すぎた。


 爆風が自分の胸元まで跳ね返り、肺の奥の空気を叩き潰す。


「ぐっ……!」


 ファイは黒い水面を転がり、片膝をついた。


 胸の奥が痛い。

 腕がしびれる。

 息を吸うたびに、さっき自分で起こした爆発の反動が身体の内側を殴りつけてくる。


 それでも、拘束からは抜け出した。


 《ノクス・バインド》の黒い帯は、吹き飛ばされた根元からゆっくりとほどけ、黒い水面へ沈んでいく。


 もう一人のファイは、赤い瞳でそれを見ていた。


 口元に、薄い笑みが浮かぶ。


「……少しは考えるようになったか」


 その声に、ファイは歯を食いしばった。


 考えたわけじゃない。

 ただ、必死だった。


 防いでも押し潰される。

 攻撃しても届かない。


 だから、防御を解いた瞬間に、攻撃で逃げ道を作るしかなかった。


 けれど、それでも届いてはいない。


 ただ逃げただけだ。


 もう一人のファイが、片手をゆっくりと上げた。


「――《ノクス・ラミナ》」


 黒い水面が、音もなく裂けた。


 そこから、薄く研ぎ澄まされた闇の刃が何枚も浮かび上がる。


 針のように突き刺す《ノクス・ニードル》とは違う。

 今度の闇は、切り裂くための形をしていた。


 黒い刃が、水面すれすれを滑るように迫る。


 さらに、もう一人のファイが指を下ろした。


「――《ノクス・グラーヴェ》」


 闇が重くなった。


 膝をついたファイの身体に、見えない圧がのしかかる。


 立てない。

 避けられない。


 黒い刃が、まっすぐ迫ってくる。


 ファイは、逃げようとはしなかった。


 膝をついたまま、迫り来る闇を見据える。


 ただ防ぐだけではだめだ。

 ただ攻撃するだけでも届かない。


 ブエンの声が、胸の奥でもう一度響く。


 ――防御と攻撃を分けて考えるな。


 ――守りながら止めろ。止めながら守れ。


 ファイは、震える手を前に出した。


「防御と……攻撃を……同時に……!」


 透明な膜が広がる。


「――《ガード・ヴェール》!」


 《ノクス・ラミナ》が、防御膜へ叩きつけられた。


 いつもなら、受け止めるだけだった。


 だが、今度は違う。


 ファイは、膜をただ硬くしなかった。


 闇の刃がぶつかった瞬間、その力を膜の表面に沿わせる。


 流す。

 曲げる。

 押し返す。


 透明な膜が、ぎりぎりと歪んだ。


 受け止めた衝撃が、防御膜の内側で向きを変えていく。


 ファイの腕に、重い痛みが走った。


 それでも、手は下ろさない。


「返す……!」


 次の瞬間、《ノクス・ラミナ》が跳ね返った。


 黒い刃が、来た道を逆走する。


 もう一人のファイの赤い瞳が、わずかに見開かれた。


 刃は速い。


 黒い水面を裂きながら、一直線にもう一人のファイへ迫る。


 だが、驚きは一瞬だけだった。


 もう一人のファイは、片手を横へ払った。


 跳ね返された黒い刃は、その手に触れた瞬間、煙のようにほどけて消えた。


 ファイは息を詰める。


 消された。


 でも。


 返せた。


 今、確かに返せた。


 もう一人のファイの笑みが、少しだけ薄くなる。


「――《ノクス・ニードル》」


 黒い水面から、無数の針が撃ち上がった。


 細く、速く、まっすぐにファイを狙う闇。


 ファイは膝をついたまま、もう一度手を前に出した。


「――《ガード・ヴェール》!」


 透明な膜が、ファイの前に広がる。


 黒い針が突き刺さる直前、ファイは膜を固めなかった。


 受ける。

 流す。

 向きを変える。


 防ぐだけじゃない。


 返す。


 《ノクス・ニードル》が、防御膜の表面で次々と反転した。


 黒い針の群れが、来た方向へ撃ち返される。


 ファイの呼吸が乱れる。


 腕が痛い。

 胸が苦しい。

 魔力が削られていく。


 それでも、目は逸らさなかった。


 跳ね返った《ノクス・ニードル》が、もう一人のファイへ殺到する。


 黒い針が、赤い瞳の前まで迫った。


 その直前。


 もう一人のファイが、にやりと笑った。


 針は避けられなかった。


 胸に。

 肩に。

 腕に。


 黒い闇が、次々と突き刺さる。


 けれど。


 何も起こらなかった。


 刺さった《ノクス・ニードル》は傷を作ることもなく、彼の身体へ沈むように溶けていく。


 闇が、闇へ戻っただけだった。


 もう一人のファイは、赤い瞳でファイを見下ろした。


「オレに闇が効くと思ったのか……?」


 黒い水面が、静かに波打った。

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