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闇より速く、光より深く  作者: なすび
第三章 闇の中のもう一人
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第17話 守るための攻撃

 その後も、訓練は続いた。


 水、火、風、土。

 ファイは中級魔法の形を、少しずつ身につけていった。


 だが、最後の一歩だけが越えられない。


 水流が足首へ絡みつく直前。

 炎の輪が閉じる直前。

 盛り上がった土が、標的の動きを封じる直前。


 決まって、そのたびに魔力が弱まった。


 魔法そのものができないわけではない。

 逃げているわけでもない。


 ただ、相手の動きを奪う、その瞬間になると、どうしても手が止まってしまう。


 ブエンは、そんなファイの姿を何度か黙って見ていた。


 標的へ向かった水流は、足首に絡む前にほどけ落ちる。

 炎の輪は閉じ切る前に勢いを失う。

 盛り上がった土も、固定する前に崩れて、床へ落ちる。


 ファイはそのたびに、悔しそうに唇を噛んだ。


 けれど、無理に魔力を押し通すことはしなかった。


 やがて、ブエンは標的の起動を止めた。


「……一度、別の属性に移る」


 訓練場の床に、新しい防護結界の線が走った。


 淡い光が四方へ広がり、壁際の装置が低く唸る。

 これまで使っていた標的が床下へ沈み、代わりに分厚い金属板がせり上がってきた。


 金属板の表面には、無数のへこみが刻まれている。


 刃で斬られた傷ではない。

 もっと無骨で、強い衝撃を何度も浴びた跡だった。


 ブエンはその前に立ち、ファイを見る。


「今日は、爆発属性を扱う」


 静かな声だった。


 けれど、軽い響きではなかった。


「爆発魔法は危険だ。制御を誤れば、周囲を巻き込む。まずは見本を見ろ」


 ブエンが金属板へ右手を向ける。


 指先に、小さな魔力が集まった。


「――《ブラスト・ショット》」


 次の瞬間、標的の中央で小さな爆発が起きた。


 大きな音ではない。

 それでも、訓練場の空気がびり、と低く震えた。


 金属板が鈍くへこむ。

 そこから、白い煙が細く立ち昇った。


 ファイは、真新しいへこみをじっと見つめていた。


「同じようにやってみろ。威力は小さくていい。標的に向けて撃て」


 ブエンが場所を譲る。


 ファイは金属板の前に立った。


 さっきの跡が、標的の中央に残っている。

 小さな爆発だったはずなのに、へこみははっきり見えた。


 ファイは、ゆっくり右手を上げた。


 指先が、少しだけ震える。


「……どうやって出すの……?」


「標的を見る」


 ブエンは金属板の中央を指した。


「自分の手から飛ばすと思うな。目標の場所で、魔力が膨らむように考えろ」


「目標の場所で……」


「小さくていい。大きくしようとするな。お前が制御できる大きさでいい」


 訓練場が静かになる。


 床を走る防護結界の光だけが、ゆっくり明滅していた。


「もう一度、構えろ。《ブラスト・ショット》だ」


 ファイは小さく息を吸った。


 標的を見る。


 手から飛ばすのではなく、目標の場所で魔力が膨らむように。


 指先に、魔力が集まっていく。


「――《ブラスト・ショット》」


 ぱちん。


 標的の少し手前で、乾いた音が鳴った。


 火花が散る。


 爆発というより、小さな破裂音だった。

 衝撃は金属板まで届かず、空気を少し震わせただけで終わった。


 白い煙が、宙で細くほどけて消える。


 ブエンは、それを失敗だとは言わなかった。


「……発動はした。だが、あれでは相手は止まらん」


 責める声ではない。


 できたところを認めたうえで、足りないものだけを示す声だった。


「もう一度だ。怖いなら、無理に大きくするな。ただ、途中で消すな」


「途中で……」


「標的まで届かせろ」


 ファイはもう一度、右手を向けた。


 さっきよりも少しだけ多く、魔力を集める。


 標的を見る。

 手から飛ばすのではなく、目標の場所で膨らませる。


 その瞬間だった。


 頭の奥を、別の感覚がよぎった。


 ドッジボールの時と同じだった。


 投げれば、当たる。

 相手が避けられないところに届く。


 そう分かってしまった、あの感覚。


 けれど、今度は違う。


 ――爆ぜる。


 標的がへこむだけでは終わらない。


 分厚い金属板がひしゃげる。

 その後ろの壁まで砕ける。

 破片が飛び、熱が広がり、訓練場の空気そのものが弾ける。


 できる。


 なぜか、そう分かってしまった。


「――っ」


 ファイの指先から、集まりかけていた魔力が散った。


「――《ブラスト・ショット》」


 ぱちん。


 また、小さな音が鳴った。


 さっきよりも弱い破裂だった。

 火花が散って、すぐに消える。


 標的には、空気の震えさえ届かなかった。


 ブエンは動かなかった。


 だが、見逃してはいなかった。


 今の一瞬、ファイの内側で跳ね上がった魔力を。

 あれは、こんな小さな破裂で終わる熱量ではなかった。


 まともに放てば、標的をへこませるだけでは済まない。

 金属板ごと、壊していたかもしれない。


「……今、抑えたな」


 ブエンは標的ではなく、ファイを見た。


「出せなかったのではない。出せると思ったから、止めた」


 ファイは何も言い返せなかった。


 見抜かれたことが怖かったのではない。


 自分でも見ないようにしていたことを、言葉にされたのが怖かった。


 ブエンが一歩だけ近づく。


「ファイ。防ぐだけでは、守り切れない時がある」


 無傷のままの金属板が、二人の前に立っている。


「相手が一度攻撃してくる。お前が防ぐ。相手がもう一度攻撃してくる。お前がまた防ぐ。それを続ければ、いつか魔力が尽きる」


 ファイは、両手をぎゅっと握った。


「防御が破られる。その時、後ろにいる者が傷つく」


 ブエンの声は厳しかった。


 でも、突き放すための冷たさではなかった。


「だから、攻撃が必要になる」


 命令ではなかった。


 目をそらすな、と言われている気がした。


「傷つけるためではない。殺すためでもない。これ以上、攻撃させないためだ」


 焦げた匂いが、まだ訓練場に残っている。


「相手を無力化することも、守るための技術だ」


 ファイの目元が歪んだ。


 泣かないように、唇をきつく結ぶ。

 息を止めるようにして、顔を伏せる。


 それでも、涙は落ちた。


 ぽろぽろと零れた雫が、硬い床に小さな染みを作る。


 ファイはうつむいたまま、小さく答えた。


「……はい……」


 ブエンは、それ以上言わなかった。


 慰めることもしない。

 叱ることもしない。


 ただ、ファイが今受け止めたものを、それ以上無理に押し込もうとはしなかった。


「今日の訓練は終了だ」


 泣きじゃくるファイを急かさず、ブエンは静かに告げた。


「よく休め」


 訓練場の標的が沈黙する。


 床を走っていた防護結界の光も、端から順に消えていった。


 残ったのは、ブエンが金属板に刻んだ鈍いへこみと、ファイの足元で弾けた小さな焦げ跡だけだった。


 ファイは訓練場を出て、自室へ戻った。


 廊下は静かだった。

 自分の足音だけが、薄く反響している。


 部屋に入ると、いつもの光景があった。


 質素なベッド。

 机。

 きちんと畳まれた予備の訓練着。

 机の上に広げたままの、読みかけの資料。


 何も変わっていない。


 変わっていないのに、胸の奥だけが重かった。


 ファイは何も片づけず、そのままベッドに倒れ込んだ。


 魔力はほとんど使っていないはずだった。

 それなのに、手足が泥のように重い。


 目を閉じると、ブエンの声が何度も戻ってくる。


 ――防ぐだけでは、守り切れない時がある。


 ――だから、攻撃が必要になる。


 ――傷つけるためではない。殺すためでもない。


 追い払うこともできない。

 うまく飲み込むこともできない。


 そのまま、ファイの意識は少しずつ沈んでいった。


 部屋の灯りが遠ざかる。

 音が消える。

 シーツの感触も、自分の呼吸も、ゆっくり分からなくなっていく。


 そして――。


 気がつけばファイは、底知れない闇の中にひとり立っていた。

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