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闇より速く、光より深く  作者: なすび
第二章 守るための力
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幕間 銀河食堂にて

 ヴィンクルム商会へ踏み込む、少し前のことだった。


 まだ、ファイの日々が訓練と検査と、慣れない言葉ばかりでできていた頃。

 銀河連邦の中で、自分の立つ場所が、まだ自分でもよく分からなかった頃。


 ブエンに連れられて入った食堂は、ファイの知っているどの食堂とも違っていた。


 天井は高く、白い光がやわらかく広がっている。壁際には長いカウンターが並び、その上には見たことのない料理がいくつも置かれていた。


 淡く光るゼリー。

 星屑みたいな粒を浮かべたスープ。

 透明な葉に包まれた、肉のようなもの。


 どれも地球のものとは少しずつ違って見えた。


 銀色の制服を着た隊員たちが、その間を慣れた足取りで行き交っている。


「今日はここで食べる」


 ブエンは短く言った。


「訓練を続けるにも、食べなければ身体が持たん」


 ファイは小さくうなずきながら、並んだ料理を見回した。


 知らないものばかりだった。


 匂いも、色も、名前も分からない。食べ物だと分かっていても、どこから手をつけていいのか迷う。


 そのときだった。


 カウンターの一角に、小さな皿がいくつも並んでいるのが見えた。


 白い粒の上に、赤や橙、銀色の切り身が乗っている。形も大きさも、地球で見たことのあるものに近い。


 違うのは、切り身が角度によって星みたいにきらめくことと、白い粒が少しだけ透き通って見えることくらいだった。


 ファイの目が、一気に丸くなった。


 声は出なかった。


 ただ、口だけが小さく開く。


「……お寿司……」


 知らないものばかりの場所で、知っているものに似た形がある。


 それだけで、胸の奥が少しだけゆるんだ。


 あまりにも小さな声だったのに、ブエンには届いたらしい。


「知っているのか」


 ファイは皿を見たまま、こくこくとうなずいた。


 ブエンはその横顔を一度見た。


「このあたりの星でよく食べられているものだ。地球の料理に近い分類で言えば、寿司に近いらしい」


 そう言って、ブエンは皿を一つ取った。


「食べてみるか」


 差し出された皿を、ファイはゆっくりと受け取った。


 まるで大事なものを渡されたみたいに、両手が少しだけ丁寧になる。


 橙色の切り身は、地球のサーモンに似ていた。

 深い赤の方は、マグロに近い。


 けれど、どちらも地球のものより少しだけ光を含んでいて、宇宙の海で育ったと言われたら信じてしまいそうだった。


 ファイはその近くに置かれた小皿を見た。


 濃い色の液体と、緑色の薬味らしきもの。


 迷わず、緑の方にだけ手を伸ばす。


「……そちらは使わないのか」


 ブエンが聞く。


 責める声ではなかった。


 ただ見ている。訓練中に足の運びや呼吸を観察する時みたいに、ファイが何を選ぶのかを見ていた。


「うん。僕、お寿司はあんまりお醤油つけない」


 そう言って、わさびに似た緑色の薬味だけをほんの少し乗せた。


「これは使いすぎるな。辛い」


「うん」


 ブエンは近くの席を顎で示した。


「座るぞ。立ったまま食べるものではない」


 席につくと、周囲の隊員たちがちらちらとこちらを見た。


 だが今のファイは、そんな視線には気づいていなかった。


 目の前の寿司を、真剣に見ていた。


 箸を持つ手が、少しだけそわそわしている。


 迷った末に、まずは橙色の方を選んだ。


 一口、食べる。


 次の瞬間だった。


「んーー!!!!」


 ファイの肩がぴくっと上がった。


 目が一気に輝く。頬がゆるむ。声にならないまま、全身で美味しいを表現していた。


 ブエンは、手にしていた器を止めた。


「……落ち着いて食べろ」


 硬い声だった。


 けれど、訓練場での鋭さはそこにはなかった。叱るというより、あまりにも分かりやすい反応に少しだけ呆れているような、そんな声だった。


 ファイはもう一つ食べた。


 今度は赤い方だった。


 また目が輝く。


 そして、次の瞬間には立ち上がっていた。


「どこへ行く」


 ブエンが低く言う。


「……ちょっと」


 ちょっと、ではないことは顔を見れば分かった。


 ファイはそのまま寿司の並ぶカウンターへ向かい、皿をいくつも見比べ始める。


 橙色の寿司。

 赤い寿司。

 銀色の寿司。

 少し青く光る、たぶん寿司。


 戻ってきた時には、皿の上がかなり寿司で埋まっていた。


 ファイはそれを両手で大事そうに持っていた。


 その顔は真剣だった。


 訓練の時とは別の意味で、ものすごく真剣だった。


 ブエンは皿を見た。


 それから、ファイを見た。


「……ファイ」


 その声に、ファイの足が少しだけ止まる。


「もう少しバランスよく食べろ」


 言葉だけ聞けば注意だった。


 けれど、声の中に強い叱責はなかった。


 ファイの顔が、分かりやすく少ししゅんとする。


「寿司だけで身体は作れん」


 そう言って、ブエンは近くの鍋から別の皿を取った。


 湯気の立つ、野菜のスープだった。


 ファイはスープを見た。


 それから寿司を見る。


 もう一度スープを見る。


 明らかに、寿司の方がよかった顔だった。


 けれど、ブエンは寿司を取り上げなかった。


 ただ、スープも食べろと言った。


 訓練のあと、足がふらついていたことも。

 魔法を使うと、すぐ息が乱れることも。

 たぶん、全部見ていたのだ。


 ファイは少しだけ目を伏せた。


 それから、スープ皿をそっと両手で持ち上げる。


 さっきより少しだけ、顔がやわらいでいた。


 ブエンはその顔を見て、ほんのわずかに目元を緩めた。


「これも食べろ」


 ファイはこくりとうなずいた。


 ブエンは一拍置いてから、少しだけ声をやわらげる。


「……寿司を美味しく食べるためにもな」


 ファイはきょとんとしてから、ふっと笑った。


「うん」


 そう答えて、寿司ばかりの皿と野菜のスープを並べる。


 それは少しちぐはぐで、でも妙にファイらしい食卓だった。


 ファイはまず、もう一度寿司を見た。


 食べたい、という気持ちが顔に出ている。


 それでも先にスープへ手を伸ばした。


 一口だけ飲んで、少しだけ眉を寄せる。


 やっぱり寿司の方がいい、という顔だった。


 けれど、そのあとで寿司を口に運ぶと、またすぐに目が輝いた。


「ん……!」


 ブエンはその様子を見ながら、自分の食事へ戻った。


 食堂のざわめきは変わらない。


 銀色の制服も、知らない料理も、白い光も、何もかもまだ地球のものではない。


 それでも、寿司を食べて目を輝かせるその顔だけは、どこかひどく年相応だった。


 ブエンは器を置いた。


「食べ終わったら休憩は終わりだ」


「えっ」


「当然だ」


 ファイは目を丸くしたまま、それでも皿を抱えるようにして寿司を見た。


 少し急いで食べようかと迷っているのが、顔に出ている。


 ブエンはそれを見て、ほんのわずかに目元を緩めた。


「……慌てるな」


 低い声で言う。


「寿司は逃げん」


 ファイはその言葉に、少しだけ安心したようにうなずいた。


 そしてまた、目の前の皿に向き直る。


 この日からファイは、銀河食堂へ来るたびに、最初に寿司の皿を探すようになった。

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