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闇より速く、光より深く  作者: なすび
第二章 守るための力
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第12話 残った壁

「子どもたちから、離れろ」


 ファイの声は、大きくはなかった。


 けれど、部屋の中にいた誰もが、一瞬動きを止めた。


 男は弾かれた手を見た。


 それから、ファイを見た。


 息を切らした小さな子ども。

 震える膝。

 それでも、子どもたちの前から退こうとしない身体。


 男の顔から、驚きが消えた。


「どけ」


 低い声だった。


 ファイは動かなかった。


 男が、指だけで合図を出す。


 部屋の奥にいた構成員たちが、一斉に動いた。


「子どもを押さえろ!」


 壁際にいた子どもたちが、びくっと肩を震わせる。


 男の一人が、横から回り込んだ。別の男が、泣いている子の腕へ手を伸ばす。


「――《ガード・ヴェール》」


 ファイはもう一度、唱えた。


 透明な光が広がる。


 伸ばされた手が弾かれた。


「くそっ!」


 構成員が武器を構える。


 青白い光弾が放たれた。


 ファイの前で、透明な壁が揺れる。


 腕が重い。

 足が震える。

 床に立っているだけで、身体の中から力が削られていく。


 それでも、壁は破れなかった。


 背中の後ろで、子どもたちが泣いている。


 誰かが、小さく言った。


「こわい」


 その声が聞こえた瞬間、ファイの胸の奥が熱くなった。


 守る。


 ここから先へは、行かせない。


 誰も連れて行かせない。


 ガード・ヴェールの光が強くなる。


 正面だけだった壁が、ゆっくり形を変えていく。


 横へ。

 上へ。

 子どもたちの背中側へ。


 透明な膜が、子どもたちを丸く包んだ。


 泣いている子も、座り込んだ子も、服の裾を握りしめている子も、その中に入っていた。


「何だよ、これ……!」


 構成員の一人が光に触れる。


 弾かれた。


 別の男が床に手をつき、下から潜ろうとする。


 そこにも、光があった。


「どこからも入れないぞ!」


「先にあいつをどかせ!」


 ファイへ向かって、さらに光弾が飛んだ。


 ガード・ヴェールが揺れる。


 ファイの身体も一緒に揺れた。


 でも、退かなかった。


 男たちの顔に、焦りが浮かび始める。


 その時、部屋の扉が乱暴に開いた。


 息を切らした構成員が飛び込んでくる。


「ガルム様!」


 その名が、部屋に響いた。


「銀河連邦の部隊が迫っています! このままでは――」


 ファイの中で、何かが止まった。


 ガルム。


 聞いた名前だった。


 ブリーフィングで聞いた。


 ヴィンクルム商会の首謀者。


 ガルム・ヴィンクルム。


 目の前の男が、ゆっくりと報告者を振り返る。


 ファイの視界が、狭くなった。


 公園の砂が、頭の中によみがえる。


 動かなかった足。

 蓮の腕をつかむ男。

 逃げろ、と言った声。

 伸ばしたのに、届かなかった手。


 目を覚ました時、蓮は地球にいた。


 自分だけが、ここにいた。


 この男が。


 この男のせいで。


 胸の奥で、何かが熱くなる。


 怖さではなかった。


 守りたい気持ちとも、少し違っていた。


 黒くて、重くて、喉の奥までせり上がってくるものだった。


 許せない。


 こいつのせいで、蓮と離れることになった。


 もう誰も、連れて行かせない。


 その時。


 胸の奥の、もっと深い場所で。


 誰かが笑った。


『……なら殺してしまえよ』


 ファイの息が止まる。


 聞いたことのない声だった。


 でも、知らない声ではない気がした。


『震えてるだけじゃ、何も守れない』


 声が、低く笑う。


『貸せ。オレがやる』


 深い闇が、音もなく広がっていく。


 ファイの意識は、そこで途切れた。




 ――その頃、通路では。


 ブエンが、最後の構成員を床へ叩き伏せていた。


「拘束しろ!」


 隊員たちが動く。


 通路に倒れた男たちは、全員息がある。武器は弾かれ、腕は拘束具で封じられていた。


 だが、ブエンはもうそちらを見ていなかった。


 横の通路。


 ファイが消えた方。


 嫌な感覚が、首筋を走っている。


「二班、ここを維持しろ。私はファイを追う」


「了解!」


 ブエンは走った。


 細い通路を抜ける。


 開いた扉が見える。


 その奥から、光が漏れていた。


 いや、光だけではない。


 黒い。


 深すぎる黒が、床を這っている。


 ブエンは部屋へ飛び込んだ。


 最初に見えたのは、倒れている構成員たちだった。


 全員、息はある。


 だが、立っている者はいない。


 地球の公園で見た光景に、よく似ていた。


 次に、子どもたちが見えた。


 壁際に集められていた子どもたちは、透明な防御魔法に包まれている。


 泣いている子もいる。

 震えている子もいる。

 声を出せずに、こちらを見ている子もいる。


 だが、誰一人、傷ついてはいない。


 ガード・ヴェールは維持されていた。


 壁ではない。


 子どもたち全体を包む、透明な膜。


 その光だけが、部屋の黒の中でまだ生きている。


 ブエンは、息をのんだ。


 守っている。


 確かに、守っている。


 なのに。


 その中心に立つファイの周囲だけが、真っ黒だった。


 小さな背中。

 黒い魔力。

 赤い瞳。


 ファイの足元から、闇が立ち上がっている。


 子どもたちへは向かわない。

 倒れている構成員たちにも向かわない。


 ただ一人。


 ガルム・ヴィンクルムへ向かっていた。


 ガルムは後ずさった。


 口が動いている。


 だが、声になっていない。


 ファイの唇が、ゆっくり動いた。


 まるで、知らない誰かがその口を借りているみたいに。


「――《ノクス・アビス》」


 ブエンの背筋が冷えた。


 闇属性の最上級魔法。


 名は知っている。

 記録にも残っている。


 だが、ブエン自身も、実戦で見たことはない。


 闇属性で最上級以上の魔法を使えば、術者の意識は闇に呑まれる。


 だから、それは技ではなく、警告として記録されている魔法だった。


 それを、目の前の子どもが唱えている。


「やめろ! ファイ!」


 ブエンは叫んだ。


 だが、ファイは振り返らなかった。


 闇が、ガルムの足元に落ちる。


 広がるのではない。


 沈んでいく。


 床が割れたわけでもない。

 焼けたわけでもない。


 そこだけが、底を失ったように黒く沈んだ。


 ガルムが逃げようとする。


 足が動かない。


 黒が、足首を越える。


 膝へ。

 腰へ。

 胸へ。


 部屋の音が遠くなった。


 子どもの泣き声も。

 構成員のうめき声も。

 ブエン自身の呼吸さえ。


 闇に近づくほど、薄くなる。


 ガルムの口が開いた。


 悲鳴は、途中で途切れた。


 闇が閉じる。


 次の瞬間、音が戻った。


 泣き声。

 荒い息。

 倒れた構成員たちのうめき声。


 けれど、ガルム・ヴィンクルムの気配だけが、どこにもなかった。


 ブエンは一瞬、動けなかった。


 間に合わなかった。


 その言葉だけが、胸の奥に落ちる。


 子どもたちを包んでいたガード・ヴェールは、まだ消えていない。


 透明な光は最後まで、震える子どもたちを包んでいた。


 ファイの赤い瞳から、色が抜ける。


 黒い魔力がほどけた。


 続いて、ガード・ヴェールも光の粒になって消えていく。


 小さな身体が、前へ傾いた。


「ファイ!」


 ブエンは駆け出した。


 倒れる寸前で、ファイを抱き止める。


 軽かった。


 あまりにも軽かった。


 腕の中にいるのは、闇の最上級魔法を放った者ではなく、意識を失った子どもだった。


 頬は青ざめている。

 指先は冷たい。

 唇は、何かを言いかけた形のまま震えていた。


 子どもたちを守った壁は、もう消えている。


 けれど、そこにいた子どもたちは生きていた。


 誰一人、連れて行かれなかった。


 その事実だけが、黒く沈んだ部屋の中に残っていた。

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