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闇より速く、光より深く  作者: なすび
第二章 守るための力
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第11話 呼ぶ声

「ファイ。現場では、私の指示に従え」


 転送前、ブエンはファイの前に立っていた。


 足元には、淡い光の円が広がっている。隊員たちは装備を確認し、短い声で互いの配置を確かめていた。


 訓練場の空気では、もうなかった。


 声が低い。

 足音が硬い。

 誰も、無駄なことを言わない。


 ファイにも分かった。


 もう、訓練ではない。


「怖いか」


 ブエンが聞いた。


 ファイは、少しだけ迷ってから、うなずいた。


 指先が冷たい。

 胸の奥が、きゅっと縮んでいる。


「怖い」


 小さな声だった。


 それでも、ファイは顔を上げた。


「でも、行かないほうが怖い」


 ブエンはファイを見つめた。


 それが覚悟なのか、無謀なのか。


 今のブエンには、まだ分からない。


 だが、嘘ではなかった。


「なら、私のそばを離れるな」


 ブエンは剣の柄に手を置いた。


「命令を聞け。迷ったら、私を見る。勝手に動くな」


「……はい」


 返事は、少し硬かった。


 ブエンは短くうなずく。


「行くぞ」


 足元の光が強くなる。


 次の瞬間、訓練場の床も、壁も、銀河連邦の明かりも、白く溶けた。


 足元の感覚が戻った。


 訓練場の白い光は消え、代わりに薄暗い通路が広がっている。壁は金属のようで、ところどころに古い傷が走っていた。


 空気が重い。


 薬品の匂い。

 錆びた鉄みたいな匂い。

 どこかで、低い機械音が鳴っている。


 ファイは、思わず息を浅くした。


 ここに、誰かがいる。


 そう思っただけで、指先がまた冷たくなった。


 ブエンは一度だけ周囲を見た。


「進む」


 隊員たちが、音を抑えて通路へ散る。


 ファイはブエンのすぐ後ろを歩いた。


 ブエンの背中を見る。

 銀色の装甲。

 腰の剣。

 迷いのない足取り。


 その背中から離れないように、ファイは歩いた。


 角を曲がった瞬間、金属音が跳ねた。


「侵入者だ!」


 通路の向こうに、武装した男が三人いた。


 男たちの武器が青白く光る。


「ファイ、防御」


 ブエンの声が飛んだ。


 ファイは両手を前に出した。


「――《ガード・ヴェール》」


 透明な壁が、ブエンたちの前に立ち上がる。


 光弾がぶつかった。


 壁の表面が大きく揺れる。

 白い火花が散る。

 腕の奥まで、びりっとした重さが走った。


 ファイは息を止めそうになって、慌てて吸った。


 破れていない。


 訓練場ではない。

 目の前には、本物の敵がいる。


 それでも、防御魔法はちゃんと発動していた。


「維持しろ」


 ブエンが前へ出る。


 剣が一度だけ光り、男の武器が床に落ちた。隊員たちが左右から回り込み、残る二人へ拘束具を投げる。


 ファイには、すぐに終わるように見えた。


 けれど、奥の通路から足音が増えた。


 一つではない。


 金属の床を蹴る音が、いくつも重なって近づいてくる。


「応援だ!」


 隊員の一人が声を上げた。


 角の向こうから、武装した男たちがなだれ込んでくる。手には銃のような武器。肩には、小型の魔法具が取りつけられていた。


 通路いっぱいに、青白い光が走る。


「ファイ、防御を広げろ」


 ブエンは前を向いたまま言った。


 ファイは歯を食いしばる。


「――《ガード・ヴェール》」


 防御壁が横へ広がった。


 さっきより広い。


 隊員たちの前まで覆うように、透明な壁が通路をふさぐ。


 光弾が次々とぶつかった。


 壁が揺れる。

 腕が重い。

 足の裏が床に沈むようだった。


 けれど、崩れない。


 できている。


 怖くても、手は動く。


 守れている。


 胸の奥に、ほんの少しだけ熱が戻った。


「押し返すな。受けろ」


 ブエンの声がした。


 ファイはうなずく余裕もなく、両手に力を込めた。


 ブエンが踏み込む。


 一人目の武器が弾かれ、二人目の足が払われる。隊員たちがすぐに拘束具を投げ、倒れた男たちの腕を封じた。


 それでも、奥からさらに三人が現れる。


 狭い通路に、光と音が満ちていく。


 その混乱の中で。


 かすかに、別の音がした。


 機械音でも、足音でもない。


 誰かが、泣いているような声だった。


 ファイの視線が、横の通路へ動きかける。


「よそ見をするな!」


 ブエンの声が鋭く飛んだ。


 ファイは、はっとして前を向いた。


 防御壁が一瞬だけ揺らぐ。


 そこへ光弾がぶつかり、壁の表面が大きく波打った。


「目の前のことに集中しろ!」


「……はい!」


 ファイは息を飲み、両手に力を込め直した。


 薄くなりかけた防御壁が、もう一度形を取り戻す。


 光弾がぶつかる。

 弾ける。

 耳の奥が痛い。


 それでも、壁は破れなかった。


 ブエンが敵の一人を押し返し、隊員がすぐに拘束する。


 残る敵が後ろへ下がった。


 その時だった。


 横の通路の奥。


 閉ざされた扉の向こうから、今度ははっきりと声が聞こえた。


「助けて!」


 子どもの声だった。


 ファイの呼吸が止まった。


 助けて。


 その声が、胸の奥をまっすぐ突いた。


 公園の砂。

 動かなかった足。

 蓮の声。

 伸ばされた手。


 逃げろ、と言われた。


 でも、逃げられなかった。


 今度も、誰かが連れて行かれる。


 そう思った瞬間、足が動きかけた。


「ファイ、動くな!」


 ブエンの声がした。


 止まれと言えば止まれ。

 下がれと言えば下がれ。

 待てと言えば待て。


 ブエンの言葉が、頭の中でよみがえる。


 分かっている。


 行ってはいけない。


 勝手に動いたら、だめだ。


 それでも。


 もう一度、声が聞こえた。


「いやだ、助けて!」


 ファイの中で、何かがきしんだ。


 防御壁が、ふっと薄れる。


「ファイ!」


 ブエンの声が飛ぶ。


 だが、ファイは振り返らなかった。


 子どもの声がした方向へ、走り出していた。


「ファイ! どこへ行く!」


 ブエンは追おうとした。


 その前に、奥の通路から新たな敵が飛び出してくる。


 青白い光弾が、ブエンの足元を焼いた。


「くっ……!」


 ブエンは剣を抜き、正面の敵を受け止める。


「二班、右を押さえろ!」


 返事が飛ぶ。


 通路の奥から、さらに敵が来る。


 ファイの背中は、もう横の通路の暗がりへ消えていた。


 ファイは走った。


 後ろで、ブエンの声がした気がした。


 でも、意味としては届かなかった。


 足音が、細い通路に何度も跳ね返る。


 息が苦しい。

 喉が痛い。

 胸の奥が冷たい。


 右も左も見ていなかった。


 ただ、声がした。


 助けて、と聞こえた。


 それだけで、身体が止まらなかった。


 通路の奥に、扉があった。


 その向こうから、また声がした。


「いやだ、やめて!」


 ファイは扉に手をかけた。


 開かない。


 それでも、手は離さなかった。


 手のひらに光が集まる。


 鍵のあたりで、硬い音が鳴った。


 ファイが体ごと押し込むと、扉は大きな音を立てて開いた。


 中にいた者たちが、一斉に振り向く。


 広い部屋だった。


 壁際には、何人もの子どもたちが集められている。


 泣いている子。

 声を出せずに震えている子。

 誰かの服の裾をつかんだまま、動けない子。


 その前に、長い外套を着た男が立っていた。


 男の手が、子どもたちへ伸びる。


「奥の転送路を開け。動ける分だけ連れていく」


 男は、子どもたちを見ていた。


 人を見る目ではなかった。


「泣くやつは黙らせろ。傷はつけるな。値が落ちる」


 その言葉に、壁際の子どもたちがさらに身を寄せた。


 ファイの胸の奥で、何かが冷たく固まる。


 この人は、助けを求めている子どもたちを見ていない。


 怖がっている顔も。

 震えている手も。

 帰りたいと思っている気持ちも。


 何も見ていない。


 ただ、運べる数を数えている。


 ファイは駆け出した。


「――《ガード・ヴェール》」


 透明な壁が立ち上がるのと同時に、ファイは男と子どもたちの間へ飛び込んだ。


 伸ばされた手が、壁に弾かれる。


「防御魔法だと……!?」


 男の顔に、初めて驚きが走った。


 ファイは両手を広げた。


 息が切れている。

 膝が震えている。

 怖くないわけじゃない。


 それでも、退かなかった。


「子どもたちから、離れろ」


 声は大きくなかった。


 けれど、震えてはいなかった。

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