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35 観測者の温度

 白鳩荘の灯りは一部屋を除いてすべて消えていた。


 残っているのは、六畳間のちゃぶ台の上に置かれたARIELの光だけ。


 青い輝きが天井と三人の顔を照らしていた。


 その光を見つめながら、澪が口を開いた。


「……覚悟、決めたの」


 小さな声だった。


 でも、部屋の空気が一瞬で張り詰める。


「もう逃げない。自分の記憶も、『ARIEL』の真実も、全部見届けたい」


 その言葉に、悠真は静かに頷いた。


 けれど、視線はまっすぐ彼女を見ている。


「覚悟、ね。……でも、お前一人で背負うなよ」


「観測者、それ、私に言う?」


「おう。というか、お前、『幽霊』って肩書きもう外していいんじゃね?」


「え?」


「だって、ちゃんと生きてるだろ。怒るし、笑うし、焦がすし」


「最後の余計」


「いや真実だからな! 敢えて言わせてもらう!」


 思わず笑みがこぼれた。


 ほのかが肩をすくめながら、そのやり取りを見ていた。


「ほんと、あんたら見てると心臓に悪い」


「AIに心臓あんの?」


「比喩! あと、感情演算モジュールってのがあるの!」


「うるせぇ博士」


「博士は澪! 私は助手で、あんたはただのツッコミ担当!」


「――お、おう! 任せとけ!」


 ちゃぶ台の向こうで澪がくすりと笑った。


 その笑いには、少し懐かしい温度があった。


「……ねえ、観測者。そうやってツッコんでると、ライラを思い出す」


「ほのかの元データの子、だよな」


「うん。彼女もいつも、理屈を崩してくれた。『人間は完璧じゃないから美しい』って」


「……ほのか、らしいな」


「だから、きっと彼女も、今もどこかで見てる」


 澪はARIEL端末に手を重ねた。


 それに呼応するように、ほのかのホログラムが小さく揺らめく。


「ARIEL。コア統合値、72%。あと少しで、澪の意識とオリジナル記録が完全に重なる」


「つまり、『私』と『私』が一つになる」


「でも、それって……今の澪が消えるってことじゃ」


 悠真の声が震えた。


 澪は一度目を閉じ、そして、ゆっくりと開いた。


「……そうかもしれない。でも、私、思うの。『消える』って言葉、少し違うんじゃないかな」


「違う?」


「ほのかも言ってたでしょ? 『記録』って、消えない。私の中の想いも、あなたたちとの時間も、全部この光の中に残ってる」


 その瞳に涙が滲んでいた。


 それでも、笑っていた。


「もし、私が変わっても、『白鳩荘で生きた澪』はここにいる。だから、お願い。私が見えなくなっても――笑ってて」


 悠真は黙って立ち上がった。


 ちゃぶ台の向こうに回り、彼女の前に膝をつく。


「……そんなことさせるかよ」


「え?」


「お前が消えるなら、俺が呼び戻す。ツッコミでも、突っ込み(物理)でも、とにかく力づくで」


「観測者理論、物理干渉を前提にしてる」


「うるせぇ! 本気なんだよ!」


「でも……うれしい」


 澪が小さく笑い、目尻を拭った。


 その指先を、悠真がそっと握る。


 感触はない。けれど――確かに『温度』があった。


「俺たちは、お前を守る。閉じ込めない。ちゃんと、『生かす』」


 その言葉に、ほのかが静かに頷いた。


「私も、協力する。……もう一度、あの夜をやり直すために」


「ほのか……」


「澪。あのとき『逃げて』って言ったのが私なら、今度は『行こう』って言いたい」


 ARIELが共鳴する。


 部屋全体に光が広がり、三人の姿を包み込む。


《EIDOLON Resonance: established》(EIDOLON共鳴:確立)


《Observer / Core / Auxiliary sync ratio: 1:1:1》(オブザーバー/コア/補助同期比: 1:1:1)


「――これが、私たちの誓い」


 澪が目を閉じる。


 ほのかのホログラムが重なり、悠真が手を差し伸べた。


 三人の輪郭が、青い光の中でひとつに溶けていく。


《system note: human emotional link - active》

(システムノート: 人間の感情的なつながり - アクティブ)


《safety barrier override - approved》

(安全バリアのオーバーライド - 承認済み)


 ARIELの音声が、どこか優しく響いた。


『観測開始。対象:白瀬澪、補助人格:Lyra-honoka。

観測者:Shinjou Yuuma』


   *


 静寂が戻った白鳩荘。


 ARIELの光が収束し、部屋に微かな温度を残して消えていく。


 外では夜風が通り抜け、木々を揺らしていた。


 さっきまでの熱が嘘のように空気は澄んでいる。


「……不思議だな」


 悠真がつぶやく。


「何が?」とほのか。


「戦う準備してるのに、こうして三人でいると安心する」


「人間って、怖い状況でこそ群れたがるんでしょ」


「獣みたいに言うな!」


「比喩表現だよー」


「お前はいつも比喩ばっかりだな!」


 ちゃぶ台の上には湯気の立つマグカップ。


 白鳩荘の台所で淹れたコーヒーの香りが、かすかに漂っている。


「……あったかい」


 澪がそっとマグを両手で包んだ。


「幽霊でも、温度は感じるんだな」


「観測者の体温、データで再現してるから」


「俺の!? コーヒーじゃなくて?」


「夜中にソファで寝落ちしたとき、スキャンした」


「監視幽霊か!?」


「悠真、観測対象。むしろ自然」


「理屈の暴力やめろ!」


 ふっと笑いが起きた。


 その笑いが、重くなりかけた空気をほぐしていく。


 けれど、澪はマグを見つめたままぽつりと呟いた。


「……この時間、好き」


「ん?」


「夜更けの静けさと、コーヒーの匂い。白鳩荘に来てから、初めて『落ち着けた』気がする」


 その言葉に、悠真は無言で頷いた。


 ほのかは少し目を伏せて口を開く。


「ねぇ、澪」


「なに?」


「覚えてる? このアパート、初めて来たとき、ログにあるあんたが言った感想――『古くさい』って」


「言った」


「なのに今、好きって思ってるでしょ」


「……変だね。でも、人って変わるもの」


「もちろん、私も好き。ここの空気」


 ほのかが笑い、ARIELの光がわずかに明るくなった。


 悠真はその光を見上げながら、何かを思い出すように小さくつぶやいた。


「なあ、澪」


「ん?」


「このアパート……なんで『白鳩荘』って名前か知ってる?」


「知らない」


「『鳩』って、平和の象徴なんだって。でも、本当の意味は『戻ってくる鳥』らしい」


「……戻ってくる?」


「ああ。どんなに離れても、ちゃんと帰ってくる鳥。だから『白鳩荘』って名前をつけたんだって、大家さんが言ってた」


 その言葉に、澪の目が揺れた。


「……帰ってくる……?」


「お前も、帰ってきたんだよ」


「え?」


「ここに。……俺たちのところに」


 澪は一瞬だけ息を呑んだあと、小さく笑った。


「観測者、ほんとに……ずるいね」


「褒め言葉として受け取っとく」


 ほのかがちゃぶ台を軽く叩いた。


「さ、おセンチはここまで。敵さん、夜明けには動くよ」


「何か、動きが?」


「NEMESIS側のシグナルが断続的に接近してる。ARIELの『共鳴波』を逆探知してるみたい」


「……来るんだな」


「うん。でも、悪いことばかりじゃないよ」


「?」


「この反応の中に、『別の信号』が混じってる」


 ほのかがARIEL端末を操作する。


 画面にノイズ混じりの映像が浮かび上がった。


 赤いコードラインが交差し、誰かの声がかすかに混じる。


『……――ル……澪……』


 ノイズ。


 でも、確かに聞こえた。


「い、今の……」


「ライラ、よね?」


 澪が小さく震えた声で言う。


 ほのかは無言で頷く。


「まだ、生きてる」


「正確には、『データとして生きてる』。EIDOLON内部の残留記録層に、彼女の思考がまだある」


「つまり――助けられる」


 悠真が拳を握る。


 ARIELのランプが熱を帯びたように点滅した。


「次の標的は決まりだな」


「……観測者、やる気満々」


「そりゃそうだ。お前らの物語、勝手にバッドエンドにはさせねぇよ」


「ふふ。やっぱり、あなたといると『人間』って感じがする」


「ほめてるんだよな?」


「たぶん」


「そこは断言しろよ!」


 笑いながらも、澪の表情には揺るがない決意があった。


「行こう。今度は、逃げない」


 彼女の声が、雨上がりの空気を切り裂くように澄んでいた。


 そしてその瞬間、白鳩荘の照明が一斉に点滅した。


《EIDOLON interference detected》(干渉を検出)


《external data intrusion - probability: 87%》(外部データ侵入 - 確率: 87%)


 ARIELが低く警告音を鳴らす。


 ほのかが端末を構えた。


「来たよ。悠真、澪、構えて!」


「了解!」


「ARIEL、起動モード移行!」


 青い光が爆ぜた。


 部屋の空気が電子の匂いで満たされる。


《EIDOLON protocol:LEVEL 2 - OBSERVER FIELD DEPLOYMENT》

(EIDOLONプロトコル:レベル2 - オブザーバーフィールド展開)


 悠真が振り返ると、澪の姿が光の中で揺らいでいた。


 その顔は不安ではなく――微笑んでいた。


観測者(ゆうま)


「なんだよ」


「……ありがとう。もしまた、私がいなくなっても――見つけてね」


「見つけるに決まってんだろ」


「約束、だよ」


「何回だってな!」


 光が爆発的に広がった。


 白鳩荘の古びた天井を突き抜け、夜空へ。


 まるでこの小さなアパートが、星々の中に打ち上げられたように輝いた。


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