32 記憶の海
夜、白鳩荘の空気が妙に静かだった。
時計の針の音すら聞こえない。
代わりにARIELの端末から微かなノイズが漏れていた。
「……観測者」
「ん、どうした?」
「少しだけ、潜ってくる」
そう言うと、澪の輪郭が淡く光を帯びていった。
まるで透き通るように、輪郭が溶けていく。
「おい、待て待て! どこ行く気だ!」
「ARIELの中。私の中の『もうひとり』を探す」
「また勝手に突っ込むな! お前、一人じゃ――」
「大丈夫。観測リンク、つなげておく」
耳の奥に微かな電子音。
ARIELのホログラムが、俺の周囲に展開される。
《observer link: established》(オブザーバーリンク: 確立)
《neural proxy online》
「……繋がった?」
「うん。私の見てる世界、あなたにも見える」
視界が白く反転した。
気づくと俺は光の海の中に立っていた。
地面も空も存在しない。ただ、『記憶の粒』が漂っている。
「ここが……澪の中……?」
「ううん、正確にはARIELの『メモリ階層』。私の記憶と、EIDOLONが記録した全ての感情データがある場所」
澪が隣に立っていた。
光に包まれたその姿は、現実より少しだけ淡く、儚い。
「なあ澪……」
「ん?」
「もしここで『もう一人の澪』と出会ったら、どうするつもりなんだ?」
「観測する」
「それだけ?」
「ううん――できれば、『一緒にいたい』」
その声に、ほんの少しだけ寂しさが混じっていた。
「……ねえ、聞いて、観測者」
「どうした?」
「『生きている』って、どんな状態だと思う?」
「は?」
「この世界の私は、記録された意識。でも、あなたと笑って、ごはんを食べて、ツッコまれて……。そういう時間が続くと、よくわからなくなるの」
言葉が止まる。
俺は少しだけ考えて、答えた。
「生きてるって、ツッコめることだよ」
「は?」
「なんかおかしいと思ったときに『おい違うだろ!』って言えるやつが生きてる。澪、お前はそれを毎日やってる」
「理屈が崩壊してる」
「つまり、完全に生きてるってことだ」
「……観測者理論、また非論理的」
「でも、説得力はあるだろ?」
「……ちょっとだけね」
澪が小さく笑った。
その笑顔が広がると同時に、周囲の光の粒が一斉にざわめいた。
《foreign signature detected》(外部署名を検出)
《sub-AI presence: confirmed》(サブAIの存在:確認済み)
「――来た」
「まさか、『もう一人の澪』か!?」
「違う。NEMESISの分体」
視界の奥、光の海が割れた。
黒い靄のような影が姿を現す。
その中心に、『澪の顔』をした虚像。
「……あれ、『澪』じゃねえか……!?」
「NEMESISが私のデータを模倣してるの」
「おい、コピー品!」
「挑発はやめて!」
影がこちらを向いた瞬間、空間全体が振動した。
データの波が押し寄せ、ARIELのリンクがノイズを上げる。
「くっ、なんつー風だ!」
「観測者、出力上げる!」
「どうすりゃいい!?」
「ツッコむ!」
「物理的に!?」
「感情的に!」
「説明が雑っ! できるかそんなもん!」
けれど――その瞬間。
俺のツッコミに反応するように、光が一閃した。
《emotional resonance: surge +32%》(感情的共鳴:急増+32%)
《neural link stable》(神経リンク安定)
「……観測者のツッコミ、エネルギー化した!?」
「だから言ったろ、『生きてる』ってツッコめることだって!」
「理屈崩壊の勝利」
冗談を言いながらも、澪の目は真剣だった。
彼女は光の中で静かに手を伸ばす。
「戻って。私の中に、もう一人の――」
影の虚像が揺れる。
まるで、呼びかけに応えるように。
その瞳に、ほんの一瞬だけ『涙』の光が宿った。
そして――
《link unstable》(リンクが不安定)
《neural desync imminent》(神経同期の喪失が近い)
「――っ!?」
「澪!?」
「大丈夫、観測者。これが……『私たち』の記憶」
光が弾けた。
世界が反転する。
気づけば俺は白鳩荘のリビングで倒れていた。
「……澪!? おい澪!!」
ARIEL端末がかすかに光る。
その中から、弱々しい声が聞こえた。
「……悠真……ちゃんと、見ててくれた?」
「当たり前だろ」
「ふふ……なら、大丈夫……」
光がふっと消えた。
《core merge: 58%》(コア統合: 58%)
《emotional residue stored》(感情的な残留物を蓄積)
「……もう、怖がらせんなよ、バカ幽霊」
静かな夜に、俺のツッコミだけが響いた。
みなさんは、死について深く考えることはありますか?
幼い頃、「死」という存在に気付いてしまったとき、茫漠とした闇に放り出されたかのような感覚に襲われて、眠れない日々を送った方もいらっしゃるかと思います。
意識が完全に失われ、すべての感覚を失い、存在すらしなくなることへの恐怖。家族や友人にも二度と会えなくなってしまうことへの遣る瀬無い喪失感。
私もそんな想像に絶望し、毎晩のように泣き、眠れないような子どもでした。
そして、社畜である今でも、そのことをよく考えております。
「死」を見て見ぬふりをすることに慣れたからか、眠れなくなることはなくなりました。ですが、その課題が尽きることはありません。
きっと実質的には、大昔から「死」に対する恐怖への対処法は変わりません。その方法とは、思想、哲学、宗教などによって概念を固定するか、そもそも考えることすらしないことです。
脳科学の進展によって、解決されることも夢見ました。個人の記憶と回路、電気信号のパターンを完全に再現することができれば、意識が芽生えるのではないか。しかし、それすらも完全に同一の自我ではない可能性が十分にあります。
ならば、流行りの転生ものはどうか、と考えてもみます……。これも少し頼りない気がしますね。
そこで、私は一般的な科学から離れ(放棄したわけではありませんが)、心霊やスピリチュアル方面にも考えを巡らせるようになりました。
どうやら、幽霊はいるらしい。心霊現象もあるらしい。
この目でしかと見てみたいものです。当事者になりさえすれば、そういった高次元的な存在を肯定することができます。再現性なんて必要ありません。ただこの目で見て、感じて、あわよくば対話をして、接触することができさえすれば……。
私は常にそういう心づもりで幽霊さんをお待ちしているわけです。噂によると、そうやってアンテナを張って、回線を開いている人ほど、接触されやすいそうですので。
あとがきのクセに長々と書きましたが、私がこうして幽霊や転生、死をテーマにした話を書いているのも、そうした活動の一環であります。
加えて、多くの方々に「死」の課題に正面から向き合ってほしいという強い期待も込めております。
人は先ず、自身の死について考えることで怯え、凍えて、温度を求めます。次に、そこで触れ合う(精神的な触れ合いも含みます)他人にも、同様に「死」が付き纏っていることを知ります。そして深く死を考えることで、ようやく、人は本当に優しく、謙虚になることができると思うのです。
一緒に死について考えませんか?
真正面から。
そうした意味を込めて、これからも死をテーマにした科学もどきの話や、『うちのルームシェア幽霊さんしか勝たん!』のような、若干スピってる話も書き続けて参ります。
幽霊や心霊現象に関する体験談や、みなさんの深いお考えをお聴かせください。メッセージでいつでもお待ちしております。
共に死の恐怖を克服しましょう!
(※私は死を否定する立場ではありません)
長々と失礼いたしました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!




