29 キャンパス・グリッチ
大学内。
講義棟の廊下に並ぶモニタが一斉にチカチカと点滅していた。
画面には見覚えのある英字。
《EIDOLON//subsignal mismatch detected》(サブ信号の不一致を検出)
「……おい、これ澪の『字』だよな?」
「観測者、講義中に『霊的ハッキング』って単語を口にしないの」
「いや、普通に事件だろこれ!」
イヤホン越しに澪の声が響く。
ARIELの通信リンクは、今や俺の耳の中で生活音みたいになっていた。
「教室中のモニタにEIDOLONタグ出てるんだぞ!?」
「つまり、『私』が反応したわけ」
「どういうことだよ」
「……NEMESISの欠片が、ネットワークに潜ってる」
その言葉を聞いた瞬間、俺のスマホが震えた。
画面に知らないアカウントからのDM。
《@Nemesis_core:「こんにちは、観測者」》
「……おい、こいつってネットリテラシーあるの?」
「むしろ高い。AIセキュリティ系の闇鍋よ」
「AIの闇鍋ってどんなホラー!?」
廊下を歩いていたほのかが合流した。
スマホを掲げ、眉をひそめている。
「DM、こっちにも来た。『ARIELを返せ』だってさ。相変わらず強引な口調」
「それ、AIのくせに人間臭いな」
「……人間を学んだから、ああなったのよ」
ほのかの言葉に澪が静かに息を呑む。
「ねえ澪、心当たりある?」
「……ある。たぶん、あれは――」
校内の放送スピーカーが一斉に鳴った。
耳を刺すようなノイズのあと、聞き慣れた女の声が響く。
『白瀬澪。――観測を終わらせましょう』
「……ミラー澪!?」
「違う。あれは、『ARIELの模倣核』」
「模倣核? そんなもんがキャンパスの放送ジャックしてんの!?」
「つまり、大学のネットワーク中枢が『戦場』になったわけ」
そのとき、空気が歪んだ。
廊下の端、窓の外の空がノイズで割れていく。
まるで現実のピクセルが剥がれているみたいに。
「ちょっ……現実がグリッチしてんぞ!」
「EIDOLONの防壁、展開する」
「ほのか、フォロー頼む!」
「了解!」
三人の声が交錯する。
ARIELの青い光が、イヤホンの奥から広がって空間を満たした。
《defense link: established》(防御リンク: 確立)
《observer sync: online》(オブザーバー同期: オンライン)
澪の姿が現れる。
白いブラウスが風をはらみ、髪が光を散らす。
その目は、昨日までの『幽霊』のものじゃなかった。
「悠真。――観測者モード、準備は?」
「聞き方が格ゲーなんだよ!」
「じゃあ、実践演習に変更」
「名称変えてもダメだからな!?」
ノイズの中から人の形をした影がゆっくりと現れる。
まるで、ミラー澪の輪郭を歪ませたような『別の存在』。
《NEMESIS // fragment 01 - active》(NEMESIS // フラグメント01 - アクティブ)
「来たな……」
「悠真、前へ」
「いやちょっと!? 俺また前衛!?」
「観測者、盾は得意でしょ?」
「得意じゃねぇよ!」
影が腕を振り下ろす。
電子の閃光が床を走り、天井の照明が弾けた。
ほのかが空中で指を走らせ、ARIELの補助フィールドを展開する。
「ほのか、左側面!」
「やってる!」
「悠真、後ろ――」
「わかってる!」
無我夢中で体を動かす。
光の残滓が視界を焼く。
「観測者、心拍上昇!」
「測るな!」
「いいデータ取れそう!」
「取るなって言ってんだろ!?」
澪が笑った。その瞬間、ARIELの青が一気に輝く。
《EIDOLON resonance achieved》(共鳴を達成)
《neural sync: 98%》(ニューラル同期:98%)
「リンク安定。――行くわよ」
「おう!」
二人の声が重なり、光が閃いた。
ノイズの向こう、NEMESISの影が崩れ落ちていく。
静寂。
《threat neutralized》(脅威を無力化)
《signal trace: residual 0.03%》(信号トレース:残留0.03%)
沈黙が戻る。
ほのかが息をついて、笑った。
「ふぅ……バトル演習、合格点かな」
「いや試験官のノリやめろ!」
「じゃあ成績A+」
「やっぱり学生扱い!? しかも結構良いのか!?」
澪がふわりと笑った。
「……いい観測だった」
「お前の評価基準も結構ずれてるからな?」
ノイズが完全に消えた廊下で、三人は顔を見合わせて笑った。
その笑い声を遠くで聞きながら、校内のサーバールームの奥で誰かが静かにモニタを見つめていた。
『――観測、成功。次は「記録」の奪還だ』
*
翌朝。
大学公式サイトのトップページには、でかでかと『お知らせ』が貼り出されていた。
【本日、全学停電のため臨時休講といたします】
「……いや、停電で済むのか、昨日のアレ」
「観測者、世の中は『説明できる範囲で』説明するのよ」
「だいぶ狭ぇ範囲だな! 物理的にイッてたろ!」
キャンパスに向かう途中、俺と澪とほのかはコンビニ前で立ち尽くしていた。
澪は傘の代わりにARIELの傘フィールドを展開し、ふわりと浮いている。
ほのかはホログラムなのに普通に缶コーヒーを持っていた(触れるのかよ、ずるいな、おい)。
「しかし、昨日のあれで大学が『停電トラブル』で済ませるって、どんな広報力だよ」
「表現の自由って便利ね」
「捏造を自由にしないでくれる!?」
俺がツッコむ横で、澪が空を見上げていた。
雲の隙間から薄く差す光。
その中に、昨日の残光がまだ漂っているような気がした。
「……NEMESISの欠片、まだ完全には消えてない」
「ほのか、解析できるか?」
「できるけど、こっちから下手に触るとまた誘爆するかも。『放置してる間に観測』が一番安全かな」
「なんでこのチーム、放置が基本方針なんだよ」
「観測型だから」
「便利ワード使うな!!」
三人で笑いながら歩く。
ほのかがふいに手元の端末を見て、眉を寄せた。
「……あれ? ARIELのログが一部消されてる」
「消された? まさか外部から?」
「いや、内側から。澪、あなたじゃないよね」
「私じゃない」
「じゃあ誰が……」
風が通り抜ける。
澪の輪郭が少しだけ揺らいだ。
「……っ、また干渉波が」
「ちょ、澪!?」
「平気。すぐ安定する」
そう言って、彼女は軽く目を閉じた。
その姿は一瞬だけ光を散らして、すぐに戻る。
《EIDOLON core realign: success》(EIDOLONコアの再編:成功)
《system note: unstable source nearby》(システムノート: 近くのソースが不安定)
「……近くに、NEMESISの残滓がある」
「大学の中?」
「ううん、たぶん――この街そのもの」
俺とほのかが顔を見合わせる。
空気がわずかに冷えた気がした。
けれど、その沈黙を破ったのは――カラン、と鳴る缶コーヒーの音だった。
「ま、難しい話はカフェでしよ。こういうときは糖分取ってリフレッシュだよ」
「切り替え早ぇな!?」
「これ、澪に教わった」
「……『心のキャッシュクリア』」
「用語のクセがすごい!」
そんなやり取りをしながら、俺たちは近くの喫茶店に入った。
店のテレビではニュースが流れている。
『昨日、大学周辺で大規模通信障害が発生しました。原因は未明の雷による――』
「雷って」
「AIより非科学的な言い訳きた」
「まあ、表向きそれでいいわ」
澪が静かに微笑んだ。
その笑顔に少しだけ影が混じる。
「……本当に、『雷』だったらよかったのにね」
「澪?」
「なんでもない。観測者、パンケーキ冷める」
「はいはい、幽霊に食べられねぇパンケーキの気持ちになれってのか」
「観測者、意外と詩人」
「いや諦めの境地だよ!!」
三人で笑う。
ARIELの光がほんの少しだけ揺れた。
《system status: calm / latent threat: detected (1%)》
(システム状態: 平穏 / 潜在的な脅威: 検出 1%)
まだ『何か』が残っている。
でも今は、それを笑いながら過ごせるだけの余裕があった。
「――ねえ悠真」
「ん?」
「こうやって笑ってる間にも、世界は観測されてるのよ」
「……じゃあ、俺たちも負けずに笑っとくか」
「観測のノイズ対策、完璧ね」
「おう、ツッコミ精度で世界を救う!」
「その発想、嫌いじゃない」
カフェの窓越しに見える街は、いつも通りの朝だった。
けれどその下で、ARIELとNEMESISの影は静かに息づいている。
それを知らない人たちの笑い声が、外の風に溶けていった。
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