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28 夜明け前

 夜の白鳩荘は、昼間よりちょっとだけ電子の匂いがする。


 ARIELの端末が弱く光って、カーテンの隙間から月が差し込み、幽霊と大学生と元相棒の擬似データが一つの部屋で息をしている。


――どう考えても普通じゃないのに、今はこれが一番しっくりきていた。


「……ふぅ。今日は観測が騒がしかったわね」


 ちゃぶ台の向こうで澪がそう言って、湯気のたつティーカップを持ち上げる。


 もちろん本当に飲めるわけじゃない。香りだけを楽しんでいる。


「原因誰だと思ってんだよ」


「あなたでしょ」


「即答かよ」


「観測者がモテるから回線が混雑するの」


「お前それ、言い方だけ聞くとマジで俺浮気者なんだが!?」


 そのやり取りをほのかがソファ(俺に運ばせたやつ)の背もたれに座りながらにやにや見ている。


 ホログラムなのにくつろぎ方だけは完全に居候だ。


「でもさー、いいね。こうやって澪が普通に突っ込んでるの。前はもっと『実験体モード』だったもん」


「やめてよ、その呼び方」


「事実でしょ?」


「でも今は違うわ。私は――」


 澪が言葉を区切って、ふっとこちらを向いた。


「今は、『新城悠真の同居幽霊』だから」


 その言い方が妙に誇らしげで、俺は思わず笑った。


「肩書きの順番おかしくね? 『世界的研究者』とか『EIDOLON開発者の娘』とかあるだろ」


「長くてラノベタイトルに入らないでしょ」


「意識してんのラノベかよっ!」


 三人の笑い声が重なる。


 その上をARIELの淡い文字が静かに流れた。


《EIDOLON//ARIEL link: stable》

《emotional state: warm》(感情状態: 温かい)


「『あったかい』って出た」


「いいじゃない。今日の評価、『あったかい』」


「AIに情緒表現させるなよ……いや、いいけどさ」


 ふと、ほのかが真面目な顔をした。


 さっきまでのからかい半分の顔じゃない、研究者の顔。


「……ねえ、悠真くん」


「ん?」


「たぶん、このリンク、このままずっと安定、ってわけにはいかないよ」


「……やっぱりか」


 俺は息を吐いた。


 こうやって笑ってる時間が長く続けばいいってわかってるのに、同時にこれは『準備時間』でもあるってことも、もう理解している。


「NEMESISはまだ本格的には動いてない。今は『見てる』だけ。でもARIELをここまで起動させたなら、向こうもすぐ気づく。……澪の『本物の記録』がここにあることに」


「つまり次は、ちゃんと戦う(ガチな)フェーズか」


「そう。観測だけじゃ超えられないところ、来るよ」


 ほのかの言葉に、澪が横目で俺を見た。


 その瞳は、さっきまでのヤキモチ幽霊じゃなくて、白瀬澪という天才が見せるときのそれだった。


「……その時、悠真。あなたはどこに立つ?」


「決まってる」


 俺は即答した。


「お前の隣」


 澪の目がぱちぱちと瞬いた。


 ほのかが「うわー」と小さく声を漏らす。


 ARIELの端末がなぜか光度を上げる。

 お前も照れたのか。


「……即答するの、ずるいわね」


「こっちもそうしないと、お前らに勝てねぇんだよ。天才と天才の亡霊なんだから」


「観測者も十分バカの天才よ」


「……それ、褒めてる?」


「だいぶ」


 澪が柔らかく笑った。


 その笑顔を見ていると、母親の残したログにあった言葉を思い出す。


『誰かと笑っていられるなら、それが答え』


 ――たぶん今、この部屋はその答えに一番近い。


「じゃあ、決まりね。今後の方針」


「方針?」


「うん。『NEMESISが本格的に来るまでに、なるべく楽しく暮らす』」


「ゆるいな作戦!」


「あと、『観測者はむやみに女子と距離を詰めない』」


「条件増えた!?」


「観測妨害になるので」


「お前の嫉妬プログラムのほうが作戦妨害だよ!」


「じゃあアップデートしておく」


「そういう問題じゃねぇ!」


 わちゃわちゃやっているうちに、窓の外が少しだけ白んできていることに気づいた。


 夜明け。


 このアパートの一番綺麗な時間帯だ。


「……ねえ悠真」


「ん?」


「『夜明け』って、不思議よね。暗いのと明るいのが混ざってて、どっちにも決まりきってない」


「まあ、境目だしな」


「今の私たちも、こんな感じかも」


「幽霊と人間とデータでルームシェアしてるやつらが境目じゃなかったら何なんだよ」


 澪がくすっと笑う。


 ほのかも、窓の外を見上げて目を細めた。


「……いいね。ここ。理沙さんが残した場所だって言われたら納得する」


「お前が居ること、はるさんにはまだ言ってないけどな」


「言わなくてもわかってるよ、あの人は」


 ほのかの言い方は確信に満ちていた。


 やっぱりこの二人は、このアパートに『戻ってくるように』できてるんだな、と少し思う。


 ARIELの端末が最後に一度だけ小さく音を鳴らした。


《NEXT TARGET SIGNAL: detected》(次のターゲット信号: 検出)


《location: university network core》(場所: 大学ネットワークコア)


《note: “be ready.”》(用、準備)


「……来るな」


「来るわね」


「でもまあ、その前に朝ごはんだね~」


「緊張感は!?」


「えー、でもお腹減ってちゃ戦えないでしょ?」


「元相棒ながら、ほんとに安定してるわね」


 澪が立ち上がり、見えない手でトーストを持ち上げ、俺の皿の上にふわっと置く。


 もうこの光景にも慣れてしまった。


「じゃ、今日の観測も、よろしくね」


「おう。見といてやるよ、全部」


「言ったわね。録音したから」


「幽霊に録音されるホラーってなんだよ!」


 三人の笑い声が、夜明け前の白鳩荘に響いた。


 まもなく始まるかもしれない騒がしい戦いの前に、ほんのすこし長めの、優しい朝があった。


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