第63話 英雄対怪物
一瞬、その間で闇の中へと取り込まれる。
何も無い暗闇、漆黒と言える程の世界の中で馬の面はただ浮いていた。水中とも思える程に息苦しく自由の効かない空間ではあったが、馬の面には焦りの欠片も無い。当然の事だ、自身の主である孤高の賢者との模擬戦で似たような攻撃は何度も受けている。それでも微かな恐れは確かにあった。
絶対的な恐怖よりも弱いだけ、ただそれだけ。
そう考えて人間無骨を振るって周囲に漂う何かを掻き消すが、それを見て軽く安堵した。予想通り自身のいる場所がアルの影の中だと知る事が出来たのだ。それが理解出来たと同時に刃を無数に増やして影を喰らい尽くして見せた。
飲まれて十秒も経たない攻防戦だった。
それでも力に飲まれたアルの表情を歪ませるには十分な一撃でもある。影から放り出されたアルは有利を取るために一気に距離を詰めた。だが、それを許す程の優しさは持ち合わせていない。目の前の存在が自身の脅威なり得ると判断した今となっては本気で向かうしかないのだ。
そして、同様に馬の面もその仮面を変えた。
「力の扱い方は行使しなければ確実に学べない事でしょう。柄にも無いとはいえ、煽った甲斐があって本当に良かったです。では、ここから先は本来の得物で相手をする事としましょう」
馬の面から大きな角が映え出していく。
本物の好敵手が見付かったとばかりに勇み立つ姿は本物の兵士だった。そして、手に持つ槍も同様に新しいものへと変換される。美しい神々しさすらも放つような大槍、その姿を見ただけでアルが怯む程の力が確かにあった。その名は───
「天下無双、蜻蛉切」
詰め、その一瞬をアルは見切れなかった。
早駆けの如き速度、今のアルのように卓越した存在でも無ければ耐える事すら不可能だっただろう。だが、本当の脅威は吹き飛ばされた後の行動にあった。即座に展開される無数の魔法陣、その術式は嫌という程に見てきたものだ。そう、自身の嫁が好んでいた極大魔法の一つ。
それ故にアルは咄嗟に影の中へと下がった。
とはいえ、そのような有り触れた行動を読めない程の存在でもない。攻めと同時に詰めていた馬の面によって影へと刃先が向かう。そこで気が付くべきだったのだ。アルは最初から敵が詰め寄って来るのを待っていたに過ぎない。
「……無駄ですよッ!」
その小細工を打ち破ったのは他でも無い荒業だ。
焦りから大振りに振るわれた蜻蛉切、そして馬の面は自身が誤った選択を取ったと知る。真価を振るうための行動が自身の得物を自由に扱えない状態へと陥らせたのだ。同時に迫る背後からの攻撃は得物を失った今となっては対処など不可能であった。
「本当に……最悪だなぁ……」
弾かれ地に伏しながら馬の面は思い出した。
自分が折ってしまった本物の天才を、共に歩みたいと考えていた最高の好敵手を視界に映しながら笑う。その手に何も無かろうとも死ぬまで戦うという本能のために左腕で突きを対処する。
「ああ……貴方のために……勝ちたかったよ……」
無駄、分かっていても右手を振り抜いた。
動かない、それでも負ける訳にも死ぬ訳にもいかない馬の面は想いのままに戦う。既に動かなくなった左腕すらも使って無数の斬撃に耐え忍んで見せたのだ。だが、それも長くは続きはしない。
───その腹を剣が貫き、馬の面は倒れ込んだ。
「はぁ!? アイツ! 負けたんだけど!?」
「当たり前でしょ! 賢者様の言葉をしっかり聞いていたの!? アルだけは絶対に暴走させるなって話だったじゃない!」
「……待て! どういう意味だ!」
「あのね! あのオッサンは!」
二人の面から放たれた言葉、剣聖は足を止めた。
それを見て二人は意を決したように口を開いてすぐに馬の面のもとへと向かう。短い期間とはいえ、重く大切な関係を築いてきた時間でもあったのだ。その命を儚く散らせる等、誰もが許せる訳が無かった。対して、剣聖には伝えられた言葉が重くのしかかり続ける。
「自覚の無い先祖返りなのよ!」
そんな剣聖の心境とは裏腹に変化していく。
二対一となりながらも剣聖とは比べ物にならない速度で追い詰めていくアル。明確な勝利が近くまで寄って来たというのに剣聖の表情は良くはならなかった。それは剣聖として成すべき仕事を成し遂げられない現実に違いが無い。だから、意味が無いと分かっていてもアルのもとへ向かった。
「アンタ達さぁ……傷を負い過ぎんだよね!」
「ん……頑張った皆に言い過ぎ」
最中、二人の新手が虚空の中から現れた。
方や幼い兵士であり、方や幼い料理人といった見た目ではあるものの内に秘めた力は剣聖を身震いさせるものでもある。そして、その予想は嫌という程に当たった。戦闘不能となった三人が何も無かったかのように立ち上がったのだ。
「私の名前はデメテル。賢者様の配下の中で最初に神の名を頂いた存在よ。安心して飢えなさい」
「ん……私はドラン。孤高の賢者の嫁の一人。少なくとも弱い存在に負ける気はない。だから、さっさと消えて」
模様も飾りすら無い穴が三つ空いた面。
そこに新しい紋様が浮かび上がる。方や手に持つ包丁を強調するかのように真紅に染まり、方や姿と同様に完全な龍へと変わった。そして、そこまで来てようやく理解する事が出来る。二人は三人以上の猛者である、と。
「本当は……謝りたかった、んです」
「え? 何が?」
「あの時は、過去を振り切る事に精一杯でした。貴方を叩き潰す事が……自身の嫌いだった俺を殺せる手段だと思っていたから……でも、すぐに戦闘班を辞めた姿を見て代わりを」
デメテルに肩を貸され運ばれる中、漏れた声。
紛れも無い本音、先の煽りのためではない心から漏れ出た言葉にデメテルは「フッ」と笑う。別に嘲笑では無い、大切な友人の弱さを見たからこそ漏れてしまった安堵の思いだった。
「アンタって頭が良いのに馬鹿よね。別に最初から生産班に回る気だったの。料理をしたいって思っていたから戦う気なんて無かったからね」
「で、でも……君の戦闘の才能は……」
「折れてない。だから、ここに来ている」
その言葉を聞いて蜻蛉切を無理やり構えた。
自身の固有スキルを持ってようやく倒せたような化け物が力を貸すのだ。そして、その視界の先には背中を預けられる馬鹿二人もいる。その事実が馬の面にとっては頼もしく、それでいて楽しくて仕方が無いのだ。自分と同等の怪物が癒し、四人で戦える事が何よりもただ嬉しかった。
「ドラン様は剣聖達の相手をお願いします。この人を倒すには四人がかりでようやくなので」
「ん、分かった。邪魔者は叩き潰しておく」
「ありがとうございます。じゃあ、久し振りに暴れるよ。サポートは私がしてあげるから安心して叩き切られなさい!」
両腕を広げて魔力を練り出したデメテル。
それと同時に五人を捕らえるような結界が張られ、内部が木々で生い茂る。その異様さに剣聖とドランを除いた全員は目を取られ、続く行動を取れずにいた。だが、デメテルからすれば今はそれで良いのだ。
「飽くまでも貴方は生かして倒す、それ以上の何かは求められていないわ。それなら簡単な話では無いでしょう。だって、白魔法を行使出来ればいいだけでしかないもの」
「ガァ……ッ!」
一瞬で距離を詰めたアルだったが無駄だった。
その刃は容易に得物で抑え込まれ、その顔面を小さな手が覆う。本能的に危険を察知したが既に遅かった。放たれた白い閃光はアルを吹き飛ばして壁へと叩きつける。
「料理人って意外と必要なスキルが多いのよ。白魔法だって鮮度を少しでも保つために必要だったから覚えたに過ぎないわ。まぁ、ここで扱えるのなら覚えた意味があったのだろうけど」
「悪いな、隙を与えてしまった」
「いい……じゃあ、指示に従って貰うよ」
デメテルの言葉に三人は首を縦に振った。
そこからは何かが口から漏れた訳でもない。だというのに、起き上がったアルをまるで分かっていたかのように馬の面が詰め、下がったところを他二人が突いた。そんな美しい連携に目を取られていた剣聖の視界の先に一本の一文字が通る。
「……余所見は駄目」
「はは……そのようですね!」
場所を意識してなのだろう、サイズは小さい。
だが、それが出来ているからこそ、目の前の存在が本物の化け物である事は想像に容易いのだ。だから、その聖剣を構え直してドランに向く。英雄と怪物の戦いが遂に幕を開けた。
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