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第47話 月夜に指す一筋の闇

「い、意地悪なのよ……私がネームレス様と一緒にいたいって分かっていて……」

「ああ、そうだったのか。少しも気が付けなかったよ。確かに我と出会ってすぐに抱き締めてくるような少女だ。我を好いていたとしても何ら不思議では無かったな」

「あの……このまま、話してもいいのかしら……」


 赤面しながら視線を背けるララをネームレスは静かに抱き締めた。そのまま、背だけを自身の胸へと寄りかからせて小さく溜め息を吐く。それは今の状況に対して悲観的に考えるからでは無い。もっと彼本人の根本に関わるものだった。だからこそ……。




「お疲れかしら」

「……ああ、最近は働き尽くめでね。古今東西、色々と走り回っていたんだ。……ララの笑顔を見れたから少しは疲れも取れたものだが」

「お、お世辞は……私を喜ばせるだけですわ! やっぱり! 私の体を目当てにしていたのですね!」

「はは、だとしたら、ララの全てを求めているよ。能力だけの体を手に入れたところで持て余すだけだ。君の体はララという魂が宿る事でようやく我が助けるだけの価値を齎してくれる」


 孤高の賢者は人の死体を多く求めている。

 それは何も本当の意味で死体が欲しいという好き者、いや、ジャパニーズ変態という訳では無い。その死体の中に残る魂、もしくは魂の残滓が彼の欲していたものだった。確かに先祖返りを起こした存在の魂は格別なものではあるが……それをムザムザと捨てられる程では無い。


「愛しています。ネームレス様」

「随分とちゃちな言葉を並べるのだな。そのような言動で我が心を揺るがす事が出来るとでも思っているのか」

「ふふ、私の事を覚えていた方が口にする言葉とは到底、思えませんね。あの時の貴方様の方が余っ程ちゃちな言葉を並べていたように思えますが。ましてや、このような夜闇の中で逢いに来たという事は何か意味があるのでしょう」


 その言葉を聞いてネームレスは少し頬を赤らめた。それをララにバレたくないのか、大きな溜め息を一つ吐いて背もたれに体を任せる。ギィという鈍く重い音の後にララの顔を自身に向けさせて口を開く。


「単刀直入に言わせてもらおう。……ロレーヌ家が狙われている、と言えば納得できるか」

「私に逢いに来た訳では無い、と言いたいのですか」

「半分正しくて半分誤ちだな。我は我の愛した者との約束を守りたいだけだ。その中で話が通じそうな存在がララであっただけでしかない」

「話が通じそう程度で私の名前を覚えていただけるのですね。あの夜から何度も貴方と再会出来る日を待ち望んでいましたが……まさか、このような時に叶うとは思いませんでした」


 その言葉を聞いてネームレスは再度、大きく溜め息を吐く。ララの言う通り、ただ話が通じるだけであれば如何様にも手段などあった。それでも尚、ララのもとへ姿を現したのは他でもなく、彼女への興味が強くあったからだ。


「孤高の賢者様が忠告に来たという事は私達を狙っている存在は、それだけ脅威なり得る存在という事なのでしょう」

「今のロレーヌ家当主がどこまで情報を手に入れているか分からぬからな。仮に後手に回るような事態となれば恐らくは多くの者が死ぬ」

「……律儀なのは貴方様の方ではないかしら。今のロレーヌ家に何を求めているのかは分かりはしません。けれども、約束という一つの縛りのために落ち目の貴族家へ力を貸すなんて」

「我は……ロレーヌ家に助けてもらったからな。その恩の一部分程度は返したいのだよ」


 ロレーヌ家は公爵家として栄えている。

 それは当然ながらロレーヌ家が能力のある貴族家だったからでは無い。公爵家とは名ばかりの、過去に本家との争いに敗れた零落れの貴族家でしか無かった。その中で当時の当主の娘であったスズナがトーマに力を求めたのだ。


 それをトーマである、孤高の賢者はよく理解している。だからこそ、その部分に関しては少しも否定はしなかった。ましてや、欠片も言葉の中に嘘は無く、ロレーヌ家は確かに今のトーマを作り出した存在でもある。だから、静かにララへ視線を向けた。


「今のロレーヌ領がこうして栄えているのはネームレス様が手を貸してくれたからなのよ。それが恩返しにはならないと言える理由が私には分からないかしら。むしろ、衰退の一途を辿る無能さを恨まれる方が正しいというのに」

「だから、我が姿を現したのだろう。君が思うよりも私が受けた恩というのは大きいのだよ。衰退がどうと言うのであれば我が止めてやれば良い。それに───」


 そこから先の言葉は伝える気が無かった。

 それでも歯止めの効かなくなった、油を注がれたばかりの彼には止められるはずも無い。ただ数秒間の言葉をまとめる時間を作り、ただ数秒間の深呼吸を三度ほど行い、そして最後にララへと視線を向ける。


「少なくとも君は無能では無いよ、ララ。本音を言えば喉から手が出る程に欲しい存在だ。今だって久し振りに出会えた事を嬉しいとすら感じている」

「ならば! 私を貴方の配下に!」

「はは、嬉しい事を言ってくれるね。でも、それはきっと一時の感情の昂りでしかない。だが、君の気持ちも無碍にはしないさ。君がロレーヌの血を継いでいる限りは間違いなく切れぬ縁だからな」


 ネームレスはララの頭を撫でて笑った。

 そこにあるのはネームレス・ヒュポクレティなどという大層な存在ではなく、孤高の賢者だと呼ばれた魔王とも思える存在でも無い。異世界人として転移して来ただけの一人の日本人でしか無かった。


 それが分かっているからこそ、ララは何かを続ける事も無く笑顔を見せる。そのまま、自分から体を寄せてトーマを抱き締めた。見た目とは裏腹に幼く小さな体のように感じたが……ララはただ笑って体を離す。


「ララ、君の誕生日となる日に再度、我等は邂逅する事となるだろう。その日に君が、ロレーヌ家がどのような行動を見せるかは我にも分からぬ。だが、それでも……精々、抗ってくれ」

「……ええ、それが貴方の願いならば……!」


 美しい闇夜に消えたネームレスを見て、ララは月めがけて微笑んだ。あの時に見た星空が確かに広がっていて、その頬は緩んでしまったのかもしれない。だが、ララはただ笑って星空を眺め続けた。








 ◇◇◇








 広い屋敷の中を一人の男が歩いていた。

 ただ、歩くと呼ぶには少しばかり速く、加えてどこか焦っているようにも見える。その身に纏った漆黒のスーツを靡かせて、その足を自身の休憩室へと進ませた。


 ガチャと嫌な音が響き、男はその音と共に良質な白いベットへと腰掛ける。彼は常時、自身の主である幼子の部屋の前で立っていた。だからこそ、彼は聞いてはいけない情報を脳内へと送り込んでしまったのだ。


「何だ……! 何なんだ……!」


 見た訳では無い、中の言葉を聞いた訳でも無かった。それよりずっと前に感じてしまった隠し切れない魔力量を持つ存在が、確かに扉一つを先にしたところにいたのだ。そして、それを肯定するかのように自身の主は答えていた。


 その者は確かに孤高の賢者だと名乗った。

 名前はネームレス、何度も自身の主が恋焦がれていた存在でもある。それ故に脳裏から剥がれる事が無い程に、その名前を覚えてしまい、そして今し方、相手の強さを身を持って理解したところでもあった。


「アレが無能……そんな訳が無い! アレは人が相手出来る訳の無い化け物だ! 本当の意味での人外でしかない!」


 ロレーヌ家の書物にはそう残されていた。

 だが、その書物に残されていた全てが嘘だと思えてしまう程には賢者の強さは異常に思えてしまっている。それは当然の事ながら、ララの執事であるゼノン自身が並ぶ力を持つからだとも言えるだろう。


「はは……確かに……尾を振るべき相手、なのだろうな。あの王国最大の脅威……孤高の賢者というのは……」


 何度も聞いた御伽噺のような存在。

 歴代最強の勇者、それは史実に削ぐわぬ程に本物の化け物と評された存在と戦い、そのどれもを勝利に収めてきたという賢者。確かに今の極限に抑えられた覇気であっても彼を圧倒してしまう存在が伝説に合わぬ訳も無い。


 だが、それでも……。




「私は……認めぬぞ。貴様のせいで何が起きたか分からないままで……ロレーヌ家を救うなどと口にするでは無いわ。貴様は───」


 その目に宿るのは紛れも無く憎悪であった。

 幾重にも連なる憎しみが織り成した布のような憎悪が確かにある。例え相手が伝説にもなり得る存在であろうと今の彼には関係が無いのだろう。だからこそ、誰にも聞こえない程に微かな声で月夜に謳った。






「───俺が殺してやる」


 ただ闇だけがゼノンを包んだ。

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