第11話 長老たちの反対
それからの三日間、イングリットは私のあとをついて回った。
薬草畑で雑草を抜いていると、少し離れた石垣に腰かけてじっとこちらを見ている。村へ行けば、フードもかぶらずに赤い髪をなびかせてついてくるので、村の人たちが「また屋敷から綺麗な人が出てきた」と目を丸くした。
「人間は、手が汚れるのを嫌がらないのですわね」
白花草の苗を植え替えていると、イングリットがぽつりと言った。
「薬草は、土に触らないと育ちませんから」
「竜なら、気を流すだけで済みますわよ」
「ヴァルディオス様にも、同じことを言われました」
イングリットは、ふん、と鼻を鳴らした。
(やっぱり、似ていらっしゃる)
トビが駆け寄ってきて「アニエス様、姉ちゃんがもう走れるようになったよ!」と抱きついてきたときも、イングリットは何も言わずに見ていた。その横顔が、ほんの少しだけやわらいでいるように見えたのは、私の気のせいかもしれない。
三日目の昼。
北の空から、三つの影が近づいてきた。
灰色、青、深い緑。三頭の竜は屋敷の庭に降り立つと、光に包まれて人の姿になった。いずれも年老いた男性で、長い衣をまとっている。真ん中の、灰色の髪を長く伸ばした老人が、杖をついて一歩前に出た。
「陛下。長老会筆頭、ヴェルムントにございます」
その声は、低く重かった。
「ずいぶんと、遠くまで迎えに来たものだな」
玄関に立ったヴァルディオス様の声は、冷たい。私は彼の少し後ろに控えていた。
ヴェルムント様の灰色の瞳が、私に向けられた。値踏みするような、けれど憎しみとは違う、ひどく疲れたような目だった。
「その方が、陛下の番でございますか」
「そうだ」
「……話は、中で伺いましょう。人間の娘御は、ご遠慮願いたい」
「アニエスは俺の――」
「ヴァルディオス様」
私は彼の袖をそっと引いた。
「私は大丈夫です。お茶をお持ちしますね」
ヴァルディオス様は何か言いたそうな顔をしたけれど、やがて小さく頷いた。
広間の扉の前で、私はお茶の盆を抱えたまま立ち止まっていた。
扉の隙間から、声が漏れてくる。
「――陛下も先々代の御代のことはご存じのはず。人間の番は、必ず陛下より先に逝く。そのとき、番の印は陛下の魂を半分持っていくのですぞ」
「承知している」
「承知していて、なぜ」
「十年前、俺は一度死んだ。あの娘が拾ってくれなければ、兄の爪で裂かれたまま、雪の中で終わっていた。俺の魂など、最初からあの娘のものだ」
盆を持つ手が、震えた。
「……陛下がどうしてもとおっしゃるなら、長老会は陛下の王位を問わねばなりません」
ヴェルムント様の声が、さらに低くなった。
「七日後、竜の国にて長老会議を開きます。陛下には出席していただく。出席なさらなければ、長老会は陛下が王位を捨てたものとみなします」
「王位など、いらない」
――え。
「アニエスと引き換えにしろと言うなら、くれてやる」
頭の中が、真っ白になった。
王位。十年かけて、兄と争って、ひとりで戦い抜いて手に入れたもの。番を迎えても誰にも脅かされない国にするために、と彼は言っていた。
それを、私のために捨てると言っている。
(……だめ)
気づいたときには、私は扉を押し開けていた。
広間の中の全員が、一斉にこちらを見た。部屋の中は、真夏のように暑かった。ヴァルディオス様の感情が、そのまま熱になっている。
「アニエス……」
「失礼いたします」
私は盆をテーブルに置き、ヴェルムント様に向かって深く頭を下げた。
「陛下は、長老会議にお戻りになります」
「アニエス!」
「……ほう」
ヴェルムント様が、わずかに目を細めた。
「それは、娘御の意思で?」
「はい」
顔を上げて、まっすぐに老人の目を見る。
「陛下が十年かけて守ってこられた国を、私のせいで失わせるわけにはまいりません」
ヴェルムント様は、しばらく黙って私を見ていた。
やがて、杖をついて立ち上がる。
「……七日後に、お待ちしております、陛下」
三人の長老は、それ以上何も言わずに広間を出ていった。
「なぜ、あんなことを言った」
長老たちが飛び去ったあと、ヴァルディオス様は庭で私を問い詰めた。怒っているというより、傷ついている顔だった。
「あなたに、王位を捨ててほしくないからです」
「俺がいいと言っている」
「私が、いやなんです」
声が震えた。
「ヴァルディオス様。イングリット様のおっしゃったこと、ずっと考えていました。私は人間です。あなたより、ずっと先に年を取って、いなくなります。そのとき、あなたは――」
「アニエス」
「だから、私のことは、もう――」
「その先は、言うな」
ヴァルディオス様が、私の両肩をつかんだ。
痛くはなかった。けれど、その手は震えていた。
「頼む。その先だけは、言わないでくれ」
金色の瞳が、揺れていた。十年前、雪の中で私を見上げていた子竜と、同じ目だった。
私は、唇を噛んで黙った。
長い沈黙のあと、ヴァルディオス様は静かに息を吐いた。
「……長老会議には行く。だが、王位も、お前も、どちらも手放さない。それを認めさせて、戻ってくる」
「……」
「三日で戻る。お前の答えを聞くのは、それからだ」
彼は私の左手を取り、手首の印に唇を寄せた。
触れたのは、ほんの一瞬だった。それなのに、印が焼けるように熱くなった。
「ゴットフリート、イングリット。アニエスを頼む」
そう言い残して、銀の竜は北の空へ飛び立っていった。
その姿が雲の向こうに消えるまで、私は庭に立ち尽くしていた。
(……これで、よかったのよ)
自分に言い聞かせる。
頬を伝うものには、気づかないふりをした。




