骸
「全員抹殺する」
「そうはさせんよ」
聖はスラリと桜の妖刀「骸」を鞘から抜いた。伊藤の背中の四枚の羽がとてつもない速さで羽ばたきビーンという耳に障るような音を出した。伊藤の両足がしっかりと砂浜の地面を捕らえ戦闘態勢は万全といったところだ。聖は刀を右手で持ち、だらりと腕は下げたままだ。およそ構えと呼べるのか、見ている側が不安になるほど構えというものがない。次の瞬間、チンー…という刀同士が触れ合うような音が響いたかと思うと、二人の姿が見えなくなった。いや、その場にいるのだ、時々残像のようにその場に見せる二人の身体の一部が二人がその場にいることを教えてくれる。そんな人間離れした闘いの最中、聖は考えていた。
悪くないー私の刀に比べてしまうとだが、いい感じに身体に馴染む。恐らく切れ味も特級品だろう…一体どこの誰が打てばこんな見事な代物がこの世に生まれるのだ。素晴らしい…!この刀の力を最大限に引き出すにはー
次の瞬間、伊藤が聖の背後に回りその大きい掌で聖の身体を押さえようとする格好を取った。その間僅か0.1秒ー伊藤は、全身を大量の蟲が足元から這い上がってくるような不気味な気配を感じ、咄嗟に身を仰け反らせた。巨躯が地面すれすれに仰け反り、伊藤の視界には青い空と、眼の前を刀の刀身が通り過ぎた。美しく洗練された輝きだった。伊藤は素早く身を翻し相手との距離を取った。背後を振り返ると、伊藤の大きな両目に映る視界には、遥か遠くで不吉な事が起こっているのが理解できた。聖の放った抜刀の斬撃が遥か彼方で被害を生んだのだ。
「新陰流居合ー合禅ー」
当の本人は静かな呼吸で呟いて、その両目はどこをみているのか分からなかった。
「目が虚ろだよ」
「君を両断している未来が見えるね」
「その前にこの国が滅びそうだ」
聖は無言で両腕をだらりと下げた。どうやらこれが聖の構えらしい。
伊藤の姿が消えると、聖の立っていた場所に伊藤の重いパンチが直撃した。砂浜に数百メートルに渡り亀裂が走っていた。
聖はそれにも動じず、次の瞬間には間合いを詰め、伊藤の懐にいた。
「合呀无」
強烈な「突き」だった。伊藤はかろうじてそれを躱したが、一度の突きの中に何十回という突きの動作が含まれていた。伊藤は左の脇腹に違和感を覚える。見ると直径15センチ程の穴が空いていた。どうやら躱しきれていなかったようだ。
ー何という突きだ…一度の突きかと思えば、とんでもない速さで数十回は突いてくる。まともに受ければ腹に穴が空いて即死だ…ー
伊藤はいよいよとんでもない敵を相手にしていることを理解した。だが、伊藤とてここで負けるわけにはいかなかった。
丸太のような伊藤の右腕が聖の胴体を貫いたかに見えた。気づけば残像のように消えた聖が伊藤の腕に沿って身体を転がしながら背中に回った。高速で移動する聖の身体はもはや人間の動きではない。
しゃりっ…ー
紙をカミソリで切ったような音と共に、伊藤の羽が砂浜に落ちた。
「新陰流裏…死暮」
伊藤の体勢が崩れ、倒れそうになる。
「ちっ…!」
気づいたときには次の一閃が振り下ろされていた。
「黄泉の太刀…閻魔」
伊藤の丸太のような右腕が落ちた。切られたことすら気付かなかった。腕の合った場所から血が流れ落ちるのを認識した頃、ジワジワと痛みがやってくる。
「ぐあああ…!」
不意にドシャリと身体が地面に倒れた。バランスを保てない。伊藤は左腕も肩のあたりからなくなっていることに気づき、冷汗が一気に溢れ出た。
「ばかな…」
聖が見下ろしている。逆光で表情が読み取れない。
「誰を相手にしていると思っている」
なんと冷ややかな殺気だろうか。一切の迷いがない、洗練された殺気だった。死ぬ…。
「ここで死ぬわけにはいかん…!」
「聖!待ってくれ!」
タマが叫ぶ。
聖は視線を伊藤から動かさずに言った。
「生かしておくのか?」
タマは一瞬の迷いの後答えた。
「そいつには聞きたいことが山程あるんだ。それに…」
タマはこまちの方を見た。
「会わせなくちゃならない…そいつには会わせなくちゃならない奴がいるんだ」
聖は伊藤の胸に刀の先を置く。そのままするすると心臓に向かって刀を滑らせる。
「わかった!降参だ…!!」
すんでのところで、ぴたりと刀は止まった。あと一息テンポが遅ければ伊藤の心臓は串刺しだったに違いない。聖はゆっくり刀を引き抜く。
「…っつ、なんてやつだ…!」
「喧嘩を売る相手を間違えちゃいかんよ」
聖は涼しい顔で刀の血を払う。その動きすらも美しく様になる。骸を鞘に納める。聖は桜のもとに歩いていき、跪いた。そして恭しく頭を下げ刀を両手で差し出した。
桜はじっと聖を見つめ黙って刀を受け取る。
「お、俺に…剣を教えてくれ」
桜が何かぼそぼそと呟く。
「剣を…」
聴こえていないかと思ったが、聖の耳には聴こえていたようだ。
「頼む…」
聖は顔を上げて真っ直ぐに桜の目を見つめた。透き通った両目に見つめられ、桜は居心地が悪くなった。自分のような邪悪な存在が、このような純粋な目をした者に関わっていいはずがないのだ。馬鹿なことを言ったと後悔した。
「やっぱり忘れろ!」
聖はしばらく黙っていたが、おもむろに口を開いた。
「弟子を持つのは初めてだな」
桜は驚いて背けていた視線を聖へ戻した。
「いいのか…?」
「構わんよ」
「じゃあ、あの、青嵐も一緒に…」
「一人も二人も一緒だ」
「やった…!」
桜の顔がぱあっと明るくなった。まるで人間じゃないか。聖はそう思った。
「人間と馴れ合いとは、地に落ちたな」
その場の全員が声のした方を見た。男が一人立っていた。
「八岐の大蛇・・・八つの頭、その身体は山を八つも超えるほどの大きさで、その土地を恐怖に陥れた。須佐之男尊に葬られたと聞く。まさかこんな子どもだったとは。しかも、八人揃わないと完全体になれないとは・・・」
男は淡々と語り始める。
「不完全」
冷ややかな視線が向けられたかと思うと男は桜の側に立っていた。
「一人では人間にも勝てぬのだな」
桜の耳元で囁く。
固まっている桜の顔をみて聖が口を開いた。
「そなた何者だ」
男は冷ややかな視線を聖に向けるとニコッと笑った。
「人間ごときが私に話しかけるなんて、なんと不遜なやつだ」
「その人間に斬られるがな」
聖が再度骸に手を伸ばすと空気がピリッと変わる。
「聖」
その緊張に割って入るように、誰かが聖の名前を呼んだ。
「お前は・・・」
「ご当主様…!」
深い紺色のスーツを着たその男は、歳は40代くらい、髪は銀色、髭は丁寧に剃られている。年齢より若く見える顔立ちだ。背後には黒いジャガーが停まっている。彼の車だろう。綺麗に磨かれたその車体は、この男に乗られるべくしてそこにあるようだ。
「私がやってもいいのだが、どうする?」
ご当主と呼ばれたその男は聖に向かって質問した。
「私で十分です」
聖は疑問の余地なくきっぱりと答えた。
「だろうな。だが、一つアドバイスだ」
男は右手の人差し指を出して言った。
「こいつを使ったほうがいい」
男はジャガーの助手席から一振りの刀を取り出し、聖に向かって投げた。聖はその刀を右手で掴まえた。
「お前の刀だ」
「感謝します」
「大事な相棒を置いていっちゃあ良くないな」
「恥ずべきことです」
聖は恭しく頭を下げた。
「さて。お膳立てはここまでだ。聖、たんと暴れるがよい」
聖は骸と自身の刀を腰に差し、二本の刀を抜いた。
「なお、よいな」
男はその二本の刀を抜いた聖を見て満足そうに頷いた。
「よく分かっている」
二人のやり取りを見ていたタマは男の姿をマジマジと観察した。間違いない。10年前、早坂の家で出会った男だ。
ー「君はこれから世間の敵になる」ー
淡々とそういったこの男は、キキの父親だ。あの時は何も考えられず頭もボーッとしていたせいで気付かなかったが、とんでもなく強い。そして、こいつは人間…なのか…?キキが昆虫族である以上、親のこいつも人間ではないはず。しかし、この気配は人間のそれだ。それより、今は聖と謎の男の方だ。こいつは一体何者だ?八岐の大蛇の事を知っている。封印が解かれ始めている事も。そして桜と青嵐を前に全く動じない。なんなら二人を消し去るつもりでいる。そんなこと出来るのはこの世でスサノウ尊だけだ。それに、聖の刀ー一体全体なんだあれは…!
上泉聖守ー自身を侍だというまだ若き女の愛刀。それは正に骸とは対照的な雰囲気を放っていた。骸は妖刀と呼ばれながらも、その美しさは人の心を奪うような美しさであるのに対し、聖のそれはまさに邪悪の塊よような雰囲気を放っていた。見た目は普通の刀である。しかし、醸し出すオーラが尋常ではない悪意を放っている。『呪い』とでも言うべきか、人の業、怨念、負の感情全てを内包しているかのようである。近くに寄っただけで人間なら即死する気配だ。
「なんであんな化け物みたいな刀が存在している…?!下手したら陰陽師の連中が総出で出てくるぞ」
「お前…人間か?」
相手の謎の男がやっと目の前の相手を敵だと認識したようだ。
「どうやら、一筋縄ではいかないのだろうな」
「無論。それに弟子には指一本触れさせぬ」
聖の闘気が最高潮に高まった時、相手が動いた。
瞬きの間にその拳は聖の鼻先に飛んできた。誰もが当たったと確信したが、その拳は宙を貫いただけだった。背後から聖の追撃が始まる。
刀を二振り。
一振りでもまともに扱うには日々の鍛錬が必要不可欠。それが二つになるのだ。まともな闘いをするには一筋縄ではいかない。しかし、聖にとっては関係のないことのようだ。正にこういう人物を天才と呼ぶのだろう。流れるような淀みのない太刀筋、足の捌き、身のこなし、全てが完璧な調和の中にある。敵ながら天晴ー。正にそういう闘い方だった。先ほどの伊藤との闘いとは比べ物にならない程の次元だった。正に鬼神。闘いの神だった。気づくと、男の身体が少しずつ傷ついているのが分かった。血が飛び散っていく。一体、どのくらい闘っているのか、見るものを圧倒する力に一同息を呑んだ。
「新陰流…二刀の舞『正邪の行進』」
「ぬん…!」
男は食いしばった。一歩でも踏み外せば切り刻まれる事は明白。それにしても何という禍々しき舞だ…!特にこの邪悪な気を纏った刀、尋常ではない…!どこまでも追ってくるこいつの剣技、逃さぬつもりか…まずいな、ここまでの手練れか…!
次の瞬間、大袈裟の型で聖の刃が男に入った。
「ぐっ…!」
男は砂浜に崩れ落ちる。聖は攻撃を止めなかった。恐らく本能的に感じていた。これじゃ死なない。足りぬと。膝立ちの男に正面から二刀流の太刀を入れる。男の上半身と下半身は分かたれ、砂浜に散った。聖はヒュンヒュンと血を払い、刀を鞘に納めた。
肩で息をしている。
「ふむ…聖、すぐ退きなさい」
ご当主と呼ばれる男の呼びかけに素直に応じ、聖は主人の側に駆け寄る。
「どうやら終わりではないようだね」
不吉な予感がした。
「君たち、一度退くぞ!」




