8 Lunatic Tears…
その翌日の日曜日。夏の大会一回戦の二週間前。
キ83『閃龍』に乗った衛徒が瑞穂空戦部の滑走路に着陸した。
正吾と剛が衛徒を部室に案内し、入口で待機していたロート隊がお辞儀する。
「ご無沙汰しておりました。鹿島先輩」
「ああ。久しぶりだ」
「お暑いですから中へどうぞ。二回の会議室を使います」
「わかった。メールに書いた通り、六原と月城とだけ話したい」
「承知しております」
部室にいる部員達に視線を走らせる衛徒を、レイアは先導する。
そして階段を登って二階の会議室のドアを開けた。
「お飲み物は」
「……コーヒーを」
「ご用意します。座ってお待ちください」
しかし衛徒は席に座らず、立ったままレイアと視線を合わせる。
真っ直ぐ衛徒に見つめられて気恥ずかしくなったレイアは、社交辞令を口にする。
「少し背が高くなりましたか?」
「ああ。もう止まったが」
かつてレイアより低かった衛徒の目線は、二年経ってレイアと同じになっていた。
「大学空戦のニュースにも目を通しております。私としては当然とも感じる人選ですが、それでも大学選抜の主将に鹿島先輩の名前があった時は驚きました」
「名誉な事ではある。日本代表は大学二年までの編成ではあるがな」
「はい。大学選抜の監督は人を見る目がありますね」
「天才と呼ばれる奴らは高卒でプロに行ったからな」
「鹿島先輩の代の層の厚さは異例でしたね」
「そうだな。そしてそれは、お前達の代にも言える事だ」
衛徒はようやく席に座り、エレンが持ってきたコーヒーが前に置かれる。
三人分のコーヒーを置いたエレンと樹里が退室すると、衛徒は口を開いた。
「率直に言って、今日は宣戦布告に来た」
「そうですか。……早い時期に挨拶できて嬉しいです」
「どこまでするか悩んだ。だが、シュタージでなくなったお前らを犯罪に利用した人間として、お前らのためになる事をすべきだと思った。こないだ摘発されたた『六香双樹』。二年前の違法賭博の胴元だな?」
「はい。ご賢察の通りです。胴元が中国というのは嘘です。申し訳ございません」
「謝る事じゃない。俺が何を承認したのか再確認しただけだ」
「私達がしたくてやった事です」
「あの時俺達は勝利した。賭けにも、試合にも。そしてトラビ空戦部は存続し、現在の瑞穂空戦部に至っている」
「あの時先輩方に承認いたおかげです」
「その点は俺も後悔していない。去年も色々やっていた様だと倉見や秋本から聞いているが、詳細を知るつもりはない」
「鹿島先輩の後を継いだ部長として、空戦部を守る事ができました」
「俺は肯定する。頑張ったな」
「ありがとうございます!」
尊敬する先輩に褒められて、レイアは万感の思いだった。
二年前と変わらない。私を勇気づけてくれる、頼れる先輩だ。
「だがここまでだ。率直に言う。高卒プロ入りは諦めろ。今日はそれを伝えに来た」
「それは、鹿島先輩の言葉といえど、従えません」
衛徒の発言にレイアはさして驚かなかった。
鹿島先輩にも大学選抜の主将としての立場がある。
八百長などを期待していたわけではない。
「お前らの事だ。リスクを勘案したうえでプロに入りを希望しているんだろうが、それでも訊きたい。お前らの有罪判決は決定的だが、保護観察処分なら二〇歳で終わる。更にそれから二年経てば世間もある程度忘れるだろう。大卒プロ入りでは駄目なのか?」
「納得できません」
「何故だ」
「競技空戦に限らず、この国では未成年のプロ選手やオリンピック選手は珍しくありません。彼らは一様に天才と呼ばれる存在ですが、正直に言って、私とハンナが彼らに劣るとは思いません」
「同意する」
「私達がトラビに入学した時に抱いた夢は、普通の高校生になる事でした。普通の高校生というものは、スポーツで傑出した結果を出した場合、プロに行くものだと考えます」
「だがそうはならなかった。お前らは普通の高校生にはなれなかった。法学部の知り合いに確認したか、お前らの無罪放免はあり得ない」
「理解しています。今後私達には非難の声がつきまとうでしょう。ですが、実力で社会的信用を取り戻します」
「いや、お前達はリスクを過小評価している。俺は無茶だと判断した。だから俺からJSA(日本競技空戦機構)に提案したんだ。お前らのプロ入り条件に大学選抜戦勝利を追加するように」
「鹿島先輩からの、提案だったのですか……」
これはレイアにも衝撃だった。
自分達の高卒プロ入りに消極的なJSAの差金だと思っていたからだ。
「お前らに同情的な意見や、保護観察処分で十分という見解は多い。たがそれは『大学生として経過観察できるなら』という前提だ。わかっているだろう」
「……はい」
「一旦判決が出ても捜査は終わらない。お前らの自白内容以外の容疑が浮上すれば、虚偽申告や倫理規定違反でプロ選手資格を剥奪される。こうなれば実質的な永久追放だ。しかし大学四年間で他の容疑が出なければ、或いは出ても時効を迎えていれば、法的に問題なく、裁判所の判決に従った状態でプロ入りできる」
「そんな事わかっています!」
「それでも高卒プロ入りにこだわるのか?」
「二年前にも話しました。東ドイツで生まれたという劣等感。それは勝利によってのみ覆せると。勝ち続ければ世間だって納得してくれます! だって、仕方なかったんですよ!」
感情が昂ったレイアは思わず本音が出た。
他のトップアスリートが高卒でプロやオリンピックに行けるのに、自分は行けない。
その理由を突き詰めると、東ドイツで生まれたからという自分の力では変えようが無い事実に集約される。
「認め、られません。東ドイツ出身である事が、親の職業を継ごうとした事が、私の未来を阻むなど。実力で覆してやります! 私とハンナならそれができる!」
「お前らは勝ち続けてきた。素晴らしい事だし、俺達もそれに助けられた。しかし、今回だけは勝ったら駄目なんだ!」
「先輩まで、私達は普通じゃないと、そう言うんですか!?」
「お前らは普通じゃない! 大学に行くべきだ」
「勝てば認められます。違いますか!?」
「間違っている! お前らは、ここで負けるべきだ!」
衛徒の言葉から、自分の味方をしてくれる可能性が皆無である事を察したレイアは、いつの間にか涙を流していた。
レイアはその涙をすぐに拭った。
しかし、中々止まらない。
私の生き方が間違っているというのか。
私とハンナは東ドイツ時代から、勝って、役に立って、結果を出す事で、存在を認められてきた。
日本育ちとはいえ鹿島先輩も父親は東ドイツ人。
私達の半生の予想はできるだろう。
そして何より、結果を出す事によってのみ存在を認められるという事実を、鹿島先輩も二年前に体験したはずではないか!
鹿島先輩にだけは、理解してほしかった。
「鹿島先輩。大学選抜との試合ルールを教えてください」
ハンナが、落ち着いた声で口を挟んだ。
「詳細はこの書類を読め。試合まで五ヶ月ある。お前らの努力次第で、対等な条件になるようにしてある。尤も、いかなる展開になろうと、勝たせてやる気は無い」
涙で滲んだ視界で、大学選抜との試合ルールを斜め読みする。
形式上は瑞穂高校空戦部と大学選抜の練習試合であるが、こちらの頑張り次第で対等な戦力を揃える余地があるという言葉に嘘は無かった。
誰がどう見ても不平等な条件であれば、駄目元でもJSAにルール変更を打診しようと思っていたが、これでは飲むしかない。
鹿島先輩は私達に十分な準備時間を与える事で、言い訳の余地を無くすつもりだ。
本当に、全否定しに来ている。
試合ルールを読みながらレイアは思う。
仮に私が日本で生まれていれば、現在容疑をかけられている罪など犯さなかった。
だが、東ドイツで生まれ、シュタージに入ったからこそ、トラビに入学し、瑞穂空戦部という今の居場所がある。
東ドイツで生まれた事実を否定する事は、一年生の頃出会った偉大な先輩達や、三冠を狙える実力を有するに至った今のチームメイトを否定する事だ。
それはできない!
私達が高卒プロ入りするリスクを重く見て、鹿島先輩自ら阻止に動いた。
それについて納得はできる。
しかし、事前に相談してほしかった。
一方的な通知にしないでほしかった。
私達の考えや感情に思いを馳せて、言葉を選んでほしかった。
世論が賛否両論であるが故の、政治的妥協案である、とか。
少なくとも二年前の鹿島先輩は私達の意思や感情を尊重してくれた。
しかし今はその様な雰囲気は無い。
つまり、私達の意思や感情は今の鹿島先輩にとって、考慮する必要のない、些末な事なのだ。
尊敬していたのに。結局は他人か。
「ルールは概ね、把握しました。高校空戦と大学空戦のルールを折衷した、良い案だと思います」
レイアが小さく嗚咽を交えながら話すと、衛徒は頷き、コーヒーを飲みほした。
「試合に関して不明点があれば、メールしてくれ」
「わかりました」
立ち上がり会議室を出た衛徒の後ろにレイアとハンナが続く。
一階には練習から戻ってきた部員達が集まっていた。
そして明らかに泣いているレイアの顔を見て、一様に驚きの様相となる。
その中で、正吾と剛は互いに目配せすると立ち上がり、衛徒の進路を塞ぐように歩み出た。
「お久しぶりです。鹿島先輩」
「ああ。久しぶり。……何か用か」
「いくら先輩といえど、部長が泣かされて黙って帰すほど、腑抜けじゃないんですよ」
「そうか。せっかくだから俺からも訊いておきたい。お前らはあの二人が高卒プロ入りに拘る理由を知っているのか?」
「はい。端的に言えば、悔しいからだと」
「何?」
「六原! 大学選抜との試合、勝ち目はあるか!?」
正吾からの問いに、レイアは頷く。
その答えに正吾は不敵に笑った。
「俺達の役割は直掩です。護衛対象は爆撃機。そして六原と月城の選択肢。邪魔するものは排除します」
「稲葉先輩! 今ここでその人ぶちのめせば敵が一人減るじゃないですか!」
「フィロ、暴行はまずいよ!」
「私はフィロに賛成だぜ。稲葉先輩、鈴木先輩、加勢しますよ!」
「いや暴力はあかんやろ」
「タバスコならあるぜ」
「それも暴力じゃない?」
「熱いコーヒーならすぐ入るぞ」
「斎藤先輩。すぐに用意を。へへへ。単身乗り込んでくるとは不用意ですねぇ」
「やめなさい! ハンナ、見送りを」
「わかった」
暴力に訴えようとするフィロと有紗を制し、レイアは部室から出ていく衛徒の背中を見送る。
もう頼るべき存在ではない。
打倒すべき存在となった。
逃げる為の術などなく、ただ立ち向かうだけ。
幸い、私達の夢を応援してくれる味方がいる。
ならば、その未来を掴むまで戦い続けたい。
正義を行えば、世界の半分を怒らせるという。
まして私達の正義は個人的なエゴだ。
社会からの反発は大きくて当然。
その先鋒が、鹿島先輩だった。
それだけの話だ。
次回、レイア、黒塗りの高級車に轢かれる




